024「忘れないように」
「私、あの犯人のおじいさんとおんなじじゃん。私も忘れていくじゃん。なのに、いつまでも覚えていて欲しいとか、言う資格、ないじゃん……」
そう言って大槻はしゃくりあげている。
何か言わなくては。目の前の泣いている女の子を助けなければ。
でも、何を言えばいい? 僕に何が言える?
僕にはもともと家族がいない。そんな自分が、肉親を失う悲しみを、その思い出を忘れていく恐怖に何か言ってやることはできるだろうか。
こんな時、あいつならなんていうだろうか。
そんな思いに至った時、切られたまま机に置いてある茶封筒が目に入った。あの中にはまだ一枚写真が入っている。
「一枚は送る用、もう一枚は、大槻ちゃん用、かな」
そう言ったササキの声がリフレインする。大槻用? 大槻がこの写真を必要とするとササキは思っていたってことか? じゃあ、もしかして……。
「なあ、大槻。写真ってなんでできたんだと思う?」
僕の質問が文脈から外れたものだったからか、大槻は目を少し見開いた。
「……どういうこと?」
「人間が忘れる生き物だからだよ。人間の記憶が、思い出が不安定なものだからだよ。支えがなければすぐに消えてしまうものだからだよ」
人間は忘れてしまうから。
記憶は時間が経つと薄れてしまうから。
だからどうにかして、留めようとした。
平面でもいい。歪な形になってもいい。
僕らの記憶を、薄まっていく思い出を、どうか、支えて欲しい。
どうやっても止まらない時間の流れに対しての、人類のささやかで、薄弱で、そして必死の抵抗が生み出したもの。
「全部覚えてられたら、写真なんていらない。でも、忘れてしまう。それは仕方ないことだ。それでも、大切なことを忘れたくないから、写真なんてものが生まれたんだ。お前が作ったその写真は、お姉さんのことを忘れないように、いつでも思い出せるようにと願った結果できたものだ。だから、大槻」
僕は、できるだけ力強い口調で、はっきりと言った。
「お前がお姉さんのことを忘れたがっているなんてことは、絶対にない」
大槻は、僕の言葉を聞いて、大槻は口をグッとつぐんだ。その拍子にぽろぽろと涙が頬を伝った。大槻に僕の言葉が伝わったか、伝わった結果どう思ったかはわからない。でも、僕にはこれ以上何も言うことができなかった。
妙に長く、気まずい沈黙の後、大槻は涙をこらえながら、言った。
「赤坂君、めちゃくちゃクサいよ?」
「おい!!!」
「そのカメラ発生の歴史ってホントに正しいの? 赤坂君の自説? 自説だったら、よくそんなの思いつくね。ある意味天才だね。クサい台詞いう天才だね」
大槻は、顔を下に向けながら、早口で僕を罵倒し始めた。おい、この場面でそういう発言は厳禁だろ。それ言い出したら大体のライトノベル主人公は首くくらないといけないだろ。
「勘弁してくれ……」
僕がそうつぶやくと、あーもうと大槻は顔を上げた。
「あまりにもクサすぎて、なみだが出て来たよ。あーくさいくさい。くさい……くさいよ……」
顔を上げた大槻の表情は笑顔だった。でも、いつもの自然で柔らかいものじゃない。明らかに無理をしている、強がりで、ぐずぐずの笑顔だった。涙も全然収まってない。
ボロボロと流れ続ける涙に、僕はまた言葉を失った。
「クサい、クサいよ……涙、止まらないよ……」
「……そうか、ごめんな」
僕は、クサいと言いながら泣き続ける大槻を椅子に座らせ、自分は正面の席に座った。大槻は机に突っ伏してしばらく泣き続け、僕はただ待ち続けた。
西日が、優しく大槻の小さい肩を照らしていた。
「お見苦しいところを……お見せしました」
大槻は苦々しげにそういった。
西日が完全に落ち切って、最終下校時間が間近に迫るころ、大槻は復活した。目は泣きはらして真っ赤であり、もう泣き疲れたようだ。
「……教室に誰も入ってこなくてよかったな」
「そうだね……。もし見られてたら誤解されること間違いなし、だね」
客観的に見れば、クラスの中心人物をクラスのよくわからん奴が泣かしている構図だ。しかも大槻は「クサいクサい」とつぶやいているわけだから、僕の口臭やら体臭やらで泣かせているみたい見えたことだろう。スカンクも裸足で逃げ出す超弩級のスメル・ハラスメントである。
「スカンクは普通裸足だよ……」
「大分余裕出て来たみたいだな、大槻」
「うん。ありがと。付き合ってくれて。帰ろっか」
そう言って僕らは帰りの準備をした。鞄に教科書を詰めながら、大槻が思い出したように言った。
「ねえ、赤坂君。ササキさんと写真撮りに行った時、私が言ったこと、覚えてる?」
僕は内心、ドキッとした。
「ん? 何のことだ?」
「いや、忘れてるならいいんだけどさ、私、赤坂君にひどいこと言ったと思うんだよね」
『赤坂君、ちょっとおかしいよ』
大槻のセリフが頭に浮かぶ。忘れるどころかばっちりトラウマになっているようだ。しかし、気にしないフリをして、返事をした。
「そうだったか? ひどいことならいつも言われている気がするけど」
「いや、そういうのじゃなくて……あれ、訂正したいんだ」
「……え?」
僕が聞き返すと、大槻は僕の顔をしっかりみて言った。
「赤坂君はちょっとじゃない。かなりおかしいよ」
でもね、と一呼吸おいて大槻は続けた。
「そのおかげで救われる人もいるんだって分かった。本当にありがとうね赤坂君!!」
その時の大槻の笑顔は、それこそ写真におさめたいほど、可憐で、温かく、まさしく天衣無縫だった。
僕は「どういたしまして」とぶっきらぼうに応えながら、ササキにもらったカメラを持ってこなかったことをひっそりと後悔した。
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