第91話 カルの想い人

 シュウの実家はスラムにある。

 土壁の建物で奥に細長い形状。部屋を布で仕切りにしてある。地面はそのまま土で、寝床は箱などを使ってベッドにしつらえてある。

 雨風さえしのげれば良いと言わんばかりの作りである。

 がたつく木の扉を、シュウはこじ開けた。立て付けがひどく悪く、半分程度しか開かない。


「ただいまぁ」


「あら、おかえり」


 母親のカテジナである。祖母のトメが奥の部屋から顔をのぞかせる。三人で暮らしていた。


「今日、全部売れたよ」


 そう言って、五十リギルの入った袋を母親に、シュウは渡した。


「すごいわね」


 手渡された袋の中身をのぞいてカテジナが感嘆の声を上げる。


「お義母さん、シュウが昨日につづいて花を売ってきたのよ。ほら」


 祖母に五十リギルを見せた。トメは目を細めて、

「エライねぇ」と、シュウの頭を撫でた。

シュウはえへっと笑う。


「おばあちゃん、いい人がいたのよ。その人のお陰で売れたわ」


 シュウは瞳をキラキラさせる。


「へー、どんな人? お母さんも興味あるわ。聞かせて」

 カテジナが顔を寄せる。


「アラタっていうのよ。えっと、優しそう。あとは多分……かっこいい? かな?」


「へぇ、お父さんとどっちがカッコいい?」


「お父さん?! ……なんでお父さんがでてくるの?  お父さんなんて関係ないでしょ」


 シュウにとって父親は、たまに家に来ては母親のカテジナにお金をせびるダメな大人だった。


「……そう」

 カテジナは少し悲しそうな顔をする。


「カテジナ。息子の事はそろそろ忘れてはどうかの? まだ若いのだし、もっと好い人を探した方がお前さんのためだろうよ」


 トメは、自分の実の息子ながら、ろくに家に帰らず家族をないがしろにして遊び呆けているので、縁を切っていた。


「そうは言ってもお義母さん。この子の父親ですし」

 と言ってシュウの肩を抱く。


「だから、お母さん。わたしはいいってば。あんな人、父親だなんて思ってないから」


「わしもあれを息子とは思っとらん。遊び人で博打に狂うておる。が真人間になる事はないじゃろう」


「お義母さん、それでもわたしの気持ちは……」


「お前さんは頑固で融通がきかない。はあ。困ったもんじゃ」


 祖母は、実の息子よりも、その妻と娘の方を大事にしていた。


「お母さんがあいつを信じてるのとか、そんな話はどうでも良いよ。わたしはあんな人信じてないし。ていうか、どこをどうしたら信じられるのか、不思議で仕方ないよ」



 夕刻―――

 宰相カル・ケ・アルクはスラムに赴いた。半歩後ろから、大きな皮袋を抱えたモランジャが仕えていた。

 二人はとある建物の前に足を止めた。

 皮袋をモランジャからもらい受け、ここで待つように指示する。


「こんばんは」

 戸口を叩いて、ガタつく戸口を開けそのまま入る。


「あら、カルじゃない」

 夕食の準備をしていたカテジナが顔を出した。


「カルのおじさん?」

 シュウも顔をひょっこりと出した。


「差し入れを持ってきたぞ」


 その皮袋には新鮮な野菜や肉などの食料がどっさりと入っていた。


「いつも悪いね」


「ホント助かる」

 トメとカテジナが礼を言った。

 カルはカテジナとはかつてご近所どおしの幼馴染であった。


「ねえ、食べてくでしょ?」


「いいのか?」


「もちろん」

 カテジナが片目を瞑る。

 相変わらず美しい女性だ、とカテジナの一連の仕草を見て、カルは思った。


 ◆◆◆


 食事を終えて、お茶を飲んで一息をつく。


「カルのおじさん、うちのお母さんと結婚すればいいのに」

 カルを見て、シュウがぽつりとつぶやいた。


「あらあら、この子ったら馬鹿なこと言って。カルだって困るわよ。こんなおばさん」

 カテジナがカルに本当ごめんなさいねと付け足した。


「おばさんって。お母さんまだ32じゃん。おじさんと歳も近いし、悪くないでしょ?」


「そうだな、悪くは……」


「カル。もぉ! からかわないで」

 バシっと肩を叩かれる。


「いや。別にからかっているわけでは」

 カルは目を丸くする。


「この地域はじまっていらいの出世頭よ。カルは。貴族のお嬢さんと婚姻するのも夢じゃないんだから」


「確かにそうか。宰相だもんね。カルのおじさん」

 シュウがちぇっと頬をふくらませた。


「いや。わたしは貴族とかそういうものには興味が……」


「はい! もう、この話はおしまい。わたしには旦那がいますから」

 パンっと手を叩く。


「……そうだな」

 カルはうなずいたが、複雑な面持ちだ。


「旦那って。籍も入ってないじゃん」

 シュウが露骨に嫌な顔をした。


 カルは室内を見回す。古い材木を組み合わせただけの棚。布で覆ったクローゼット。ベッドはマットレスはなく藁がしいてあるのみだ。貧しい生活である、とカルは思った。カル自身もこの界隈の出身であるから若かりし頃は同じような暮らしであったからその辛さは骨身にしみている。

 何の才も運も持たないものはここで一生を終える運命にある。


 カルは花瓶にさしてある花を見つけた。


「あの花は?」


「それシュウが育てたのよ」

 カテジナがカルの疑問に答えた。


「わたし、【栽培レベル2】のスキルを持ってるの。七日白蘭華を育てて売ってるのよ」


 それにシュウが付け足す。


「ほお。ではわたしも買おう」


「いいよ、そんなの……いつも色々してもらってるし」

 シュウは人に借りを作りたがらない。母に似て律儀な性格だとカルは思った。

 シュウは花瓶の花を取ってきて、「あげるわ、いつものお礼」と言ってカルに手渡した。


 ◆◆◆


 家の外に出るとすでにスラムの町は闇に沈んでいた。

 モランジャがランタンを灯して立っていた。待つように指示してから一歩も動いていなかった。


「カル様。その花は?」


「シュウからもらったものだ」


 花を顔に近づける。甘くやわらかな香りがした。

 思わず顔がほころぶ。

 ふとカルは遠くの建物を注意深く見つめた。


「ネズミか」


「そのようです」

 モランジャも同じ方向を見た。


「それを追いかけるネコ……いや、あれもネズミか。ネズミ同士のケンカだな」


「どうしますか? 加勢しますか?」


「いや、ネズミはネズミにまかせておけば良い。それにあれはゲイリー・オズワルドのネズミだ。放っておいて良い」


 先程の食事の時のような優しげな表情はすでに消えていた。

 冷徹冷酷な眼だけが暗闇でギラギラと光っていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


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