第4話


       (4)


 ずっと真っ暗だった場所をひたすらにおじさんの背中だけを見て前に進んでいって、急に開けた場所に出た。

「おじさんおじさん、くーちゃん、どこにいるの?」

 学校の近くにある神社の境内ほどの大きさ。ゆまの正面には大きな木が生えていた。とても大きな木で、暗いのでゆまにはそれがどんな名前の木なのかも分からないし、明るくても木の名前なんて詳しくないので分からないが、とにかく大きな木が聳えている。幹の太さなんて大人四、五人が手をつながないと囲めそうにないほど太い。

「くーちゃん!」

 大きな木、その根元にいた。体が白い毛で覆われ、顔だけが黒いうさぎ。くー。

「くーちゃん!」

 満面の笑みで駆け寄ると、くーは耳を空高くぴょーんと伸ばし、後ろ足で立ってこちらを見つめてくる。

「くーちゃん!」

 しゃがんで左手でお尻を抱え、右手で背中を支えるように抱きしめた。

「ごめんね、くーちゃん。わたしのせいで……あははは。許してくれるの? ありがとね」

 ゆまのお腹に自分のお腹をくっつけるくーは、首を伸ばしてゆまの頬に口をつついてきた。こうして抱かれていることがかなり嬉しい様子。そんなのいつものことなのに。

「でも、よかったよー、くーちゃんが見つかって。じゃあ、みんな心配してるといけないから帰ろうか?」

 胸にいるくーは見つめてくる。その赤い円らな瞳で。

「んっ……? どうしたの、くーちゃん?」

 しゃがんでいたので立ち上がろうとしたら、くーが急に暴れてゆまの腕から逃げていく。さっきまであんなに嬉しそうだったのに?

「くーちゃん?」

 すぐ足元にいるくー。地面にお尻をつけて真っ直ぐゆまの顔を見つめてくる。

「くーちゃん、早く帰ろ?」

『……ごめんなさい。ぼく、ゆーちゃんとは一緒に帰れないんだ』

「んっ……? えっ、えっ、どうして一緒に帰れないの!? もしかして、お父さんがくーちゃん家壊しちゃったから? そんなの気にする必要ないよ。わたしが意地悪なお父さんからくーちゃんを守ってあげるからね」

『ううん、違うんだ……』

 くーは首を横に振る。

『お父さんは悪いわけじゃないんだ。お父さんはね、ぼくの家壊してくれたんだ』

「んっ……!? なんでわたしのためにくーちゃんの家が壊されなきゃいけないの?」

『それはね……ゆーちゃんを悲しませないためにだよ……』

 赤い目。円らな目。真っ直ぐな目。

『お父さん、やさしいから……』

「そんなのおかしいよ。だって、くーちゃん家壊されたのがショックだったんだもん」

 だからこそ家を飛び出した。勝手に家を壊したことが信じられなくて。

「あれは絶対わたしとくーちゃんに意地悪してるんだよー」

『ゆーちゃんにそんな意地悪する? しないよね。お父さんが悪いわけじゃない。すべてはぼくのせいなんだ』

 見つめてくるくーは目を逸らすことはない。告げなければならない内容を意識しても決して目を逸らすことなく。

『もう戻れなくなっちゃったんだよ』

「なんでなんで? お祖母ちゃんもお母さんもゆたかも待ってるよ。お父さんはどうか分からないけど……」

『うん、ぼくだってゆーちゃんと一緒に帰りたい。これからもずっとゆーちゃんと一緒にいたいよ。でも、できないんだ……』

 くーは今までずっと真っ直ぐに見つめてきた瞳を下に逸らし、口を閉ざして……またゆまを見つめる。

『今朝ね、まだ太陽が顔を出す前……お庭にね、いたちが来たんだよ……』

 山から降りてきたいたちは、くーの家を囲んでいる網の下に穴を掘って、そして……。

『ぼくの家、いっぱい汚れちゃったんだ。それをお父さんはね、きれに片づけてくれたんだ』

 無惨に散らばった毛を片づけ、凄絶に滲んだ血を洗い流し、早朝に起きた痕跡を取り除いて……そうすれば、起きた事実を消すことができるから。

『そうすれば、ゆーちゃんを悲しませないで済むでしょ』

 逃げ出したことにすれば、いらない悲しみを与えなくて済むようになるから。

『全部、お父さんがゆーちゃんのためにやってくれたんだ』

 円らな瞳は少しも濁ることはない。ただ真っ直ぐゆまのことを見つめている。

『ぼくの代わりにお父さんに『ありがとうございました』って伝えておいてほしいな』

 ほんの少しの間だけ長い耳は横に倒れる。でも、すぐ元通り。

『ごめんね、ゆーちゃん。そろそろお別れだ』

 口にすると、くーはいつものように地面をぴょんぴょん元気に跳ね、ゆまをここまで案内してきてくれたおじさんの元へ。

『ぼく、ゆーちゃんと一緒で、いっぱいいっぱい楽しかった。たくさんたくさん、ぼくのこと抱きしめてくれて、ありがとね』

「では、私もそろそろ……」

 地面にいるくーを、おじさんがやさしく両腕に抱える。

「ゆまちゃんとお話ができて嬉しかったよ」

 おじさんは胸にくーを抱いてにっこりと微笑む。

「誰に似たんだか、不器用なやつだけど、あんまり章のこと……お父さんのこと、いじめないであげてね」

 くーを抱えたおじさんは、大きな木の横の真っ暗な暗闇へと消えていく。

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