第5話 涙

 その後。

 四号は何事もなかったかのように(扉を直して)いつも通りの様子で退室し、私は料理長とたわいもない話をして盛り上がっていると―――。

「んぅ~~……」

 小さな可愛い声が料理長の背中から聞こえました。

 ふふ!

 お気づきかしら?

 ずっと料理長。

 赤ちゃんをおんぶしていたの。

 私はこれについつい頬が緩んでしまったのを感じました。

 でも、気にしません。

 だって緑の髪と瞳はとてもきれいで可愛らしいのだもの。

「あら。妖精さんのお目覚めかしら?」

「ああ、そのようだ」

 料理長は朗らかに微笑んで、おんぶ紐を解き。

 とても可愛い緑の妖精・ルーゼットを腕に抱きかかえる。

「ふぅうぅぅ……」

「あぁ。腹が減ったのか」

 そう言ってどこからともなくミルクの入った哺乳瓶を取り出し、ルーゼットに。

 料理長はとても穏やかな微笑みをたたえていて、彼女がとてもルーゼットを愛し、慈しんでいることが良くわかるの。

 まぁ、その……。

 料理長の顔は、いくら穏やかに微笑んでいようとも、凶悪なのには変わりはありませんが…………。

 こうしてミルクを飲んだルーゼットは私の方へと手を伸ばし、赤ちゃん特有の言葉を発しているわ。

 ルーゼットの緑の瞳がひたりと私を見つめ、一生懸命手を伸ばしていて、どうしたら良いのか分からなくて、困惑してると。

「ほら姫さん。こいつ、抱いてやってくれ」

「……もう、『こいつ』じゃないわ。『ルーゼット』でしょ?」

「あぁ、すまん。ほら」

「え、あ、うん。ありがとう料理長。おいで、ルーゼット」

 こうして私は料理長からルーゼットを受け取った。

 ただ私が膝に乗せで抱いているだけなのに、この子は嬉しそうにはしゃいで、笑うの。

 不思議よね?

 私、そんなに変な顔してるのかしら?

 そう思って、大きな緑の瞳を覗き込んでみる。

 でも。

 その瞳に映る私はいつもの私。

 この子は何がおかしいのかしらね?

 不思議だわ……。

 私以外が抱いても、こんなにはしゃいで笑ったりしないのよ?

「きゃはは」

 ぁ痛……。

 か、かみ、髪が……。

「こら、ルーゼット。姫さんの髪を引っ張るんじゃない」

「いいの。ふふ、ルーゼットは今日も元気ね」

 そうなの。

 櫛を通しただけで流していた私が悪いの。

 朝一番にマリアは結ってくれるって言ってくれたんだけどね。

 私が『今日は結いたくない気分なの』って我儘を言ったの。

 だって、皆忙しそうだったから……手を煩わせたくなくて…………。

 それにいくら長いと言っても、邪魔にもならなければ気にもならないから。

 そう言う訳で髪を引っ張られながらルーゼットの柔らかい緑の髪に手を伸ばした時。

 自室の扉がノックされた。

「どうぞ」 

 声をかけると静かに扉が開いて、見えた場所にはテノール。

 どこか機嫌が悪そう?

「失礼します」

「機嫌が悪そうね、どうしたの?」

「…………いえ。先ほどの変態がこれを、と」

「なぁに、その丸い……ガラス、玉?」

「これは見たいものや場所、それらを見るための魔道具です」

「まぁ……。魔道具? つまり便利道具ね?」

「……そうですね。『これは代金の代わり』だと。『つりは不要』と言いのこし、あの変態。消えました」

「そうなの。出来ればもう二度とお会いしたくないわ」

「はい。それはもちろん。ですが、この道具。ちょうど入手をと考えておりました故、ちょうど良かったです」

 テノールは大きなガラス玉を片手に微笑んだ。

 でも、何処かその微笑みが怖いわ。

 話を変えましょう……。

「それで。そのガラス玉はどのように使うの?」

「はい。いたって単純で見たいものを思うだけです」

「え? 魔力はいらないの?」

「はい。これは誰かしら魔力を持つ者が力を込めておけば、魔力のない人間でも扱えます。ためしに何処かご覧になりますか?」

 ふわりと優しくほほ笑んだテノール。

 先ほどの怖さは無くて、少し安心。

 なんて思っていたら、ルーゼットを料理長が抱き上げ、ルーゼットの代わりにガラス玉を渡されたわ。

 結構重い……。

「……ところで、これは私が扱えるの?」

「恐らくは」

「そう……なの?」

「はい」

 なにやらテノールと料理長から期待の眼差しを受けております。

 ……これで反応しなかったらどうしましょう…………。

 なんて不安は、私が『ファスティの屋敷を見てみたい』と思うとともに消え。

 その代りに、ガラス玉に見慣れた屋敷が映り、屋敷の中をゆっくりと映した。

「テノール、料理長! 私でも使えたわ!!」

 ついつい嬉しくて二人に報告すると、テノールは嬉しそうに微笑んで頷いて。

 料理長はルーゼットを抱いたまま『良かったな、姫さん!』って、喜んでくれた。

 だから私は二人にお礼を言って、ガラス玉に意識を集中し、父様と母様を探してみる。

 きっと二人、穏やかにお過ごしでしょう。  

 あぁ。

 そう言えば、あの男の子。

 どうしているのかしら?

 なんとなく気になったので、あの子を探して屋敷を移していく。

 でも見つからなくて、夢中になりかけていた時に、テノールと料理長が用事があるからと退室していったわ。

 三人が居なくなった後。

 私はあの男の子をやっと見つけた。

 男の子はファスティの屋敷に居なくて、貴族の通う学園に居たわ。

 その子は剣を手に、同じ年頃の男の子と対峙していたの。

 激しく打ち合う二人。

 何か楽しげに会話をしているようだけれど、声までは聞こえません。

 それが少し、残念。

 私はいつしか夢中になって父様の面影の濃い、あの男の子を追っていた。

 いつまでそうしていたのか分からないけれど、突然背後から手が現れ、抱きしめらたの。

 後頭部になにやらやわらかいものを感じ、ついつい気になって少し振り返ると、なにやら楽しげなお姉様が。

「あら、お姉様」

「ふふ。この子、だぁれ?」

 なにやら楽しそうなお姉様。

 ちょこっと嫌な予感がしたので、素直に『弟です』と答えると、お姉様は微笑んだわ。

「せっかくだもの、声も聴きたいわ」

 そう言って、私の持っていたガラス玉をするりと持ち上げ。

 なにやら見たことのない術を展開し、ガラス玉に組み込まれました。

 それからすぐ。

 声が聞こえたの。

 ガラス玉から……。

『ここの問題分かるか?』

『あぁ、ここか。ここはな』

『おぉ、さすが!』

『レドモン、お前が馬鹿なだけだ。なぁ、ハワード』

『なんだと! じゃぁヴィルフはわかんのかよ』

『当たり前だ』

 と。

 三人はどうやら勉強中らしく、楽しげ。

 だけれど、レドモンと呼ばれた金の髪に赤の瞳の少年は、ヴィルフと呼ばれた黒髪に銀の瞳の少年と口喧嘩を始めてしまいました。

 といっても。

 レドモンと呼ばれた子が声を荒げているだけですけれど……。

 父様の隠し子はハワードと言うらしいわ。

 ちなみにハワードは興奮気味のレドモンと言う子をなだめています。

 ……きっとこの子たちはとても仲が良いのでしょうね。

 それと、先ほど見た剣の訓練で思ったのだけれど、この子たちは剣の腕が立つみたいだわ。

 まぁ。

 この学園の中では、ですけれど。


 …………それにしても。

 ミリー。

 どうしたのかしら?

 少し前に見たくらいで全然見ないのだけれど……。

 なんて思ったら、静かだったお姉様がくすりと小さく笑った。

「お姉様? どうしたの?」

「ちょっと別のを見ても良いかしら?」

「もちろん」

「ありがとう。じゃぁ、ここの台所ね」

 そうお姉様が言うとともに、ガラス玉の画面がこの屋敷の台所に切り替わった。

『あ。り~すー! 見てる?』

 背中を向けたまま、両手を大きくふるミリーの姿。

 これに同じく背中を向けたままのバリトン。

『いや。反対だ』

『え? そうなの?』

 呆れた様子でこちらを指さしたバリトンに、ミリーはきょとんとした顔で振り返る。

『早く来て!』

 そう、嬉しそうに笑って言った。

 訳が分からなくて首をかしげていたら、お姉様にソファごと台所に転移させられたわ……。

 もう……。

 って、あら? 

 台所なのに、料理長が居ないわ。

 だっていつもここに居るのよ?

 なのに料理長の部下もいないわ。

 そして。

 ここに居るのはミリーとバリトンだけ。

 なぜかしら……?

「もう少し待っててね!」

 なにやら楽しげでそわそわしているミリー。

 どうしたのかしら?

 あぁ、そう言えば――――

 私に抱き着いて、後頭部にその豊富なものを押し付けている場合ではないのでは無いのでしょうか?

「お姉様。お仕事の方は……?」

「え? あぁ、もう終わらせたわ」

 少し上を向いて、お姉様を確認して言うと、お姉様は嬉しそうの微笑みました。

「待たせたわね。リース。私一人では寂しかったでしょう?」

 視界が真っ暗になりました。

 しかも、なにやらかに顔が埋まった上でぎゅうっと抱きめられています。

 後頭部もなにやらかに埋まっているのよ。

 もう直視したくないわ……。

 でも、男性の方なら喜ばれるのでしょうね。

 喜び過ぎて鼻から血をお噴かれそうですが……私からすればただただ居心地が悪く、何より息が苦しいの……。 

 ……嗚呼。

 そうでした。

 お姉様は二人いましたね……。

 ついうっかり。

 いえ。

 現実から目をそむけていました…………。

 …………ですが、出来れば一生。目をそむけていたかったです……。

「……それは良かったのですが、息が苦しいです……」

「あら。ごめんなさい」

 正面に居たお姉様が離れて下さいました。

 ですが。

 今日も。

 えぇ。

 今日も、言わせていただきますわ。

 毎度言っておりますが……。

 いえね。

 ただ、会うたびにこれではいけないと思うのよ。

 えぇ。

 そうよ。

 私、こんなことで死んだら、恥ずかしくて天に昇れないわ……。

「お姉様。私、お姉様の豊富なものによって窒息死など、御免こうむりとうございます」

「ッ……いやよ! リースが死ぬなんてっ!!」

 と。

 後頭部のお姉様。

 次ぐ、じわりと涙を浮かべた正面のお姉様は俯いて。

「ごめんなさい、リース。私、つい嬉しくて……」

 そう言われ、その場に座り込まれたお姉様。

 お姉様は俯いたまま、いやいやをするように首を左右に振ると、私の腰に両腕を回されました。

「お願いよ。リース。貴女が死ぬなんてイヤ。嫌よっ……!」

「えぇ。私も嫌だわ」

 正面の泣き出したお姉様に続き。

 後頭部のお姉様はそう言うと、身を乗り出し、私の頬に頬を摺り寄せて来られ。 

 その頬が少し、濡れていました。

 …………どうしましょう。

 これは間違いなく、私がお姉様を……泣かせてしまった…………?

「ぁ。え、えっと……その、その…………『すこし、力を緩めてくださると嬉しいな』と、言いたかっただですわ。ですから、お姉様。泣かないでくださいませ……」

「っ……泣いて、無いわ」

「そうよ。泣いてなんて……」

 お姉様はそう言うけれど、声が涙に濡れています。

 ……あぁ。

 いつも思うのだけれど。

 こんな風に泣かせてしまうのなら、笑って居ればよかったわ……。

「お姉様ごめんなさい。私が悪かったの。ですから、どうか泣かないでくださいませ」

「「……キス、してくれたら泣き止むわ」」

「えぇ。それで泣き止んで下さるのなら、喜んで」

「「本当……?」」

「はい。もちろんです」

「「ふふふ」」

「……お姉様?」

 あら?

 さっきの笑い声。

 涙に濡れていなかったような気が……。

「ふふ。簡単すぎだわ、リース」

「本当。こう何度も泣き落としが通じると、将来が心配だわ」

 と。

 何故か嬉しそうなお姉様が私の左右の頬に唇を落とし、嬉しそうに離れて下さいました。

 …………これは、もしや……。

 おそるおそる私の正面と背後に居るお姉様を見上げてみます。

 お姉様お二人は既に立ちあがって私を見下ろして、微笑まれており。

 目元は涙に濡れてなど、おりませんでした……。

 ……あぁ。

 また、お姉様の嘘泣きに騙されました……。

「もう、お姉様っ! また騙しましたねっ!!」

「嫌だわ。騙すなんて」

「そうよ。人聞きが悪いわ」

「そう言っていつもいつも誤魔化してっ! 罪悪感を感じる私をなんだと思っているのですか?!」

「「可愛いくて愛おしい妹よ」」

「……っ。もう、私。お姉様の涙に弱いのです。お願いですから、嘘泣きは辞めて下さいませ」

「「いやよ」」

 飄々と、かつにこやかに微笑まれたお姉様。

 …………これで何度目かしら?

 あぁ。

 止めましょう。

 考えるだけ空しいわ……。

 もうこうなったら!

「お姉様っ! この際だから言わせていただきます、ゼグロさんとギルド長に迷惑はかけてはいけません! お二人にもしものことが起こったら、お姉様にもしもの時、誰がお姉様を助けるのです?!」

「あら。この私が遅れをとるなど、ありえないわ」

「そうよ。ありえないわ。だって私が二人いるよの?」

「「ねぇ?」」

「っ~~~ありえなくなどありません! いつなん時、何が起こるかなど誰にもわかりませんわっ!」

「……………………分かった。良いわ、優しいリースが言うんだもの。雑魚な二人を労わってあげる」

「もう、リースは優しすぎるわ……」

「本当ね。あの雑魚の事を心配するんだもの」

「雑魚は雑魚でしかないというのに」

「コホン!……とりあえず、ありがとうございます。お姉様」

 出来れば、『雑魚』と言う単語は除いてほしかったのですが…………。

 無理ですわね。

 だって、一瞬ですべてを消しさるほどの力をお持ちのお姉様ですもの……。

 そんなお姉様から見れば、ゼグロさんたちは雑魚……。

 なのでしょうね…………。

 私。

 最近お姉様が『化け物』と呼ばれる理由を、次々と拝見させていただいているので、『その言葉、まさしく』。と頷いてしまいます。

 もう、お姉様がギルド長に『化け物女』と例えられようとも、私。

 笑顔で同意を申し上げてしまいますの…………!

「あ! 準備できたみたい! 行こ?」

 沈黙を守っていたミリーが突然そう言ったの。

 どういうことかしら?

 なんて考えていたら正面から移動したお姉様に変わって正面に表れ、ふわりと浮かんだ小さなミリー。

 彼女の両手に手を握って引かれ、慌てて立ち上がる。 

「え? ちょっと待って。ミリー! どこへ行くと言うの?」

「ん? えっと……内緒!!」

 問うと、にっこりと。

 嬉しそうで楽しそうに、好奇心一杯にミリーはほほ笑んだ。

 もう。

 なんだというの?

 そう思い、彼女に手を引かれるまま台所を後にした。

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