第46話 アラタ、百年鈴蘭華を採りに行く その3

 クロエは自宅に戻って、部屋着に着替えた。

 風呂場に行き、湯を張る。

 ここ数日はこんを詰めていた。

 アラタはあんな感じなので、何を考えてるか分からない。

 クロエを初めとして周りの人達の方が、心配している位だ。


 そろそろ風呂に入ろうかといった頃に、扉をノックする音が聞こえた。

「はい、どなた?」

 扉を開けるとアラタが立っていた。

 アラタは挙動不審で目が泳いでいる。

 持っていた白い花を差し出すと、

「これ、良かったら。今まで迷惑をかけたお詫びに」

 と言った。

 クロエはそれを七日白蘭華なのかはくらんかだと思った。

 学生の間で流行ってるイベントだったが、当時クロエも良く貰っていた。

 男子生徒だけでなく、女子生徒からも貰っていた。


 作法として、お友達としてしか付き合えない場合はそのまま花を貰ってドアを閉める。

 恋人として相手を認める場合は、花を貰って頬にキスして部屋に招いてお茶をするという。


 クロエは、アラタからその花を手渡されると、

「ありがとう。お気持ちは嬉しいわ。でも、アラタは勇者の訓練に集中してね」

 と、言って戸を閉めた。

 アラタはクロエの笑顔を久々に見た気がした。

 それに満足して踵を返し、宿舎へと向かった。


 クロエは扉を閉めた後、扉に背を預けて高鳴る胸を押さえていた。

「何なのかしら、アラタは」

 さしずめ誰かの入れ知恵なのだろう。

 こちらの世界の人間ではないアラタがこのイベントの事など知る由もないのだ。

 クロエ自身は、嬉しいのだが、それよりも勇者の教育係としての義務感の方が勝っていた。

 アラタは好みの男性ではないし、何より知り合ったばかりの人と付き合うというのは躊躇するというものだ。

「それにしても、凄く綺麗な七日白蘭華なのかはくらんかだわ」

 根も付いていて、鉢植えに植えれば、文字通り七日はその美しさを楽しめそうだった。


 リィィィィイ……リィィィィイ……


 とても綺麗な鈴の音が鳴った。

「……え?」

 クロエはその花をまじまじと見た。


 ◆◆◆


「はあー、つ、疲れた……」


 アラタは宿舎への道で体力の限界を迎え、脇の芝生にへたりこんだ。

 夜の海にかなり長いこと入っていた上に、突貫で帰って来たので、流石に体調が悪くなっていた。

 少し休んでから宿舎に戻ろう。そんな事を考えていると、

「アラタ!」

 クロエが走って追いかけて来た。

「どうしたんだ? クロエ。そんなに息を切らして」

 自分が何か粗相でもしたのではないか。

「どうしたんだ? じゃないでしょ。こ、これ本物じゃない。本物の百年鈴蘭華ひゃくねんすずらんかでしょ? どうしたのこれ?!」

 クロエは、座り込んでいるアラタに四つん這いで迫った。

「海まで行って採って来たんだが……」

 アラタはキョトンとしていた。

「キラービーはどうしたのよ? この花の近くにいた筈よ」

「あー、あれなら倒した」

「倒したって……!」

 開いた口がふさがらないとはこの事か。


「ねぇ、アラタ。これを採るのって凄く難しいのよ? 命懸けだったんじゃない?」

 クロエはこの花を採る事がいかに大変か知っていた

 高所でキラービーとの戦闘があるのだ。

 上級の冒険者でも躊躇する程であるし、そもそも採りになど行かない。危険過ぎる。

 だが、アラタは

「それでも目の前にあるなら採りに行くだろ?」

 単純に、欲しいものに飛びつき、それを手に入れるために行動した。ただそれだけの事なのだ。

「アラタ、命が幾つあっても足りないわよ」

「でも、生きてる。ちゃんとクロエに届けたぞ」

「私、欲しいなんて一言も言ってないわ」

 アラタが命を落としては元も子もないのである。

「俺がクロエにプレゼントしたかったんだ。クロエは迷惑だったか?」

 アラタは自分が結局空回りしてしまったんだと思った。

「迷惑なんて、そんな……」

 クロエはかぶりを振る。

「嬉しいわ。とっても!」

 アラタが命懸けで採って来た百年鈴蘭華ひゃくねんすずらんかである。

 迷惑なはずは無い。

「ごめんなさい、アラタ。こんな素晴らしい贈り物してくれたのに、私ちょっと冷たくあしらったと思う」

 アラタはクロエの言っている意味がよく分からなかった。

 首をかしげる。

 クロエは、アラタがこれを渡す事の意味を知らないんだと思った。

 クロエの動悸が激しくなる。

「これを渡された女性はね。男性にある事をするのよ」

 クロエは意識が途切れる。

「? ……何?」

 そう言うが早いか。

 クロエはアラタに口づけをした。

 アラタは目を剥いた。クロエの唇は柔らかかった。

 唇が離れたクロエと目が合う。

 一瞬、猛禽類のような眼光を発したクロエであったが、急にハッとした顔になり、青ざめて、赤くなった。

 アラタはクロエの次々に変わる顔色を面白いなと思った。

 唇がわなわなと震えたクロエは

「ち、違……、ホントは頬にキスしようと……わ、私は……一体何を?!」

 猛スピードでアラタから離れて、クロエは自分の家へ猛ダッシュで駆けて行った。

 アラタは呆然と、それを見送った。


 ◆◆◆


「クックック……」

 それを単眼望遠鏡で、覗いている者がいた。

 カナリン・シュリンプス騎士団副団長だ。

「あっはっは! 面白いなぁ、クロエ騎士団長は。さしずめ、あの花を貰ったお返しにほっぺに、チュッてやる予定だったんだろぉけど。身体がアラタ君を求めちゃったんだねぇ。もぉ、我慢できなぁい、みたいな。無垢な心と、成熟した身体を持ったアンバランスな所が、クロエ騎士団長の魅力だねぇ」

 カナリンは仏様が飴を舐めたような顔をして、うんうんと満足に頷く。

「それにしても、おかしいのはアラタ君だねぇ。対価と報酬が合ってない気がするんだけど。あれは、すぐ死んじゃいそぉだねぇ」

 カナリンは、単眼望遠鏡でアラタをじっくり観察する。

 全く普通のどこにでもいそうな、何の取り柄もない男に見える。

「僕も彼に興味持っちゃったよ」

 大きな乳が、ぶるんと震えた。


 ◆◆◆


 アラタは、何が起こったのか良く分かっていなかった。

 クロエに口づけをされたのは分かっていたが、何がどうなって、こんな事になったのか混乱していた。

 もちろん二十歳はたちの若い男性である。

 嬉しく思っていたし、興奮も覚えていた。

 久しぶりに女性にキスをされた気がした。琴子とキスをしたのはいつだっただろうか。

 だが、疲労と混乱がピークを迎え金縛りにあった様に動けない。

 そうして、どれ程の時間が経ったのか。早朝の肌寒さも影響し、身体は完全に冷えきっていた。


「ぃいーーーっ、ぐしっ!」

 アラタはくしゃみをした。

 風邪を引いたようである。

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