権威性の獲得

ぐしゃ

1つめ

 僕の叔父が狂って七年になる。最新式のトランキライザーを、日に七度も注射されてようやく常人のように振る舞う程度の重症だ。しかしつい先日、「面会も可能な人間性を回復した」との一報が届き、唯一の親族である僕が山奥の病院まで呼び出されているというわけだ。しかも今まさに、この狂った叔父を引き取る話が始まろうとしている。情というよりか法の問題である。困ったことに、この国の法律はこの狂った叔父を私の生活に侵入させたいらしい。引き受けるのが国民の道理なのだという。


 冗談はよしてくれ。税金とはなんのためにある。叔父のような壊れた男を山の奥深くに封じ込めて、都市の空気を健やかにするためにあるのではなかったか。どうして僕がわざわざ貴重な休日を潰して狂人と会わねばならない。叔父の主治医とのたまう目のぼやけた老人に、いかにも人情節のきいた教説をとくとくと喰らわねばならない。それも、いかにもこれが人間の、人類の普遍的な義務であるかなにかのように。あの狂人をただ同じ手と足の数、それとほんの少し血が近いだけの理由で。


 何かの罰か?僕が何をした?


 自慢ではないが、僕は典型的な優良納税者だ。家庭もあり、ローンは35年ときてる。妻は3つ歳下、子供は6歳で、最近は幼稚園に行くのをぐずっている。簡単にいえば、ここんところ僕の人生は全く道徳的だったのだ。


 そこに、この壊れたクソ野郎だ、畜生!


 大体、叔父を引き取れるわけがない。僕の家は都市の三人暮らしに最適化されているし、今年は小学校に通い始める僕の息子に悪い影響を与えるに違いない。それも、とことん悪い影響だ。


 そうだ。この担当医に言ってやるのだ。


「先生、先生。よくわかります。引き取り手が法の上では私でしかありえないということ。そして、私がなければ、あの狂った男をずっと先生のもとに引き止めなければならないこと。お気持ちはわかります。よくわかります。ですがね先生、だからこそ私は引き受けるわけにはいかないのです。あれが半端な犯罪者であれば、喜んで引き取ります。私の家族はいたって道徳的ですからね。枠から外れたものを引き受けるのには、むしろ私の家しかありえないといったぐらいには道徳的です。しかし私の叔父ときたら話が違います。それはまるで、『患者の面倒を見ろ』と呼ばれてみたら病原菌を打ち込まれた、ぐらいに質が違うのです。そうです、今やあの男はこの山から一歩も出してはならないのです。先生はそれをご承知でないのだ。


 あの男、私の叔父は七年前まで、人を見つけては何かと関係を持とうとするやましい男でした。歳の割にはよくできた身なりと狂人特有の口の上手さで中年女性から幼児まで誰かれ構わず強姦しては、


『生物がする活動が道徳と衝突するなら、それは道徳が理にかなっていない証左なのだ。』


 そう言って何度非難されても聴く耳を持たない狂人なのです。それに、それだけではありません。叔父はもっと惨たらしいことに、その悲劇の被害者たちを一種の支配下に置くところがありました。これは実に恐ろしい彼の性質で、これを聞けば、先生が私に命ずることの異常性が理解できることでしょう。あの男を私の家に引き取れなどというあなたがたの無慈悲がどれほとのものかが明らかになるでしょう。


 つまりこういうことです。彼は犯した人間、言い忘れましたが、これは男女を問いません、恐ろしいことですが、ともかく彼が犯した人間にもれなく好かれる特異な性質があるのです。べた惚れです。彼がコトを起こせば、その直後、魔術めいた力で強姦が和姦という話にすり替わっているのです。


 叔父本人が言うのではありません。彼は凡そ人間らしい話はできないのです。彼にできるのはせいぜい、件の人間の本能が道徳とウンタラカンタラといった、いかにも青臭い活動家が踏み散らかしたかのような堅苦しい哲学もどきです。この話の厄介なのはですね先生、彼に関係を強いられたはずの被害者たちがともかく『彼は悪くない』と泣きついて仕方がないところなのです。なんならそのために自殺すらしています。


 大げさではありません。実際にこれをご覧なさい。これはこの国が認めた公正なる情報源たる新聞です。自殺数の増加がやけに叫ばれていましょう。先生はこの原因をご存知ですか。これは皆、私の叔父を解放しろという被害者たちの決死の訴えなのです。あるものは2年前、国でも一番高い塔から飛び降りましたね。知らないとはいわせません。国を挙げての大騒ぎとなったのですから。先生がいくら山で狂人の世話ばかりしているとはいえ、耳に入らないわけがありません。新聞曰く、こうです。


『少女は齢十四の前途有望な国民である。彼女は一二月の三日、この国唯一の狂人〇〇〇 △△△△△への下卑た愛の告白によって貴重な命を全くの無駄にしてしまった。彼女は凡そ女性らしさとかけ離れた服装で国の象徴たる尖塔に一人よじ登ると、服の上から己のヴァギナをその先端に突き刺し、絶叫ともに狂人の名を叫び続けた。当然、塔は彼女を引き裂き、鉄塔の天辺から下一〇メートルは、今も彼女の身からこぼれた血液と内臓の一部がこびりついている。これは哀れな道徳的国民の慟哭であり、同時にあの妖術師めいた狂人の魔力の非常識な影響力をまた我らの胸に刻み込んだ。』


 思い出されましたか先生、これは吸血鬼伝説などといった与太話ではありません。つい2年前、信頼に足る情報源からもたらされた全くの真実なのです。こんな辺鄙な

隔離病棟に、失礼、都から自動車で半日もする土地に縛られながら、私の叔父のいやらしい精神汚染は留まるところを知りません。私は先生がどうして正気でいられるか不思議で仕方ありません。あの男の側にいれば、たとえ関係を持たずにしたってあのインチキな思想にやられる危険があるのですから。


 それか、もう先生は異常者ではないでしょうか。あの男を、私の家に抱えこめというのは、はっきりいって正気ではありませんからね。ご自身でもそう思い始めているのではありませんか。あなたがたがしきりに口にするその最新の鎮静剤、トランキライザーもどこまで役に立つのやら。いいですか、たとえ脳みそをいじくり回したところで、彼は変わりません。いえ,彼を知るものが、必ずや彼を再び彼たらしめるに決まっています。


 あの男の本質をご存知ですか。つまり、あれの真名、まことの性質をです。彼が狂人として生まれ、狂人としてあり続けるその由来のことです。私は知っている。故に恐ろしい。それは論理的に理解できないと論理的に理解できるが故の圧倒的な恐怖です。彼の本質は流動的で相対的なのだ。だからこそ彼は捉えどころがなく、かろうじて思想のみが彼を形容しうるのです。


 叔父の名前は「終わりなき革命」です。体制と常識を汚染し嘲笑い、壁という壁に大した動機もないのに穴をあける活動家なのです。歴史は彼を悪と呼び、聖人と呼び、または狂人と呼びます。しかしその本質は、常に相対的な異質であるという、これ一点に尽きるのです。あれは時代とともに現れました。いまは私の叔父です。正直、誰でも良いのでしょう。箱の中の風船と同じです。


 いくつも風船があり、これが我らです。我らは安定して膨らみ続けます。箱いっぱいに。ギュウギュウと。すると、そのうちどれかが弾ける。これは仕方ありません。箱は固定されているから箱なのであり,しっかりと寸法があるからこそ箱の中は安定し安全であり続けるのです。誰かが弾けるのは仕方ありませんし、要は弾けなければ良いのです。どしんとふてぶてしく膨らみ続ければ遠くで他の誰かが弾けるのです。遠慮はありませんし、故に誰が弾いたというわけでもありません。新聞は弾けた風船の直接原因を掘り下げるのが趣味のようなところがありますが、しかし本質は箱の広さと風船の密度にあるのです。私は箱の本質を知っています。そしてまた、これこそが正当だとも理解しているのです。


 しかし、稀に恐ろしい風船が現れます。これは箱より頑丈なので、ついには箱を壊してしまうのです。これが私の叔父であり,終わりなき革命の本質です。破れかけの風船にしてみれば、まるで救世主に見えたことでしょう。彼が箱を広げてくれたように感じるはずです。確かにそれは彼らにとって一時の救いかも知れない。しかしながら、箱に寄生して細々と膨らんでいる我々には耐え難い苦痛であります。数少ない、利益を生まない小さな風船いくつかを救うために、我々の安住を崩すのがふさわしいという道理はない。私には叔父や彼の愛人たちが狂っているようにしか思えないのです。


 お分かりいただけましたか、今のお伝え申し上げた仔細を真っ当に受け取っていただけるのならば、先生、あなたの提案がいかにイカれポンチな所業かが明らかでしょう。恥じろ、いや、恥を知れ!お前はもう狂っている!いくら法の下とはいえ、法を傘に私の家族を破壊する気なのだ貴様は!


 聖人の条件をご存知か、このトンチキ精神科医め。聖人であり、狂人である唯一にして最大の特徴だ。それは隠遁だよ。社会性の喪失。己が箱の中にいるという、真っ当な意識の喪失だ。ブッダもキリストも、モハメッドもカストロも、クロウリーからジェームス・ウォーレンまで、奴らは箱を破壊しては既存の我々を嘲笑うのだ。


 叔父はこれまで、かろうじて人間であった。人に自分なりの道理を説かねば自己を正当化できないくらいには社会と己の距離を俯瞰していた。狂人ではあったが、これは単なる孤立でしかなかった。


 しかし今はもう違う。心の弱い弾けかけの風船どもは、彼にある種の神聖さを見出すだろう。彼が強姦しなかった人間でさえ、彼の前で首を垂れる時代が来ている。そして叔父は、ついに社会と自己とは別個であり,主張なしに己は己であるという狂った思想設計を完成させているに違いないのだ。


 これはお前の思っているほど簡単な問題ではないのだ。つまりこれは、国家という箱なしで自己は存在し得るという言説の生き証人がこの世に生まれているということでしかありえない。箱など存在しないと、彼はさも当然にいってしまうだろう。国家や家族など妄想だと。我々を嘲笑う。そう、絶対的に嘲笑うに違いないのだ。


……ええい、この耄碌の分からず屋め。悟らぬならば、こうだ、こうしてやる。いいか、お前が弾けるのだ。私には家族がいる。三のために一が犠牲になるのは、いたって効率的だ。ここでは法とて私を捌ける道理はない。いいか、この限りなく箱の外に近いこの場所でなら、健常な私とていたって正常に狂気をやれるという事実を知れ。私は都市のために獣にすらなれる常識人なのだと教えてやる!」

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権威性の獲得 ぐしゃ @gusyagusya1884

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