027「蓮見飛鳥の『かわいい』」

 それから現像が終わるまでの僕らの日常に、特筆すべき点はなかった。


 僕はいつも通り学校とバイトの往復の日々だったし、蓮見はすみも今まで通り女子用の制服で登校していた。蓮見はすみのクラスのちょっとギスギスした雰囲気も相変わらずだ。


「じゃ、シュン君。現像終わったから、蓮見はすみちゃんに持っていってあげて」


 ササキがそういったのは、撮影から三日後立った。差し出されたのはコンビニとかで売っている無地の封筒だ。


「ああ、中身は写真だけか?」

「いや、写真と、SDカードが入ってるよ」


 封筒を触った感触から緩衝材にくるまれたチップのようなものが入っているのが分かる。封筒はしっかり、というかやりすぎなほどに厳重に糊付けされていて、「緘」のハンコまで押されている。




蓮見はすみに届けるだけなら、こんなにしっかり封をしなくても・・・」


蓮見はすみちゃんの写真をシュン君みたいな思春期の男の子にそのまま渡すわけないでしょ。何に使われるか分かったもんじゃない」


 困ったもんだ、とでも言いたげにササキは肩をすくめる。


 そんなに信用ないのか僕は。


「それにSDカードって結構高級品だからね。シュン君みたいな貧乏人にそのまま渡したら転売されるかもしれないじゃないか」


 やれやれ、とでも言いたげに首を振るササキ。


 そんなに信用ないのか、僕は。


 

 そんなひと悶着があった翌日の昼休み。僕は例の屋上で蓮見はすみに封筒を渡した。蓮見はすみは渡された封筒の厳重な糊付けをみて、安心したように息をはいた。


「よかった・・・赤坂君が画像流出させてなくて・・・」


「そんなに信用ないのか、僕は!!」


 とうとう大きな声がでてしまった。屋上に僕の声が広がる。


「え、え、急にどうしたの?」


 蓮見はすみが急な大声に驚いてビクッと身体をふるわせた。とびのくように僕から距離をとる。


「いや、ちょっと蓄積がな……」

「……わかんないけど、急に大きな声出す人は、やばい人だと思われちゃうよ?」


 ちょっと心配そうに、というか腫れ物に触るように、蓮見はすみは僕に声をかけた。


 日々の蓄積が蓮見はすみのひとことで噴出してしまったようだ。「ついカッとなってやった」とかいう犯罪者の気持ちが少しだけわかった気がする。


 ていうか、蓮見はすみは僕のことをいじらない数少ない人間だったはずなのに、これはいったいどうしたことだ。


「いやー。なんかササキさんと赤坂君のやりとり見てたらちょっとうらやましくってさー」


 えへへ、と笑う蓮見はすみ

 あざとい。かわいい。

 この顔をされたらどんな悪行も許してしまいそうだ。僕には絶対まねできない顔面パワータイプの切り抜け方だった。


 しかし、僕とササキの会話にうらやましさなんてあるか? あるとしたら僕への同情か、いい歳こいてるのに偏屈なササキへの哀れみくらいだろうに。



 閑話休題。



「……じゃあ、あけるね」


 蓮見はすみは緊張した顔で封筒に手をかける。そして、中身を傷つけないように丁寧に封を裂いた。


 蓮見はすみは目をつぶって中に入っていた写真を取り出した。それから、大きく息をして呼吸を整え、目を開く。


「……」


 蓮見はすみの表情は写真を目にした瞬間、かたまってしまった。目を見開き、口をやや半開きにしたまま、ぴくりとも動かない。


 見ようによっては間抜けな顔ともみれるが、蓮見はすみの場合、なぜか絵になる。


 複数のタスクを同時に処理しようとして固まった低スペックパソコンのごとく、蓮見はすみは完全にフリーズしてしまった。


「お、おい。蓮見はすみ?」


 おそるおそる話かける。反応はない。よほど大きいファイルを開こうとしているのだろうか。頭上にクルクル回る渦巻きみたいなアイコンすら見えるようだ。


「お、おい。蓮見はすみ?」


 僕がおそるおそる話しかけると、蓮見はすみの口からかすれた音がこぼれた。


「か」


「か?」


「かわいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいい!!!!」


「どわぁ!!」



 急な大声に情けない悲鳴をあげながら僕はそのまま尻餅をついた。そしてそのままずりずりと蓮見はすみから距離をとった。


「きゅ、急に大きな声出す人は、やばい人だと思われるぞ!!」


 僕の必死の呼びかけを意にも介さず、蓮見はすみは写真の自分に夢中になっている。

 本当のやばい奴は人の声など聞こえないらしい。


 目は完全にハートマークになっているし、表情もフニャフニャだ。そしてうわ言のようにぶつぶつとなにかつぶやいている。


「まって、まって、これはやばい。コレはやばい。今までにないくらいかわいい。かわいい以外の言葉が見つからない。もういっそ尊い? 地球の至宝? いや、そんな言葉もかすむ!こんなもの見たら語彙力が死ぬ! 語彙の大量虐殺おきちゃう!」


 なんかめちゃくちゃ物騒なことを言っている。完璧にヤバい人だ。同じ車両に乗ってたらそっと次の駅で降りるレベルである。


「やばい、私の写真で日本の学力が低下しちゃう。みんな『かわいい』しかいえなくなっちゃう。そして私以外のこの世のあらゆることがどうでもよくなっちゃう!」

「もう麻薬じゃん……」


 めちゃくちゃ突飛なこと言ってる。多分勢いですごそうな単語を羅列しているだけなのだろうけど、ワードのチョイスがイカれていてちょっとおもしろい。



 おまえはヒロインであってヘロインではないんだからな。

 というツッコミを思いついたが、コンプラを意識して断念した。

 思うだけなら問題ないはずだ。



 僕の声が聞こえたのだろうか。蓮見はすみがとんでもない速度で僕の方を向き、爛々とした目を僕に向けた。



 やべ、目が合った。



「赤坂君もコレ見て!! そして、失って! いろいろなモノを!」

「怖えよ!!」


 いやがる僕に、蓮見はすみは無理矢理写真を押しつけた。こんな前振りなく普通に見たかったのに、今や写真を見るのにちょっとした恐怖心すら覚える始末だ。


 仕方なく、おそるおそる写真に目を向ける。


 そこには……


「……おお!!」


 そこには、蓮見はすみが興奮するのも頷ける、異様な魅力を放つ蓮見はすみが立っていた。





 ササキとしばらく仕事をして、ヤツの写真を見てきて分かったことがある。

 優れた写真には、「広がり」と「断絶」が同居する。


 今にも動き出しそうなのに、静止した姿が美しい。

 その先写真の先の展開を想像することができるのに、画像単体として意味を感じる。

 世界への「広がり」を感じさせながら、世界との「断絶」を描き出す。



 動きのあるこの世界の断面図となる写真は、その中途半端な特性を最大限に生かされた時に媒体としての魅力を放つのだとおもう。



 蓮見はすみの写真は、そんな僕の考えを裏打ちするような、いうなれば「完璧に中途半端」な写真だった。


 スラックスに包まれた長く美しい脚を軽く交差させ、両手はお腹の前で軽くくまれている。しなやかで、それでいて芯のある立ち姿。男性的にも見えるし、女性的にも見える、その中間の絶妙なバランス。


 撮影の日、僕が蓮見はすみを見たときの印象がほとんど完璧に再現されている。


 そして、この写真の、何より目を引く部分は、蓮見はすみの自然で柔和な笑顔だ。その表情が、この写真の全体に統一感を持たせている。


 男性と女性の中間。

 大人と子供の中間。

 これから、変化が起こるであろうことを予感させつつ、これで完成しているかのようでもある。


 その中途半端な姿を、その曖昧な美を、今の蓮見はすみ飛鳥あすかにしか出せない魅力をこの写真は鮮明に浮かび上がらせていた。


 確かにこれは、語彙を失ってしまいそうだ。

 なにか感想を言うならば。


「……かわいい、な」


 そう言うしかなかった。



 蓮見はすみは、僕のつぶやきを聞いてか、それとも「ナルシスティック・トリップ」から帰ってきたのか、その場に力なくしゃがみ込んでしまった。


「おい、蓮見はすみ? 大丈夫か?」

「……よかった。ちゃんと、かわいい」


 緊張感から解放された、心底安心したような声だ。ちょっと鼻声なのは、もしかしたら涙がこみ上げそうになっているのかもしれない。


「今まで通りの私じゃなくても、皆が思う形じゃなくても、私はちゃんとかわいい」


 蓮見はすみにとって、今回の撮影はチャレンジだった。

 新しい自分を自分自身が認められるかどうか。

 今までと違うやり方で、自分の好きな「かわいい」をつくれるかどうか。


 結果は、ご覧の通りだ。写真にうつる蓮見はすみは、誰がどう見ても「かわいい」。


 そう言えば、「かわいい」は懐の深い言葉だ、と本多先生は言っていた。


 その通りだ。今なら僕だって分かる。どんなやり方でも「かわいい」はつくれるらしい。


「私のかわいいが、ちゃんと形になった。頭で考えてるだけじゃなくて、この世界に出てきてくれた。想像以上に想像通りだった。予想以上に予想を超えた! ね、赤坂君!」


 そう言って、蓮見はすみは今まで見せたことのない、最高の笑顔で言った。


「写真って、すごいね!!」


 眩しいくらいに輝く蓮見はすみの笑顔に、僕はちょっと照れて、顔をそむけてしまった。そして、逸らしたままの顔で、「……そうだな」なんて斜に構えた返事をするのが精一杯だった。


 その笑顔の蓮見はすみは、写真の中の蓮見はすみに負けないくらいにかわいかった。

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