第86話 下水道に潜む怪物

 何かが掘ったトンネルといった中を進むオッド。

 手に持つランタンが、土壁を照らす。壁を良く観察すると、何らかの樹脂で固められている様である。

 オッドがその半透明の樹脂を触ってみた所、硬かった。トンネルが崩れてくる心配はなさそうだ。

 下水道とは違う独特の匂いが漂ってくる。

「何だ?」

 オッドは訝しげに進む。それは随分と奥まで続いている。

「うっ! ゴホッゴホッ」

 しばらく進むと匂いが強烈になってきてオッドは咳き込んだ。手ぬぐいで口と鼻を被う。

 ランタンを掲げて目をこらすと、部屋の様に広くなっていた。暗く湿気が強く、匂いもキツイ。下水道とはまた違う匂い。生臭いものが、腐ったような匂いだ。

 オッドはさらに奥に部屋があるのを見つける。恐怖を感じていたが、好奇心がそれを凌駕した。恐る恐る入ってみると、

「何だこれは?」

 言ってみれば何かの研究所の様であるが、オッドはそれすら分からない。ただ物珍しく恐ろしかった。

 何かに滑ってオッドは転んだ。

 ブヨブヨなゼラチン質の何かである。踏んで滑ったために、足裏で擦りつぶしてしまった。

 それは人間の手であった。

「ひっ!」

 オッドは思わず声を上げた。


 良くみると、あちこちにゼラチン質の人間らしきパーツが転がっている。

 匂いの元は、これらが腐っているからだった。

 また、大きなガラスケースに詰められている肉塊もあり、これがまた強烈な匂いを発生させていた。

 オッドは思わず嘔吐えずいた。


「オッド!」

「ひっ!」

 その声に驚くオッド。ケントとランドである。二人とも汗をかいて、息も荒い。

「何だよ、二人共、おどかすなよ」

 だが、ケントとランドはそれには答えず、

「な、何だこの部屋……」

 二人共、部屋の異常性に気を取られていた。

 だが、すぐにハッとして、

「お、おい大変だ、何とかしてここから逃げ出さないと!」

 ケントは必死である。

「だから、何があったんだよ」

 オッドは少し苛ついていた。


「驚くんじゃあないぞ? パーカーとビージが死んだ」

 ケントの声は震えていた。


「は?」

「だから死んだんだって」

「……」

 急な話でオッドは言葉に詰まる。何とか絞り出した答えは、

「いい加減な事を……俺を担ごうったって──」

「嘘じゃねぇよ!」

 ケントが声を荒げる。

「ち、ちょっと……静かに!」

 ランドは注意した。ケントも自分の口を手で塞ぐ。


「……一体、何があったんだ?」

 オッドは二人の状態から、それが冗談ではないと分かった。

「俺達は、お前がこの不気味なトンネルに入った後、パーカーとビージに合流してお前を連れ戻そうと考えたんだ。俺達二人はビビっちまってたからな。最初に見つけたのはパーカーだった。パーカーはうつ伏せに倒れていて……俺達は大丈夫かと助け起こそうとした……そしたら、顔にデカイ穴をあけて死んでたんだ……。俺達は取り乱してビージを探した。ビージは、向こうの方に突っ立っていて、俺達は遠くから声を出してビージを呼んだ。そしたら……首が落ちたんだ。ビージは倒れて……そして、得体のしれない怪物がいたんだ!」

 ケントはあまりの恐怖に、頭を抱えうずくまった。呼吸困難気味なのか、ひゅーひゅーと両肩を震わせている。

 二人は元来た道を走ってここまで着いたという。結局ここまで一本道で、他のルートは鉄格子がかかっていて通れなかったという。


 オッドはある疑問を口にした。

「この部屋がその化け物のねぐらって訳じゃないよな?」

 それは自分に言い聞かせようとした言葉であったかもしれない。

 ここで化け物をやり過ごし、それから下水道の入り口まで逃げようと希望をホンの少し持っていた。

 だが、それは自分に都合のいい考え方である。この異常な部屋と、化け物の存在を切り離して考える事自体が不自然な事である。

「……」

 それを裏付けるように、ケントとランドも言葉を発する事が出来なかった。


 ぬちゃり……


 三人はずぶ濡れの人間が発する様な足音を聞いた。

「灯りを……!」

 ランタンの灯りを消して、三人は物陰に隠れる。

 しばらく息を潜めていたが、何者かが、天井に設置してある魔石の照明を付けた。

 魔石自体の性能が落ちているのであろう、それは切れかかった電球の様に明滅を繰り返す。光量も低くなっていて薄暗い。

 オッドは、その明滅する灯りの中で、更に奥に部屋があるのを見つけ、そちらの部屋に移る。

 オッドは部屋に入る際に、後ろを振り返り部屋の様子を見た。

 オッドに続こうと、移動を開始したケントであったが、ケントの顔面から触手の様なモノが突き破って出てきた。

 ニュルニュルとしたその触手の先にはケントの肉の一部が付いている。

 触手はケントを持ち上げると、後ろに投げた。

 部屋の壁にケントの体が激突する。

 即死である。

 ランドは、恐怖のあまり飛び出して、こちらに走り出す。

 オッドはドアの隙間から差し込む光を頼りに物陰に隠れた。

 ランドがドアを勢いよく開けて部屋に入ってきたが、その瞬間、首が不自然な方向に曲がりねじれた。

 足だけは止まらず部屋の真ん中まで、歩いて倒れた。

「ひっ……!」

 思わず声が漏れたオッドだ。

 身を伏せ、息を潜めて神に祈る。

 教会には久しく行ってないオッドであったが、何かにすがりたかった。

(神様! お願いします。もし助かったら、家族を大事にします。ギャンブルも辞めて真面目に働いて嫁も籍を入れて、娘もきちんと学校行かせて……と、とにかく命だけは……!)

 どれ程の時間が経ったか。

 オッドは少し体を上げて、部屋の様子を伺う。

 ここにもガラスケースにブヨブヨの人間らしきモノが入っていた。

 気持ちの良いものでは無かったが、オッドは部屋に誰もいないと判断すると、部屋を出る事にした。


 ドアを出る際に、ふと視線を感じ後ろを振り返った。


 

 ガラスケースの肉塊の後ろから覗いていた。

 目が合う。

 オッドは動けなかったが、それの触手は容赦なく動く。

 二本の触手がオッドの顔を貫き、顔を裂いた。触手は体の下まで降りて股下まで裂く。

 頭頂部だけが繋がったオッドの開きが出来上がった。

 は満足気にオッドの死体を眺める。触手が伸びて三人の死体を空のガラスケースの一つに全員を押し込め、そして蓋を閉じた。


 死の間際、オッドが想ったのは、仲間の事ではない。籍も入れなかった妻と子供の事だった。もう少し家族のために真面目に生きれば良かったと後悔したが、そのチャンスは訪れる事はない。

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