006 「詮索と拒絶」

 ササキが枢木の住所と彼女の正体について告げた後、僕はすぐさま店を出た。


「喫茶クロワッサン」から最寄りの駅まで、徒歩十五分程度かかる。僕は枢木くるるぎの姿を探しながら駅までの道を走った。


 クルルギグループ。世間に疎い僕だって知っている超大会社だ。「エンピツからロケットまで」というキャッチコピーはあまりにも有名で、文字通り様々な事業に着手している。日本四大財閥の一つに数えられる超巨大企業。

 

 枢木雪枝くるるぎゆきえがその総本家の令嬢?

 にわかに信じがたい。が、そう考えると納得がいく点もいくつかあるように思える。


 ササキとの手際が良すぎる依頼交渉。丁寧な言葉遣い。言われてみれば、いで立ちにもそこはかとなく品があるように見える。


「何かあったらボクらは一族郎党縛り首だ」

 ササキの言葉が脳裏をよぎる。嫌な想像させやがって……。


 幸いにも枢木はすぐに見つかった。時刻は七時少し手前。あたりはすっかり暗く、電灯が前を歩く枢木を照らし出していた。


枢木!くるるぎ


 僕の呼びかけに対して、枢木は即座に振り返った。

 そして呆れたような顔つきでため息をついた。


「何? 赤坂君、ストーキング?」

「訂正しろ!僕はそんなことしない!!」

 

 枢木は小首をかしげた。そして得心がいったように頷いた。

  

「そうね。赤坂君はストーカーだから重言になってしまうわ」

「違う! 文法上の間違いを指摘したわけじゃない!」


 重言。二重表現。いわゆる「馬から落馬する」「日本へ来日」などのことである。


赤坂君ストーカーのストーキング」

「だからルビで遊ぶな! 分かりにくいし、伝わりにくい!」

 

 どうやら枢木はこの遊びが気に入ったらしい。


 閑話休題。


「枢木、忘れ物だ。スタンガンとナイフ」

 僕はポケットからごつい防犯グッズを取り出した。

「あら、うっかりしてたわ。私としたことが」


 返してちょうだい。そう言って枢木は手を出した。


「……なあ、返す前にいくつか質問していいか?」

「交換条件のつもり? 意地が悪いわね」

「そんなつもりはないけど、仕事にも関係することだから」


 枢木はため息をついた。


「仕方ないわね。スリーサイズを言えばいいのね」

「違う! なんでそんな発想になるんだ!」

「赤坂君、いやらしい目つきをしているもの。 汚らわしい」


 枢木は僕をどうしても犯罪者にしたいらしい。


「ひどい言いがかりだ! 僕はそんな人間じゃない!」

「なによ。知りたくないの?」

「……。いや、違うぞ。僕が聞きたいのはそんなことじゃない!」


 一瞬ためらいが生じた自分を殴りたい……!!


「枢木。お前、枢木財閥本家の令嬢なのか?」

「……スリーサイズを教えたほうがマシだったわね」

 そう前置きしてから枢木は続けた。


「そうよ。私は、枢木財閥本家の長女。枢木雪枝。これでいい?」

 

 言質がとれた。間違いなさそうだ。すると、またいくつか疑問が浮かぶ。


「そうか。じゃあ、もう幾つか質問していいか?」

「いや、といってもするんでしょう? どうぞ」


「どうして僕なんかに依頼したんだ? お前の家だったらいくらでも高名な写真家を手配できるはずだろ?」


 校舎の裏側の掲示板に貼ってある怪しげな張り紙に頼る意味が分からない。


「言われるまでもなく、祖母が遺影を撮って欲しいと言い始めてから、私の家族は様々な写真家に依頼をしたわ。でも、出来上がった写真を見ると祖母は全部嫌がったの」

「なんでだよ」

「さあ。わからないわ。祖母は理由を言ってくれないの。ただ一言『これじゃダメ』って言うだけ。お父様や執事たちも困り果てていてね。痴呆が始まったんじゃないか、なんて言われ始めて、段々みんなまともに取り合ってくれなくなったの」


 枢木はいったん言葉を切った。そして、きわめて断定的に言った。


「でも、祖母が痴呆なんてありえない。私と話すときは、意識も記憶もしっかりしている。だから私が個人で写真家を探すことにしたのよ」

 

「そうしたら手近なところにあの張り紙があった、と」

「正直ダメで元々だったわ。できればクラスメイトにも私の素性知られたくなかったし。でも、赤坂君ならまだ大丈夫かと思ったのよ」

 

 思いもよらない言葉だった。

 

「なんで僕なら大丈夫だと思ったんだ?」

「だってあなた。友達いないじゃない。余計な拡散したくないし」


 ああ、そういうこと。何か浮ついた僕、ちょっと恥ずかしい。


「理想を言えば、ササキさんに全部お任せして、赤坂君にも知られずに終わりたかったのだけれどね」

「だから僕の同伴を渋ってたのか」

「そう。でもばれてしまったのは仕方ないわ。ねえ赤坂君」


 言葉を切った枢木は、驚いたことに深々と頭を下げた。


「お願いだから今日のこと、それから私のこと、誰にも言わないでください」


 多分、高級ホテルやレストランの接客員がするような。

 訓練を受けたものだけができる品性のあるお辞儀だった。

 

 でもそれは、クラスメイトに、先ほどまで軽口をたたき合っていた相手にするものじゃない。

 

 徹底的な他人行儀。

 誰も近寄らせないという強い意志を感じた。


 僕は、彼女のクラスでの立ち振る舞いや屋上でのやり取りを想起させた。

 

 もしかしたら。


 一言もしゃべらないのも。

 変わらない無表情も。

 大量の防犯グッズも。


 すべては枢木の素性を隠すためのものなのか……?

 そこまでして隠さなくちゃいけないものなのか?

 何か、不自然だ。


「枢木、もしかしてお前の家族……。ッ!!!」


 バチバチッ

 

 身体が嫌な音に反応する。目の前の枢木が鳴らした音だった。


 いつの間にか僕の手からスタンガンとナイフは無くなっており、持ち主の手に戻っていた。頭を下げた枢木に面食らった一瞬の隙に奪い返されたらしい。


 枢木は二つの武器を僕に向けた。その表情は初めて会った屋上の時より冷淡で、その武器で僕を壊すことに何のためらいもないことがうかがえた。詰め寄る彼女に気圧され、僕は尻もちをついた。


「詮索はやめて。仕事が終わったら、全部忘れなさい」

 

 僕は何も言えなかった。


 それは枢木からの最後通牒だ。

 あと一歩でも自分に踏み込めば、殺す。

 その雰囲気に気圧された。


 動けないでいる僕を冷たく威圧した後、枢木は踵を返して歩き始めた。


 が、何かに気づいたように立ち止まった。

 そして、前触れなく制服のブレザーを脱ぎ、尻もちをついたままの僕に向かって投げ捨てた。


「それ、捨てといてくれるかしら。タバコの臭いがついてしまったから」


 冷淡にそういうと、今度こそ枢木は足早に立ち去った。

 

 残されたブレザーは軟体動物のように力なくその場につぶれていた。

 その姿は、地面に座り込んだままの僕と同じくらい無力に見えた。

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