第82話 アラタ、夢を見る

「君さあ、彼女できた?」


「え? 何が?」


 アラタは一瞬何を言われたか分からなかった。

 見渡せば孤児院の施設内である。手にほうきを持っている。どうやら自分は施設で掃除をしているようだ。

 正直、掃除は好きではない。だが、施設で世話になっている孤児は日替わりで日課が与えられており、それをサボる事は許されない。

 無償で生活の面倒をみてもらっている。

 親のいる子供なら当たり前の事も、ここでは特別な事。施設のルールは順守しなければならない。

 アラタは、めんどくせー、と思いながらも箒で廊下を掃いていた。ホコリが窓から射す光に照らされて空気中をキラキラと舞っている。

 それをぼーっと眺めてしまう。

 眠いし、たるいし、眠いし……。

 掃除がまったく身に入らない。


「だから、キミ。彼女できたっの? って聞いたんだけど」


 しびれを切らしたのか、彼女が振り向いた。同い年。同じ孤児である彼女。幼なじみ。シスターである彼女。

 よく知っているはずの人。

 だが、それにもかかわらず、その女の子──名前も顔も霧がかったかのようで、はっきりしない。


(こいつ、誰だっけ。すごく知っているはずなのに……なんでこんなにぼやけているんだ?)


「驚いてるようだけど? ボクはキミのことは何でもお見通しなのさ。隠し事なんて出来ないんだからね」


 なんだか懐かしい。

 でもホントに彼女のことは記憶からすっぱりと抜け落ちている。

 思い出さなければならないような気がした。


「まあ、出来たといえば出来たような……?」


 口が勝手に動いた。あれ?


「そうか……やっぱりね」


 その女子は予想が当たっていたにも関わらず、ひどく寂しく笑っている。


「ちなみにその子の名前は何て言うんだい?」


「安藤琴子。クラスメイトだよ」


「ふーん。琴子ちゃんか。どんな子?」


「けっこうかわいい」


 はっ、ノロケちゃって! と彼女は苦笑いをする。


「どーやって君が落としたっていうんだい? 君って異性に全然モテないじゃないか」


「……さあ、なんでだろ。たまたま?」


 彼女の言い様はヒドイが、全くもってその通りである。


「そっか……でも良かったね。アラタ君」


「ありがとう。***もその内、カレシできるだろ? 昔からモテモテだし?」


「いや、そうでもないよ。ボクは本命にはモテない」


「ふーん、そんなもん?」


「そんなもんさ」


 自分は確かに彼女の名前を呼んだ。だけど、記憶に残らない。

 シスターの格好をした幼なじみ。顔もボヤけてるし、名前も思い出せない。

 うーん……。


「え? アラタにいちゃん。カノジョできたの?!」


 開いたドアから、女の子が部屋にバタバタと入ってきた。


「なんだよ。真琴、聞いてたのか? 盗み聞きすんなよ」


「ち、違うわよ。聞こえてきたの! そんな事するわけないでしょ」


 あわてて否定するこの子は真琴。中1。この子の事は覚えてるようだ。


「えー!? アラタにいちゃん、春来たじゃん」


 またゾロゾロとやってきた。この男の子はタカシ。中3。これも覚えてる。


「………」


 ジーッと何か言いたげに見つめてくる女の子。千紘ちひろ。中3。うん、記憶にある。


 この光景、この会話、施設の人達、全て現実にあった出来事だ。

 これは夢だ。自分の過去にあった出来事を夢として見ているのだ。

 異世界に来てからというもの、度々、元の世界の夢を見る。

 

 でも、シスターの格好をした同い年の女の子。彼女の事だけが思い出せなかった。


 ──無理に思い出す必要はないよ──


 ──それって、どういう……?───


 ふと次の瞬間、彼女の匂い、やわらかな感触が全身を包み込んだ。

 それはあまりにも、甘美なものだ。そのまま埋没していく。


 ひどく懐かしい。


 会いたい。


 ◆◆◆


 虚ろ気に目が開いた。

 霞んだ景色の中で、誰かが身支度をしている。

 アラタは施設に住んでいた時の礼拝堂のロビーにある石膏像に想いをはせた。

 あれに似てる。


 ──女神エイリス──


 アラタが元の世界で世話になっていた孤児院。その施設は教会だった。そこではカルト的な宗教を信仰していた。

 女神エイリス。アラタはそこで毎朝ミサに参加していた。およそ強制的であったものの、それが生まれて間もなく、施設に引き取られたアラタにとっては自然な事だった。


(正直、なんの教義をしていたとかは覚えてないけど、祈ってれば何の問題もなかったし?)


 寝ぼけ眼で、元の世界の事を考えていると、その女神はこちらにやってきた。


「お目覚めですか? アラタ様」


「……女神かと思ったら、ソフィア王女だったか」


「あら、お世辞でも嬉しいですわ」


「何か、夢を見ていた気がする……大事な何かを……」


 ぼやけた頭で、アラタはつぶやいた。

 夢、ですか? ソフィア王女はキョトンとした。


「お疲れのようでしたので、処置を施していただきましたわ」


 そう言ってアラタの額に手をやる。


「え? あ、そうなんだ。ありがとう」


「いえ、我が国にとって勇者様は宝ですから」


 アラタに微笑んだソフィア王女は治療室のドアを開けた。

 廊下のベンチシートで、サラとミンファが待っていた。

 寄り添ってうたた寝をしているようだったが、ドアが開いた音で、二人はすぐに目を覚ました。浅い眠り。心配であまり寝てないのだろう。


「アラタさんの容態はどうですか?」

 

 ソフィア王女に、ミンファは尋ねた。


「峠は越えたわ。もう大丈夫ですわ」


 峠もなにも、ただの過労である。

 二人はソフィア王女の発言を聞いて、ホッとする。

 サラは、ソフィア王女に、ありがとうございます、と頭を下げた。


「当然の事をしたまでです」


((さすが、王女様だわ))


「王女、お迎えに上がりました」


「あら。では私はこれで」


 タマキが絶妙なタイミングで王女を迎えにきた。馬車に乗り込み、王女は城の方へ帰って行った。


「アラタさん、今日は大事をとって休まれたらどうですか?」


 サラの助言にミンファもぶんぶんと首を縦に振る。

 アラタは、のびをした。


「その必要はないと思う。調子が良い」


 疲れきっていた身体は、嘘のように回復していた。

 血色も良く、力がみなぎる。昨日までの疲れがウソのようになくなっていた。ソフィア王女の回復術は素晴らしい。

 一瞬、慈愛の治癒師を使ったのでは? と思ったが、さすがにあんな事は何度もしないだろうと考えた。


 うん、でもなんか柔らかいものにつつまれていたよーな……。


「元気でもなんでも安静にすべきです。倒れるなんて余程です!」


 ミンファがぐいっと近寄る。いや、顔が近い……。


「目の下に隈……ミンファの方が余程疲れてないか?」


「えー?! ホントに?」


 そう言ってミンファは洗面所へ走る。「ほえー、スゴイくろーい。ひぇー。やだぁ」と聞こえてきた。


「サラさんも何か悪いね。付き添ってくれたんだろ?」


「そんなの当たり前ですよ。だって私のせいであんな事になってしまったんですから」


 ちょっとやつれたか?


「気にしないでくれ。いつも世話になっているっ──て昨日もいったっけ?」


「そうですよ。でもホントに大丈夫ですか?」


「あー大丈夫だって」


 そう言ってアラタは立ち上がった。


「それより、サラさんは今日は休んだら? 寝てないんじゃないか?」


「そうですけど、ギルドの仕事って忙しくて……」


「そういうところブラックだよな」


「え?」

 自分にも経験がある。アラタもサラと同じように社畜になっていた。


「ま、休めといってもサラさん真面目だから、簡単に休めないか。でも無理はするなよ」


「それはお互い様です」





 ↓↓↓↓おまけ


 馬車の帰り道。

「王女」

「なーに? タマキ」

「丁寧に、ドアに魔法による施錠までしてましたね」

でしたからね」

「ウソついてますね」

「何の事かしら」

「やったな?……」

「 何の事かしら」

「いーですか? 王女はこれから王族としてよき縁談があるのですから、あまり軽率な行動をされては困ります。変な噂が立ったらどーするんですか?」

「あら、タマキ。私は別によろしくってよ?」

「はい?」

「アラタ様なら、その

「ダメです! 絶対! 王族には王族に相応しい相手がいますから。アラタ様には私のような庶民的な女性が妥当かと」

「シロ家は庶民的じゃないわ。それにアラタ様は王女直属騎士プリンセスオーダーですから、問題ないですわ」

「いやいや、それは半分騙した形でやってますから」

「いやいや、人聞きの悪い」

「いやいや」

「いやいや」



 何だこの会話……と馬車の手綱を握る御者は思った。


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