第37話 ルーキー

 どんな職業を選ぼうとも初心者から始めなくてはならない。


「おう、ロイズ調子はどうだ?」


「えー、ボチボチですよ。ははは……」


 冒険者ギルドのある大通りの往来で、見るからに強そうな巨漢の男に肩を抱かれて萎縮する華奢な男がいた。

 それを遠目に見ている冒険者は、あー、まただ、と憐憫のまなざしを送る。とはいえどうする事も出来ない。

 巨漢の男は名をキョウキという。ギルドランクAの冒険者。鍛え上げられた筋肉が隆起しており、目付きも鋭く、身につけた装備も一級品である。齢は三十歳。ここまで腕一本でのしあがった無頼漢である。

 対してロイズと呼ばれた男は、ギルドランクFの新人冒険者。まだ体は出来上がっておらず、粗末な鎧。十八歳であるがまだ幼さが残る。

 実績、経験、能力は天と地程の差がある。

 ランクAといえば、冒険者ギルドでは頂点の人材だ。それ以上となると、ギルドマスターである剣聖アイザック・グローリアや大魔法使いゲイリー・オズワルドがランクSに相当すると言われている。

 つまりキョウキに意見できる者は同じランクAの冒険者のみ。

 だが、この男に意見しようものなら、即座に荒事となる。冒険者は怪我するような余計なリスクを負わない。

 よってランクAの冒険者であろうと彼に意見する者などいない。


「だからよぉ。ロイズ。俺様はお前の事が心配なワケ。ルーキーっちゃ聞こえはいいけどよお? 要は初心者だろお? だから俺がご教授してやろうってんだ」


「ははは……」


 ロイズは笑うしかない。こいつの目的は一つしかないのだ。


「だからよぉ。一回お前らのパーティーに俺様を入れてくれや。一緒にクエストに行こうぜー」


「いやー、何というか……」


 脂汗が出てきた。こいつを自分が所属するパーティーに関わらせるワケにはいかない。


「なんだよ? お前、俺様のありがたーい力添えを断ろうって言うのか?」


 キョウキに捕まれた肩がギリギリと痛む。苦悶の表情を浮かべる。余りの痛さに吐き気すら催す。


「どうした? 顔色悪いじゃねえか」

 

 吐く息も臭い。顔を近づけるな。そう思ったが口には出来ない。


「うっぐぐ……あ、あの……今日の所はこれで」


 捕まれた肩の痛みとキョウキの吐く臭い息のせいで意識が遠くなりかけながらも、ロイズは懐から五十リギルを差し出した。


「はあ? それじゃあ、俺様がまるでタカったみたいじゃねえか?」


「いえ、これはホンの気持ちです。心配してくれた僕からの感謝の印というか……」


 ロイズとしては情けない限りだ。だが、これで穏便に済むならそうしたい。


「そおかあ? じゃあ遠慮なく……」


 キョウキはロイズの金に手が延びる。ああ、これでしばらくはカチコチの固くて安いパンと水で空腹を凌がねばならないだろう。宿も馬小屋で馬の糞と藁にまみれながら寝るしかない。だがロイズはそれで良いと覚悟した。


「何してんの、ロイズ? 皆と約束してたのに来ないから迎えに来たよ」


 女性の声が自分を呼ぶ。


「ミンファ」


 ロイズは内心、頭を抱えた。

 ミンファはロイズと同じ村の出身である。二人とも冒険者としてのスキルを取得していたので、ロイズが誘って王都で冒険者を始めたのだ。

 彼女の栗色の髪が風に揺れている。レザー製のライトアーマーの首もとはざっくりと開いていて、彼女の胸がこぼれそうだ。本人いわく、そうだ。何度かギルドの依頼を受けて少しずつ冒険者として体が引き締まってきているが、女性としての柔らかさも失ってはいない。それが男達にとってはらしい。

 戦士として前衛に立つ彼女であるが、ロイズと同じでランクFの新人冒険者である。十八歳の彼女はつぼみから満開の花を開こうとしている美少女だ。


「ロイズ、皆待ってるよ。夕飯に行くんでしょ? 何してるの?」


「これはこれはミンファじゃあねえか。相変わらず可愛いじゃねえかあ? こんな奴ほっといて俺とどっか行こうぜー」


 キョウキはロイズを押し飛ばして、ミンファに歩み寄った。

 要するにキョウキはロイズのパーティーに協力すると見せかけて、このつぼみを食べてしまおうというのだ。

 ロイズはそれが分かっていたので、何とかやり過ごそうとして四苦八苦していたのだ。


「ロイズ! 大丈夫?!」


 ミンファが、ロイズに駆け寄ろうとするのをキョウキは手首を掴んで止めた。


「痛った! ちょっと離してよ」


「いいじゃねえか、つきあえよ。お前ランクFのルーキーだろ? ランクAの俺様が冒険者としての心得を教えてやろうって言ってんだろ? 朝までな。ギヒヒヒヒ」


「ふざけないで! だ、誰か!」


 オロオロするだけでロイズは何も出来ない。ランクAのキョウキはあまりにも強い。周りの人間も遠巻きに見ているしかなかった。


「朝までたーっぷり可愛がってやるからよ」


 ミンファに戦士としてのスキルがあったとしても、レベルは雲泥の差であるために全く抵抗できない。捕まれた手首は全く動かなかった。


「や、やめてよぉ……」


 ミンファは今にも泣き出しそうだ。


「く、くそ。その手を……」


「あん?」


「ひっ!」


 ロイズが勇気を振り絞って止めようとしたがキョウキの一睨みで萎縮してしまった。

 もうどうしようもない。


 ──そう思ったその時だった。


「ちょっと、通してくれないか? あんたが入り口の前にいるから入れない」


「あん?」


 キョウキに一声かけた男は、はっきり言って弱そうだった。

 アラタである。

 人付き合いが苦手のため空気を読んで行動するような勘の良さはない。

 アラタは藤堂トモヤの手紙を見つけ、この国について不信感を募らせていた。が、自分はまだ力不足であり、王都の裏側を探るにはまだ早いと考えていた。

 ブルベアとの激戦を終えたところで、本来なら休息するべきである。

 それでもアラタは一ヶ月という短い勇者の訓練期間の内に、無茶をしても強くなるべきだと考えた。

 だからこうして、経験を積むために冒険者ギルドにやって来たというわけだ。


 ギルドに行く予定があったから、そのまま歩みを進めてしまったワケだし、入り口を塞いでいるキョウキ達に、通してくれ、と声をかけたのだ。


「あとにしろ」


 キョウキはミンファの髪に自分の鼻を押し付けて匂いを嗅ぐ。


「や、やめて……」


 ミンファは力なく呻く。


「そうは言っても、俺はギルドに用があるんだ」


 時間は有限であり、無駄には出来なかった。

(うっとうしいなあ、コイツ。ボコボコにしてやろうか?)

 キョウキはアラタにイラッとしながらも、ギルドの入り口を閉鎖する事に意味はないし、今はミンファとの逢瀬の方が大事だ。大した問題ではないと道を譲った。


「ほらよ。さっさと行け」


「どうも」


 アラタが冒険者ギルドのドアノブに手をかけた。


「ち、ちょっとあんた、助けてよ」


 ミンファがアラタに助けを求めた。


「え? 助けてって?」


 アラタはようやくここにきてミンファを見た。


「今、私はこの人に絡まれてるのよ。男なら助けるのが普通でしょ?!」


「いや……そう言われても。普通にイチャイチャしてるとしか……」


「そんなワケないでしょ?! あんた見て分かんないの?!」


「だけど、皆、見て見ぬ振りというか、そこの男もただ突っ立っているだけだから、やっぱりイチャイチャしてるのかと」


 アラタはロイズを指差した。ロイズはうっ、と言葉に詰まる。


「ち、違うわよ。あんたバカなの?」


「そ、そうなのか? じゃあ……おい、あんた。その手を離すんだ。彼女が迷惑してるだろ?」


 アラタの物言いには大した迫力などない。キョウキはポカンとした。

 一瞬何を言われているのか分からなかった。

 自分にそんな事を言う冒険者など皆無だからだ。

 だが、アラタの言葉の意味を理解するとキョウキは鬼の形相になった。

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