第3話自然の庭とあの子の噂

あれは、薔薇の盛りの五月だった。茉紘は中等部に入学したものの、仲の良かった友人の瑠璃子るりことは違うクラスになってしまっていた。

もともと人見知りで、友達を作るのが苦手な茉紘まひろは新しいクラスになかなか馴染めず、あっという間にひとりぼっちになってしまっていた。

「別に友達なんて無理につくるものじゃないんだし、いいんじゃない。私だって別に友達いないけど、平気だよ。」

昼休みになると、度々瑠璃子のもとを訪れてはひとりぼっちの辛さを嘆いていたが、瑠璃子はあっけらかんとそう言ってのけた。

「瑠璃子ちゃんは、そう言うと思った。」

少し拗ねながらも、瑠璃子らしい答えになんだかほっとするような気もした。

瑠璃子はその掴み所のない性格と、人形のように浮世離れした容姿から、遠巻きにされることが多い。そのためか、友達と言えるのは茉紘くらいだったが、昔から本人は全く気にしていない様子であった。

瑠璃子はふわっと大きな欠伸をして、茉紘の膝へ頭を預け寝転んだ。

「ここはあまり人も来なくて居心地がいいや。」

学舎からは少し離れたところにビオトープがある。理科の授業などで自然の生態系の様子を観察する目的で作られているものだ。

中央に泉があり、蓮などの水生植物の合間にはメダカも見える。自然に近い形なので、整えられた庭とは違う向きの植物がたくさん生えている。

大体の生徒は綺麗に整えられた中庭や東屋あずまやを利用するので、ここはいつもどこか寂しい雰囲気だ。それでも、ベンチがいくつかあり、基本的には人が来ないので、ふたりは"自然の庭"と呼んでよく訪れていた。

瑠璃子が目を閉じる。作り物のような額、静脈が透けそうな目蓋に長い睫毛が行儀良く並んでいる。華奢な顎に、朝露をまとった薔薇の蕾のような唇。全てが黄金比で並んでいる。軽くウェイヴした柔らかな長い髪を優しく撫でる。瑠璃子は気持ち良さそうに口角をわずかに上げた。

「茉紘ちゃんは、クラスにお友達になりたい子はいないの?」

そう聞かれ、クラスメイトの顔を思い浮かべる。

「…松原紫亜まつばらしあ。」

思わず、その名前を上げてしまっていた。

「松原紫亜、ってあの…?確かに、いつも一匹狼だし、狙いとしては間違ってないのかな。でも…。」

いつもは明朗闊達めいろうかったつな瑠璃子が僅かに言い淀む。

「あの噂、瑠璃子ちゃんでも信じてるんだ?」

「そうじゃないよ…、噂は、まぁどうでもいいよ。私だって一人でいる事が多いから色々有る事無い事、噂されるし。問題はさ、」

そこまで言うも、瑠璃子は視線を逸らして黙ってしまう。

「問題は…?」

いや別に、と、珍しく歯切れの悪い瑠璃子に、茉紘は弁明するように告げた。

「私もなんとなく顔が浮かんだだけだからさ。他の子達はもうグループが出来ちゃってるし、なかなか、ね。ひとりでいる松原さんなら、ってつい思っちゃったけど、現実的じゃないね。」

最後は何故か少し早口になった。

「そう…。それならいいんだけど。」

まるで、親に心配事を隠すかのようなやり取りに、茉紘は多少の違和感を覚えたが、それについて深く考えるような事は無かった。

実際、この時点では紫亜と仲良くなれるとは思っていなかったのだ。いつも一人でいる彼女ときっかけがあれば話をしてみたいとは思ってはいたが、それがなかなか難しいことや、瑠璃子とはまた違う美しさを持った彼女と、並んで歩く自分が想像出来なかったのである。

それなのに、気がつくと松原紫亜を目で追ってしまう。今回はとうとう名前まで口走ってしまった。

「あの子って昔からああなの?」

途中編入の瑠璃子は昔の紫亜の様子を知らない。

「ううん、昔はもっと皆と話したり、活発だったと思うよ。いつからかな…。」

なんとなく噂が出始めた頃から、ひとりでいる事が多くなったようには思う。

茉紘は、ぼんやりと自然の庭を眺めながら、昔の紫亜について考えた。

しかし、紫亜が昔から今のような寡黙な優等生ではなかったとはいえ、茉紘と紫亜はこれまで殆ど接する機会が無かった。

茉紘は、自分が彼女について噂以上の事は何ひとつ知らないのだ、と思うと急に寂しいような気がした。

「彼女、美人だからね。美人が徳をするとは限らないからこの世は色々辛いよね。」

と言い、わざとらしく大袈裟に嘆息たんそくする瑠璃子のその言葉に、茉紘は思わず口の両端を上げると、

「それって瑠璃子ちゃんのことでもある?」

「正解」

穏やかな午後の日差しを浴びながら、ふたりは笑い合った。


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