第7話 テノールは…

 さて。

 私は今。

 煉瓦のしかれた広間に正座しています。

 正面には、おどろおどろしい渦のようなものをまき散らしている鬼の足が――


「―――何も言わずに飛び出すなんて子供ですか、貴女は。今どきは子供でも――って。お嬢様……? 俺の話、聞いてます?」 


 ……………まぁ……。

 とても低音ですこと……。

 

「…………お嬢様。俺の言葉を聞いていたら、右手を上げてください」


 いやだわ。

 なにやら刺々しい言葉がした気がするの。

 そんなこと。

 ないわよね!

 だって、テノールだもの!!

 とーっても優しいんだから! 


「お嬢様。顔を上げてください」


 あら?

 声が急に平坦になった?

 抑揚がないような気がするの。

 でも。

 気のせいよね!

 あ。

 蟻だ……。

 へぇ……。

 煉瓦と煉瓦の間を通ってるんだ。

 これなら踏まれるって危険がなくなるのね。

 良く考えてる……。 


「コホン! 今すぐ顔を上げなさい。そうすれば、貴女が話を聞いていなかったことは見逃します」


 あ。

 良く見たら隊列を組んで歩いているのね!

 ……?

 運ばれている、白い小さなものは何だったのかしら?

 食べ物だったということは間違いないのよね?


「…………お手……」


 ん?

 テノールがしゃがんだ……?

 そして、白いグローブのついた指先?

 ついでにおどろおどろしいモノの範囲が広がった……?

 まぁ。

 気のせいね!

 ……でも。

 いったいどこから……?

 すいっと、蟻たちが来ている方を向いてみた。

 すると。

 右手にはクリームパン。

 左手には薄い蒼の一升瓶(ラベルが【魔王殺し~どんな奴でもイチコロさ!~】)を持ち。

 酷く幸せそうな赤い顔で涎を垂らし、煉瓦の床にうつぶせで転がる……ひどく見慣れた濃い茶色の短髪の初老くらいの男性が―――って、お爺様っ?!

 どうしてお爺様が!!

 って!

 え?

 どうしてお爺様がこのようなところに転がっているのっ?!

 


「おい。テメェ、聞いてねぇだろ……」


 不意に上がった目線。

 みしみしと嫌な音と酷い痛みが……。

 

「話、聞けって言ったよな」


 ひぃ!

 て、テノールが貼りつけたみたいな笑顔浮かべてる!! 


「テメェの耳は飾りか」

『ひぃ! ごごごごめんなさい! 謝るから、謝るから手に持ってる果物ナイフを仕舞って!!』

「そうか。飾りか……飾りなら、いらねぇな」

『いるっ! いるいるいるっ!! 必要ですぅっっっ!! ごめんなさいごめんなさいっ! 私が悪かったから!! もう二度と誰にも言わずに出て行ったりなんてしないからっ!!』

 

 白いグローブに握られ、きらりと輝いたナイフ。 

 それを見て。

 私は手で両耳を押さえて暴れた。

 と言っても。

 足を振るだけしか出来ないけどねっ!

 

『わぁああああんっ! ごめんなさいぃぃ!! 反省してます、すっごくすっごく反省してますぅううう!!』

「…………はぁ……。本当ですか?」


(訳)『チッ……。テメェの言葉は聞き飽きてんだよ』

 

 張り付けた笑みで、目が笑ってないよ……。

 ついでに、聞き飽きてるって……。

 まぁ。

 さんざん変なことしてるけど…………。

 そんなに怒んなくてっも良いじゃん……。


「お嬢様……?」


(訳)『落とすぞ』


 何を。

 とは聞かない。

 いいえ。

 聞かなくても分かるよ。

 『耳』よね。

 

『ごめんなさいぃぃ! 今度は、今度はちゃんと相談しますぅぅうううう!!』

「約束ですよ」


(訳)『胆に銘じておけ』


 にっこりと。

 張り付けたような笑顔が消え。

 テノール本来の笑みが戻った――と、見せかけて目が笑っていなかった……。 

 だから私は――。

 

『はい! 胆に銘じます!!』

「ならばよし。さぁ、帰りましょう」


 穏やかな笑みのテノール。

 私はそんな彼に頷き――



「皆が、待っています」


(訳)『覚悟しとけ』



 ……やっぱり逃げようかな…………? 

 


 なんて。 

 考えたけど頭をテノールに押さえられてるから、脱走できませんでした!!

 結果。

 私は屋敷に連れ帰られ。

 使用人をしてくれている皆に叱られるわ、もみくちゃにされました……。

 お菓子をお預けにされました。

 双子が口をきいてくれません……。

 テノールがおどろおどろしいのを消してくれないの……。


 そして。

 私が無断外出した日は、冬の日の最終日だった。




 ―――――――――――――


 ―――――――――


「ねぇ、テノール。私が悪かったから、もうたくさん反省したから、草料理はやめない?」

「そうですね。反省が足りないようなので、秋の日まで俺がお嬢様の食事を担当しますよ」

「え?! もう春の日が終るのにっ?!」

「嗚呼。では、冬の日まで続けましょうか」

「え……? うそ、嘘でしょ? 嘘よねっ?!」


 

 私の問いに、テノールは目が笑っていない笑みを向けるだけで何も言わなかった……。

 



ーーーーーーーーーーーーー


ーーーーーーーー


そんなこんなで草料理ばかりの日々が続いています。

緑ばかりだった庭は、バリトン達のおかげで春らしく、色とりどりの花ばなが咲き誇っているの。

あぁ……変な草料理からどうすれば逃れられるのかしら?

はぁ……。


「姫さん。ため息なんてついてたら長が飛んできますよー」


庭を一望できるリビングの外。

縁側というらしい、テラスの様な場所の床に座り込んでお茶を飲んでいる私に、後ろからかけられた声は四号のもの。


「四号……。お仕事はもう良いの?」

「ん? あぁ、大丈夫っすよ。一号に行ってくるって言ってっから!」


四号はそう言っていつも通りヘラっと笑って、私の隣に腰かけた。

本当に、一号に怒られたりしていないと良いのだけれど……。

心配だわ……。


「本当に? 本当に本当に大丈夫なの? 怒られたりしない?」

「ははは! 姫さんはホントに心配性っすねー」

「だって、私の話し相手をしてくれていたせいで、怒られていたりしていたら申し訳ないわ」

「だーいじょうぶですってー! 俺なんかの心配より、ほい。お菓子」


四号はそう言って、何も持っていなかったのに、突然右手にお菓子を持っていました。

そしてその上に生クリームが乗ったマフィン。

私が好きな焼き菓子です!

とっても久しぶりなお菓子!

…………実は、草料理が始まってからお菓子を作ってもらえなかったの……。

いえ、それは語弊があるわね。

だって料理長は私が「ごめんなさい」って謝ったら、彼女。

泣きながら「心配したんだ。何もなくて本当に良かった」って、言って「飯にしよう。用意はしてるからな」って。

なのに怖いテノールが無言で草料理と入れ替えたの……。

料理長が抗議してくれたけど、テノールは引かなかったわ。

確かに私が悪かったの。

だから草料理を食べていて、おやつもテノールの一声でお預けになっていたわ。

そういう訳もあって、本当に久しぶりなの!


「た、食べていいの……?」

「もちろんっすよ。でも、内緒なー」


イタズラっ子の様に笑った四号。

彼はそういってマフィンをくれました。


「あ、りが、とう……」

「どーいたしまして」


間延びした四号の声を聞きつつ。

受け取ったマフィンを見つめます。

なんということでしょう。

久しぶりに見たお菓子に涙が出そうです。


「っ……! なんて美味しそうなのっ!」

「美味しく作りゃしたからねー美味しいっすよ」


パクリと、手渡されたマフィンを食べて、生クリームの甘さと、マフィンのふわふわの食感に胸を打たれます。

あぁ。

本当に、本当に久しぶりにまともな食べ物を食べました。

とても美味しい……。


え?

手づかみで食べるのか?

えぇ。

手づかみで食べるのよ。

だってマフィンはその方が美味しいのですもの!


「姫さん、美味い?」


無言で食べていたら四号が楽しげに笑って問うてきました。

口の中にはマフィンがあるので大きく二回頷き、マフィンを飲み込んだ。


「とっても、とーっても美味しいわ! 四号、本当にありがとう!」

「ははは! 俺だけじゃねーですけど伝えときゃすよ」


四号は笑って、ふっと庭を眺め始めたので、私は残りのマフィンを食べて始めた。

やっぱり草料理なんてものよりずっと、ずーっと良いわ!

























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る