第3話 シスコン男


男が薄い笑みを浮かべて、廊下の角から姿を現した。


 ----今度こそ、殺される。


 その瞬間が頭を過った。 



「っ……!」

「大丈夫だ。アタシが居る」


 思わず顔を強張らせた私の頬に、私が触れていない方の手を添え、料理長はふっと優しく微笑んだ。


「りょう、り……ちょう…………?」


 

 どうして。

 どうしてそんなに、落ち着いていられるの?

 この男は、見るからに危険だわ!

 そう。

 危険なのよ。

 何がって?

 そんなもの、すべてよっ……!


「だめ……ダメよ! この男は危険だわっ!! にげ、逃げましょぅ……?」

「……ぁ……。えっと、怖がらせてすまねぇな。姫さん」


 そう言って苦笑した料理長。

 テノールと料理長二人にすがっていた私は、いつの間にか二人の背を見ていた。


 ……いつの間に…………?


 ……それにしても、訳が分からないわ。

 どういうことなの?

 どうして料理長が謝るの?

 わからない。

 分からないわ……。

 

「はぁ……。おいゴラ愚弟。姫さんがガチで怯えてんだろぅが。さっさと消え失せろ」


 料理長が鋭く睨んだ先はおそらくあの男。

 そして男は激しく動揺した…………?

 ……あれって、【動揺】かしら?

 どこか違うような気もするのだけれど、気のせい……?

 って。

 あら?

 『ぐてい』?

 『ぐてい』って、なにかしら……?



「っ?! ねぇさん……? どう、しちゃったの?」


 え?

 『ねぇさん』?

 どういうこと?

 

「黙れ。二度と来るな」

「……ねぇさん…………どうし、て……?」


 困惑気(?)に一歩近寄る男。

 それに料理長の気配が険しくなった。


「聞こえなかったか。『二度とこちらへ来るな』と言ったんだがな」

「どうして? どうしてなの、姉さん。…………嗚呼。そうか。ソイツだね……。忌々しい……」


 急激に場の雰囲気が変わった。

 

 原因は、あの男……。

 


「姫さんに手を出すな。お前といえど、容赦はしない」

「…………ふふ。僕ね、かっこ良くて優しい姉さんが大好きだけど――――それはダメだ……」


 正面から聞こえていた言葉が背後で聞こえ。

 男の持つ湾曲した剣が、振り返りかけていた私の目の前に――


「っ……?!」

「死ね……」


 声にならない小さな悲鳴。

 左から迫る反り返った白銀。

 目前に迫ったそれを持つ男は、暗く淀んだ緑の瞳を楽しげに細め、薄い唇を釣り上げた……。


「『手を出すな』といった」 

「死ぬのは貴様だ」


 目を見開き剣を見ていた私は、料理長とテノールが同時に発した言葉を聞いた。


 

 ――ガンッ……


 

 大きく音を立て衝突した、料理長の包丁と男の剣。

 横からはテノールの剣が迫る。

 男はこれを後ろに飛びずさって躱した。


 早ずぎる刹那の攻防。

 私はそれがまったく見えず、ただ。

 二人が助けてくれたことしかわからなかった。



「チッ……。邪魔しないでよ。姉さん」

「言っただろう? 『手を出すな』と……」

「はぁ……。姉さん。いくら紫だからって、それはあの方じゃないよ。分かってる?」

「あぁ。知っている」

「ふーん。そう。じゃぁ、やっぱり殺さないと」

「…………ふぅ……そう、か……」


 暗く笑い、剣を再び構えた男。

 包丁を手に、料理長は少し寂しげに笑う。

 そんな二人の間をルシオとゼシオが動こうとするより早く、料理長が動いた。

 


 ――――ガンッ


 左上から斜めに振り下ろされた包丁を、湾曲した剣が受け止める。

 けれど、料理長は普段から使っている大きさの包丁……。

 ……出刃…………。

 男の持つ剣とは圧倒的に長さが違う……。

 料理長が……不利…………。


「ふふ。いいね。僕、姉さんのその顔、だぁい好き……」

「………………」

「くすくす。そんなに怒らないでよ。姉さん……」

「……………………」


 楽しげな男と無言の料理長。

 二人は傷一つ負わず、大きな音を立てる。

 私が何かを出来るはずもなくて。

 ただただ立っていた。

 

 

「何事ですか」

「っ?!」


 突如真横で聞こえた声音。

 慌てて振り向けば、そこには若干眠そうな一号が……。


「あれは……ライゼルド殿下?」


 …………え?

 『殿下』?

 どういう事?

 この見るからに危なそうなのが、『殿下』?

 あぁ。

 分かったわ!

 『ライゼルドデンカ』って名前なのね!

 そうでしょう?

 一号……?

 ねぇ。

 お願い、肯定して……?

 って。

 あら?

 いない……。

 なんて思っていたら、またぶつかる音。

 でも。

 その音は先ほどまで聞こえていた音と少し違いました。



「…………長。陛下。お戯れはそのへんでお止め下さい」

「「どけ」」

「どきません。長、姫さんの顔色。悪いです。陛下、国へお戻りください。さもなくば、俺にも考えがあります」

「?! 姫さん!」

 

 がばりっと、料理長に抱きしめられました。

 ……不思議ね。

 だって一瞬で詰められるような距離じゃなかったのよ?

 うん。

 あと、締め上げないで……。

 くるし、ぃ…………。

 

「締め上げるな」


 テノールの声が聞こえて、料理長がはがされ、一気に楽になりました。

 ありがとう。

 テノール。

 今のうちに呼吸を整えておくわ……。


「イグス……。僕に指図をするな」


殺気を放っている男の剣を防いでいる、一号が持つ歪曲した剣。

一号はそれを使い、押し切り、飄々と微笑む。


「まだしておりません」

「するんだろう?」

「いいえ。俺はお願いをしようと考えているだけです」

「…………どうせ脅しじみたこと言うくせに」


ため息を一つつき、歪曲した剣をしまった男に、一号は満足げに頷き、剣をしまいました。



「さすが陛下です。では、俺が言いたいことは分かりますよね」

「…………はぁ……。分かった。分かったよ……。帰ればいいんだろ、帰れば」

「はい。あと、二度とこの地へ来ないでくださいますね」

「……………………」

「分かっているとは思いますけど、否は認めません」

「…………分かった……」

「では帰ってください」


 始終有無を言わせない一号の言葉に男は不服そうにしながら消えました。

 …………一号。

 貴方、『イグス』という名だったのね……。

 ……初めて知ったわ…………。


「あぁ。そうだ。姫さん。俺、『一号』なんで。『イグス』なんて呼ばないでくださいね」


一号に満面の笑みの威圧をかけられました……。


「…………はい」

「では。俺、寝ますので。お静かに願います」


 一号はそう言っていなくなり。

 テノールたちもその後解散し、それぞれの部屋に帰っていきました。

 その際。

 料理長が


『アイツ、ラシュの何を握ってんだ?』


 と。

 ぼそりと言っていました。

 もちろん。

 気のせいと言うことにしましたが……。

 まぁ。

 話の流れから、『ラシュ』があの男であることは容易に判断がつきました。

 それに、すごく今更ですけど、『ヘイカ』って何かしら?

塀の家の人なのかしら?

つまり、『塀家へいか』?

そうね、きっとそうよ。

『陛下』なんてもののはずないわ。



 さて。

 もう寝ます。

 今日ほど心臓に悪い日はありませんでした。

 もう二度とこんな思い、したくはありません。

 以上です。

 おやすみなさいませ……。

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