第三章 第1話 執事

『…………ててさま……』


『ててさま! あのねーー』


『ててさま。このやくそーはちがうの?』



 幼さゆえたどたどしい口調ながらも言葉を紡ぎ、駆け寄ってくる幼子。




父様ててさま。私、もう一人前かしら?』


 ーーあぁ。お前はもう立派な薬師であり、忍びだ………………。


『そうよね。だって私は父様の弟子で、何より父様の娘だもの』


 ーーお前は誰が何を言おうと、俺の自慢の娘だ。


『ふふ…………そうね。そうよね』



 嬉しげに微笑み、薬草を磨り潰す手を止め。

 表情を引き締めて顔をあげ、振り返った。



『父様…………私ね。城主様のお嫁様になるわ』


『城主様が、私を『是非』と言ってくださっているの』


『父様。城主様はとても素晴らしいお方ね』


 はにかむ心優しき娘。

 この頃の俺は、娘がーー長老たちが巧妙に隠した嘘に、気づくことはなかった………………。


 私を『父』と呼び、慕ってくれた娘。


 この世に生を受け、山に捨てられていた、弱り果てていた小さな赤子。


 拾ったその命は空前の灯火だったと言うのに、あの娘は強く。


 何より、美しく育った。


 …………故に。


 城主の……あの男の戯れで…………手折られた。


 俺は娘が嫁ぎ。

 半年と立つことなくあの男の手により、この世を去った事も知らず。

 娘の身の心配ばかりしていた。


『住環境の変化で病に掛かってはいないだろうか?』


せわしないあの娘のことだ、怪我をしてはいないだろうか?』


 ただただ、心配ばかりしていた……。



 ーーーーーー


 ーーーー


 寒さも厳しくなった頃。

 里の長老の家に呼ばれた。

一間続きの家の中。

上座に座る、里の長として君臨する長老は、いつもと変わらぬ険しい表情をしていた。


『…………雪影ゆきかげ。お前の拾い子は、二月前に死んだ』


重々しい声音で告げられた真実。

一瞬何のことかわからなかった。


『まさか、その様なことーーーー』


何かの間違いだと笑おうと、無意識に口元に笑みが浮かびかけるが、里長の重々しい声が『事実だ』と遮る。



『ですがーーーー!!』

『あの捨て子も了承したことだ』

『っ……!』

『もう二度と、要らぬ血を里に持ち込むでないぞ…………。お前は、私の息子なのだから…………』


 長老は淡々と不愉快な事を口走る。


 あの娘をーーーー俺が実の娘同然に慈しみ、大切に育てた娘を…………俺の子を、『捨て子』と。


 『要らぬ血』と…………。


『………………要らぬからと……俺の子をーーつばめを、殺したのか、親父っ……!』

『……何を憤ることがある。里の存続の為、里の子らが為。捨て駒にしかなり得ぬ駒を、つこうて何が悪い……?』

『…………そう、かよ……。だがな、燕は俺の娘で家族だ。それを殺されて黙っていられる程。屑じゃねぇ』


片膝を立て、立ち上がり。

背を向け、玄関へと向かう。


『……………………何処へ行く……』


戸口に手をかけた時。

白刃の小刀が飛翔し、俺の左頰の皮膚を薄く切り、戸口に突き刺さった。

俺はこれに、軽く振り返る。


『言うまでもない』

『止めておけ…………止めぬと言うのであればーー』

『何があろうと押し通るまで』


俺は腰の刀に手をかける。

里長は自身のすぐ脇に置いていた刀を手に取り、鞘から抜き放ち。

側に立つ燭台の光を浴びた刀身は、紅く色を放った。


『…………そうか……残念だ』

『俺もだよ……。親父……』


振り向きざまに刀を抜き。

それを合図に親父は構えた。

ーー刹那。

強い衝撃音と、上からの重い衝撃。

それに負けぬよう、刀で振り払い。

手首を返し、右斜め上から刀を振り下ろすーー。




『『『『『里長!!』』』』』


 音を聞きつけ、雪崩れ込んできた里の者たちは、皆。

 血塗れになった親父の刀を弾き飛ばし、首を狙う俺を見。

驚愕の表情をしていた。


『『『『お辞め下さい! 雪影様っ……!!』』』』



 ーーーーーー


 ーーーー


 周囲の妨害により、決着のつかぬまま。

死にかけた親父を捨て。

俺は城主に引導を渡すべく、里を出た。

その際着いてきた里の者どもは、俺が復讐を果たした後も側にいる。

 親父が生きているのかなど、知る価値などない。

 里も同様。

 消えていようがなんであれ、俺の知ったことではない。



「テノール様。また、お嬢様に向け、虫が放たれました」


キッチンで銀食器を磨いている俺に、お嬢様のそばを離れ、 冷静に告げるマリア。


「…………敷地に入った時点で始末しろ」

「はい。了解しました」


そう言って、神妙に頷き。

踵を返す娘に成長を感じつつ。


「怪我をするんじゃないぞ、燕。お前はせわしないからな」

「怪我など、しません……!」


そう言って拗ねた様子で去っていく娘に、俺はついつい微笑んだ。



 ーーーーーー


 ーーーー


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