第六章 料理長の話

 ――――コッコッコッコッ


 固い踵が城の床にあたる小さくもせわしない音が響き、わたくしの部屋の前で止まった。

 時刻は深夜。

 わたくしが目を覚ましたのは、なんとなく。

 静かに身を起こし、ベットに腰かけた。



『姫様。姫様、起きておられますか、姫様』


 控えめなノックがして、声をひそめて呼びかけられた。

 だからわたくしは静かに部屋を横切り、扉を静かに開けた。

 嫌な予感を胸に抱いて……。 


「姫様……」


 わたくしの予感が当たったかのように、顔色の悪い侍女。 

 彼女に一つ頷き、問う。


「どうしたの。こんな夜更けに」

「申し訳ございません。詳しくはまたあとでお話ししますので、こちらへ」

「…………何処いずこかが、落ちたのね」

「っ……お急ぎください。敵はすぐ傍までせまっております」

「父上と母上、ラシュはどこ」

「陛下は城に。王妃様とライゼルド殿下は脱出中です」

「そう。分かったわ」

「では、こちらへ」


 こうして、わたくしは城を脱出し、国を脱出するべく、彼女について走り出した。

 向かった先は有事のための地下通路。

 その途中、大勢の騎士に出会い、数名がついて来た。

 わたくしを守るべく周りを走ってくれていたのだけれど、通路は暗く、何も見えない。

 松明を手にした騎士たちは、あまりの闇に狼狽えた。

 でも、わたくしはこの国の第一王女。


 この程度の闇など恐れる必要はない。


「下がりなさい。これより先はわたくしが行きます」

「姫様っ!!」

「行きますよ。ついてきなさい」


 わたくしは後ろを振り返ることなく、駆け。

 慌てたようについて来る足音を聞いた。

  


 ――――――――――


 ―――――――


 わたくしは一刻も早く。

 それでいて敵に見つからぬよう周囲に気を配り、城を抜け。

 合流地点に急いだ。


 合流地点には数十名人がおり、母上とラシュの姿があった。


「エヴリー……!」

「ねぇさま……!」


 わたくしの姿に気づいた二人の表情に、わずかに安堵が浮かぶ。

 でも、まだ完全に安心はできない。


「急ぎましょう。母上、ラシュ」


 母上とラシュは表情を引き締め。

 ここから逃れるべく、護衛とともに馬にまたがり。

 幼いラシュは護衛に抱かれ。

 国境へと急いだ。

 馬に限りがあり、わたくしと共に来た騎士たちは礼をとって引き帰し。

 侍女は母上が連れていた護衛の一人と共に乗った。  

 少数も良い所の十騎。

 それらは隣国へと向かった。



 …………でも、その途中。


 わたくし達は……敵に発見された………………。


 十名の護衛と侍女は息絶え。

 母上はわたくしとラシュを庇い、隠すべく、掴まった……。

 わたくしはラシュの手を引き、必死に走った。

 遠くへ。

 ここよりはるか遠くへと……。

 恐怖で眠気も、空腹も、痛みすらも……何も、そう。


何一つ感じずに…………。



 ――――――――――――


 ―――――――――



 夜が明け。

 より一層敵に発見されやすくなり、一層恐怖が湧いた。

 そんな時だった。

 わたくしは、顔の右半分に酷いやけどの跡と、体中には大小さまざまな傷後。

 そして……右の肩に、我が国の紋章も持つ、あの方に出会ったのは……。

 

 あの方はわたくしとラシュを生かして下さった。

 

 あの方はわたくしとラシュに生きる術を授けて下さった。

 

 あの方は……とても、とても…………優しい方だった……。


 わたくしとラシュはあの方の元で十年過ごし。


 父と母を。


 国を。


 わたくしたちからすべてを奪った宿敵を打った。

 

 それもこれもすべて、あの方のおかげ……。


 あの方は、わたくしとラシュが悲願を達成したことを喜ばれ、息を引き取られた。


 わたくしはあの方に許しを得ていた。

 

 だから、あの方の姿を


 けれど、髪と瞳の色はわたくしが出てしまったことが、残念。


 国を取り戻し、ラシュは王となり。

 

 わたくしはあの方の後を継いだ。


 でもすぐにわたくしは必要ではなくなった。

 

 だから各国を彷徨い、わたくしはアタシとして、生きる術を振るった。


 そして…………とある国で一つの依頼を受け、ターゲットに会いに行く。


 ターゲットはまだ幼く、アタシが城を追われたときと同じ年頃。


 だから少し、躊躇ってしまった。


 そんな時だ。


 ターゲットが声を殺して泣き出した。


 ポロポロとこぼれ、頬を伝うその雫の美しさに、動けなくなった。


 死ぬことへの恐怖かと思い、さっさと殺してやろうと動こうとした、そんな時。


「いたい……?」


 少女が泣きながら、問うてきた。


 『当たり前だ』と笑ってしまう。


 だからせめて、苦しまずにお行き。


 小さな小さな命……。


 そう、少女の喉元に愛剣をそえ、横に引こうとした。


 けれど……出来なかった。


 出来なかったんだ…………。


「おかお、いたくないの? つらくない? けが、してるよ?」


 今まさに命を刈られそうになっているはずの少女が振り返り、アタシの顔に手を伸ばしてきたから……。


 少女の瞳に、恐怖などみじんも浮かんでいなかったから。


 ただひたすらに、心配してきたから……。

 

 この時だ。 


 アタシは少女に親しみを持ってしまった。


 あの方と同じ瞳の色と、アタシを心配する優しい瞳。


 ……だから。


 『コレは殺せない。否、殺させない』


 そう思った……。



 ――――――――――――――

 

 ―――――――――― 

 


 とある屋敷。

 その居間のソファに寝て寛ぐ緑の髪に藍の瞳を持つ男。

 向かいのソファに緑の髪と瞳の幼子を抱き、腰かけた、背に流した長い鳶色の髪と、翡翠の瞳の、見目麗しい華奢な女性。


 女性は男と話している間に、眠ってしまった我が子をいとおしげに見つめ、微笑んだ。


 男はそれを見。

 ソファに寝ていた体を起こし、口を開いた。


「……で? お前、姫さんに正体すらあかしてねぇだろ」

「あぁん? あかしてんだろが。『暗殺者です』ってな」


 女性は顔に似合わない口調で澄んだ声音を返す。

 男はこれに苦笑。


「…………そこじゃねぇよ。テメー本来の姿の方だ」

「あぁ。別に、姫さんはアタシらの過去なんぞ興味ねぇみてぇだからな。必要ねぇさ」


 いくらか声音が和らいだ女性の言葉に、男は困った顔をした。


「……………………そんな風には見えんのだが……」

「はぁ? 何言ってやがる。姫さんはそんな器の小せぇ奴じゃねぇんだよ」

「ぅむ……。まぁ、お前がそういうんなら、そうなんだろうな…………」


 こうして、男は考えることを放棄した。 


 今が良ければいいだろう。


 そう判断したためなのかもしれない……。




 ―――――――――――――

 

 ――――――――――



「私って、実は嫌われてるのかしら……?」


 なんて、真っ暗な自室で不安に駆られている奴もいたりして……。


「うん。そうだよ。姉さんは僕のだ。お前なんぞが顎で使っていい人間じゃない」


 と、まぁ。


 お約束のように、殺されかけてたり……。


 そして、当たり前のことだが幸せな夫婦はこの時、それに気づいてはいなかった。

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