024「久々の決め台詞」

 蓮見はすみが準備を終え、喫茶クロワッサンに戻ってくると、ササキは僕らを連れて店を出た。向かった先は、都内某所にある貸スタジオだった。


「……すごい。立派なスタジオだね!」


 蓮見はすみはキラキラした瞳でスタジオを見回している。私服姿ではしゃぐ蓮見はすみは、無邪気で可愛らしい。


「……確かにすごいな」


 きれいな内装に、巨大な照明器具、真っ白な背景に何に使うのかさっぱり分からない機材の数々……。


 思い描く「スタジオ」のイメージそのままの光景に、僕もひそかに興奮していた。


「一応ボクもプロだからね。こういう貸スタジオみたいなものを準備するツテはあるんだよ」


 機材をガチャガチャ動かしながら、ササキは軽く答えた。気取っているように見えないあたり、確かにプロっぽい。


「こんないいところ……高かったんじゃないんですか?」


 やや心配そうな蓮見はすみの声。確かに、こんなスタジオ、借りるのに僕の給料何か月分かかるか分かったものではない。ササキにそんな金があるようには思えないが……。


「あー。ここはボクの先輩の天海あまみさん……は知ってるんだっけ? 彼女が運営しているスタジオなんだよ。昔馴染みのよしみで時々格安で貸してもらってるんだ……っと」


 ササキが機械の画面から目を上げて、蓮見はすみに声をかける。


「ボクの準備はできたよ。蓮見はすみちゃんも準備しておいで」

「は、はい!」


 蓮見はすみの声はどこか緊張していた。このスタジオの雰囲気にちょっと気圧されているのかもしれない。


 ササキはその緊張を感じ取ったのか、少し優しい表情になった。


「この先に更衣室兼衣装室があるよ。ここは結構衣装が充実してて、普段着みたいなものから、ファッションショーに出てくるみたいなすごいデザインのもの、果てはコスプレ用衣装までなんでもあるから。どれでも君の好きなものを……」


 ササキが話している途中、蓮見はすみが遮るように言った。


「……いえ。ありがたいですが、着る服はもう決めています」


 そう言いながら、蓮見はすみは持ってきた少し大き目の鞄にそっと触れた。中に自分が着るつもりの服を持ってきているらしい。


 どこか自信のある声だ。先ほどの緊張を微塵も感じさせない強さがあった。


 ササキは少し驚いたようだったが、すぐにいつものにやけ面になった。


「そうかい。じゃあ、着替えておいで」

「はい! 少々お待ちください!」


 そう言うと、蓮見はすみは踵を返して、撮影スペースの入り口の扉をバタンと閉めた。






「……今回の依頼は、全然思い通りに進まないな」



 苦笑いしながら、ササキはそうつぶやいた。



「珍しいな。お前がそんなこと言うなんて」



 いつものササキは、写真家なんかやめて探偵にでもなった方がいいと思えるほどに洞察力に優れ、上手に先手を打ちながら立ち回っている。しかし、今回は蓮見はすみに振り回されっぱなしだ。



「……別になんでもないよ。ちょっと懐かしくてね」

「懐かしい?」

「うん。ちょっと学生時代のことを思い出していたんだ」

「学生時代……天海あまみさんとか、店長と一緒にいたころか?」



 そうだね。とササキは目を細めた。



「あの頃、天海あまみ先輩にはよく振り回されたよ。彼女が絡むと大概のことは予想通りにいかなくなるんだ。仮に主要な登場人物でなくたって、彼女が関わるといろんなことが少しずつずれていく。変な引力を持った人なのさ」


「ふーん……」


 ササキの言っていることは、あまり論理的とは言えない。非科学的な陰謀論みたいな響きがある。


 それでも、ササキの言っていることが、何となく分かる気がした。


 確かに天海あまみさんには、妙な引力がある。


 もし、彼女を中心に世界が回っているのだと言われたら、うっかり信じてしまいそうな、そんな不思議な雰囲気がある人だ。



「ちなみに、この撮影にプランとかあったのか?」

「一応ね。このスタジオ、昔はよく使わせてもらってたから、機材の使い方も衣装も大体把握してるんだ」

「そうなのか」

「うん。衣装ごとに見栄えのいい角度とか、照明の当て方とかがあるからね。この場所なら、蓮見はすみちゃんがどんな格好してきても、いい写真が撮れる自信があったのさ。その中であの子が気に入ったものを見つけられれば、と思ったんだけど……」



 それなのに、蓮見はすみは自前で衣装を持ってきてしまった、と。



「なるほど……確かに想定外か」


蓮見はすみちゃんがどんな格好をしてくるか分からない以上、確実にあの子の期待に沿った写真を撮ることができるかどうかは分からない。もしかしたら、全く似合ってない服で現れて、どうにもならずに撮影終了……って可能性もある」


 ササキは軽々しくそう言った。まるで、そうなってしまっても仕方がない、とでも言うような。そんな口調だ。


「……それは」


 あまりにも酷だ。


 せっかく自分で新しい一歩を踏み出そうとした蓮見はすみの出端をくじくことになる。


 曲がりなりにもプロであるササキに、いきなり「似合ってない」なんて言われたら、蓮見はすみは立ち直れないかもしれない。


 そんなことならいっそ、おとなしくここの貸衣装に袖を通した方が安全かもしれない。ササキの技術によって一定のクオリティが担保された衣装を選ぶ方が無難かもしれない。


「……それ、蓮見はすみに言ってやった方がよかったんじゃないか?」


 僕がそう問いかけると、ササキはふっと笑った。


「今回の場合、蓮見はすみちゃんが納得しないと意味がないからね。自分で選んだ服があるならそれが一番いい。それに……」


「それに?」


 何故かササキは誇らしげに、ありていに言えばドヤ顔で言った。


「いい写真って言うのは、いつだってボクの想像を超えてくるのさ。自分で狙って撮れるものじゃない。いい写真が撮れる時はいつだって、被写体の方がボクにシャッターを切らせるのさ」


 ……なんか腹立つ表情だ。


「プロっぽいこと言ってるけど……結局とられる側次第ってことか? それってなんか無責任じゃ……」


 あ、しまった。完璧なフリになってしまった。


「シュン君。写真家ほど無責任な職業はないよ」


 ササキはそう言い放つと、なぜか満足げな顔をこっちに向けてきた。


 いや、こっち見んな。

 ていうか、ニヤニヤすんな。

 別にカッコよくないからな? その決め台詞。

 単なる開き直りだからな?



「……お待たせしました」



 僕らがそんな無駄話をしている間に、蓮見はすみは着替え終わったらしい。スタジオと更衣室をつなぐ扉の向こうから声がする。


「早かったね。さ、入っておいで」


 ササキがそう言うと、扉がゆっくりと開いた。


 蓮見はすみはどんな姿をしているんだろうか。

 その姿は、ササキの眼鏡にかなうのだろうか。

 なにより、蓮見はすみ自身が納得できるものになっているのだろうか。


 妙な緊張と期待に胸が高鳴るのを感じる。



 そして、扉の向こうから現れた蓮見はすみの姿は……。



「……え?」



 とても、意外なものだった。

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