第8話パウンドケーキとツバメのブローチ


「で、冷たくあしらわれてしまった、と」

昼休み、約束した通り茉紘まひろは、瑠璃子と自然の庭で事のあらましを全て話していた。

「そうなの…。ね、これってどういう事だと思う」

「どう、ってねぇ…」

うーん、とうなる瑠璃子。

「先ず、考えられる事は、三つくらいあるわね」

「え、なになに」

「その一、茉紘ちゃんは夢をみていた。その二、紫亜しあさんは二重人格だった。その三…」

「もう、瑠璃子ちゃんの意地悪」

むくれる茉紘を、まぁまぁ、となだめると、

「それにしても、まさかそんな事が起こっていたなんてね。私にしてみればその優しい紫亜さんの方が想像出来ないけど」

「私も、なんか最初はあれ、って感じだったんだけど、一緒に居たらさ、全然違和感なかったんだよね。いつも孤高の完璧超人ってイメージだったんだけど…」

そのイメージそのままの紫亜に今朝は、驚く程素っ気なくされてしまったんだけれども。あの氷のような挨拶を返された後、怖気おじけ付いてよっぽど回れ右をしようかとも思ったが、茉紘はなんとか考えてきた事は伝えた。

しかし、結果は、

「お礼なんていいわ。あの服も着ないものだったから、どうかそのままお持ちになって」

にこりともせずに冷たく告げられて、なんだか玉砕という感じだった。それに、普段みないふたりの組み合わせに、周囲のうかがうような目が気になって、あれ以上は何も話せなかった。

 瑠璃子は、溜息をもらし、しょんぼりとし始めた茉紘に、

「まぁ、そう気を落とさずにさ。何か理由があるのかもしれないよ。例えば、紫亜さんは常に敵に狙われていて…」

と、スパイのような真似をしてふざけてみせたが、

「うん…。そうだね、ありがとう瑠璃子ちゃん」

力なく茉紘に微笑まれ、瑠璃子は、これは重症かな、と思うしかなかった。そして、紫亜さんは本当にいつも周りは敵だらけと思っているのかもしれないよ、とも思った。




 茉紘が失意の中、学院から帰ると家中が良い匂いに包まれていた。

この匂いは…

「ただいま」

「ああ、おかえり、茉紘」

キッチンに居た母が振り返る。茉紘が手元を覗き込むと、そこには赤いギンガムチェックのリボンでかわいくラッピングされたパウンドケーキがあった。ケーキを焼いた時のなんともいえずいい香りがまだ漂っている。

「わぁ、やっぱりパウンドケーキだ」

よだれを垂らしそうな茉紘を見て、母は苦笑したしなめるように言った。

「茉紘のじゃないわよ。これと、あとそこの紅茶、昨日お世話になったお礼に松原さんのお宅に持っていきなさい」

見ると、赤い紅茶の缶がこちらも赤いギンガムチェックのリボンでかわいらしくラッピングされ、その隣には、紙袋に鈴蘭のミントグリーンのワンピースが入っていた。

「ママも一緒にいこうか、」

「いい、ひとりでいけるよ」

茉紘は少し不機嫌になりながら、そう答えていた。そろそろ放っておいてほしい年頃だ。だが、茉紘の母はそれも一応はお見通しなのか、そう、と少し笑顔で応えた。

「それなら、ママは莉玖りくのお迎えに行ってくるわね」

莉玖とは、茉紘の妹だ。今は五歳で生意気盛りの甘えん坊。

いってらっしゃい、と母を見送り、茉紘はラッピングされたケーキ達を見て、ふぅ、と溜息をついた。

 紫亜は、お礼はいらない、と言っていた。素っ気なく、にこりともしなかった。

 仲良くなれるんじゃないか、なんて期待して私ったら馬鹿みたいだったわ、と茉紘は思った。紫亜さんみたいな人が私なんかと仲良くしてくれるわけがないのに…。

涙がにじみそうになるも、パウンドケーキの甘い幸せな香りがどうにも悲観的にはさせてくれなかった。

茉紘の母の作るこのパウンドケーキは、茉紘がとても好きなお菓子のひとつだ。シンプルなものだが、卵とバターの香りがたまらなく、しっとりふわふわの食感で、何度食べても飽きないものだった。紅茶も美味しいところのとっておきのダージリン。ワンピースの入った紙袋をのぞくと、白地に金の鳩が箔押しされたシンプルなサンキューカードも入っていた。茉紘の母の字で丁寧なお礼の言葉が添えられている。

本当は、また冷たい言葉を掛けられるんじゃないかと思って気が重く、行きたくはなかった。

「でも…、折角ママが用意してくれたし…」

それに何より、茉紘自身が、何故紫亜があんな態度をとったのか、とても気になっていた。学院でみる紫亜はいつも独りで気丈で、それ故に当たり前の態度をとられたといえばその通りなのかもしれない。だが、反面、茉紘の目には寂しげなようにも見えた。自分が紫亜に冷たい態度をとられて落ち込んだように、紫亜は誰かと打ち解けたいという期待すら持たないようにしているのかもしれない。あの噂もあるからかな…茉紘は考えると、少し胸が痛んだ。

 部屋に満ちる甘い香りが、ふいに、ココアをいれてくれた紫亜を思い出させた。あたたかで、優しくて。もっと紫亜の事を知りたいと思ったのだった。

だったら、もう一度だけ確かめに行ってもいいはずだ。

また冷たくあしらわれるかもしれないけれど…。それでも、その冷たい紫亜の事も、全部、まるごと知りたい、と茉紘は思った。

もう一度紫亜と話してみようと決心し、茉紘は制服を脱いで身支度をはじめた。一番好きな、白い野茨のヴィンテージボタンのついた、生成りと淡いローズカラーのワンピースに着替え、白い短い靴下に茶色のストラップシューズを選んだ。頭には茶色のリボンの帽子を被り、ビーズの小さなショルダーバッグを肩にげた。

どうか、もう一度、勇気をください。そう願いながら四葉のクローバーを口にくわえたツバメのブローチを胸に留めると、紙袋とお礼の品を持ち、茉紘は紫亜の家へと向かったのだった。

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