第6話 ミリーは…

 静かな室内。

 この部屋の主であるお嬢様は、ベッドの上。

 昇ったばかりの陽が室内を優しく照らす。

 お嬢様の顔色はひどく悪くて。

 時折小さく悲鳴のようなものと、小さなうめき声が上げて身をよじったり、縮こまったり。

 お嬢様は……ひどく、くるしそう…………。

 私は、苦しそうなお嬢様に早く目を覚ましてほしくて、お嬢様の手を両手で包んだ。

「お嬢様…………」

 呼びかけてふと、昔を思い出した。

 

 あれは、私がお嬢様に拾っていただいて、遊び相手として傍に居たころ。

 私はお嬢様を親しみを込めて『リース』と、呼んでた。

 でも。

 今はもう、遊び相手じゃない。

 私は…………お嬢様の侍女。

 至らないところは多々あると分かってる。

 だからこそ、私は。

 遊び相手だったころの思い出の呼び名を止めて、親しみを込めて『リース』と呼ぶ代わりに『お嬢様』と呼ぶことにしたんだもの。

 私がそう決めたとき。

 お嬢様は『寂しいわ』と困った顔で笑ってた。

 あの顔は忘れない。 

 でも、私は侍女として……お嬢様に必要とされたい。

 そう思ってる。

 だけど。

 お嬢様が起きてくれないと、私はお嬢様の侍女になれない。

 じゃぁ。

 今の私は何なの?

 遊び相手?

 でも、お嬢様はもう。

 そんなものが必要な年じゃない。

 だったら今の私は、ただの【ミリー】。

 今の年頃のお嬢様に必要なものは、話し相手。 

 じゃぁ私。

 今は。

 今だけは…………お嬢様の話し相手を、勝手に務めさせてもらおうかな……。

「りぃ……す……」

 少し緊張したけど、昔みたいに読んでみた。

 でも、昔みたいに素直に呼べない。

 困っちゃったな……。

 …………久しぶりだから、しょうがない。よ、ね……?

 だから気を取り直しってっと!

「リース。起きて? 朝になっちゃったよ? もう、四日も寝たままじゃない。いい加減起きて、私とお茶しようよ? 今度はね、紅茶にレモンを入れてみようと思うんだ。料理長にたのんで、紅茶に合ったお菓子を焼いてもらうから…………」

 そう、リースの手を握って話しかけるけど……反応は、無くて。

 私の声が。

 言葉が。

 空しく、室内に響くだけ…………。 

「だから……。だからね、早く……起きてよ。それで、『おはよう』っていってよ…………。ねぇ……リース………………。さみしいよ……」

 勝手に感情を表す言葉が零れて。

 それと同時に涙が頬を滑って、スカートに落ちた。

 一度こぼれたそれは、次から次に落ちてきて、止まらなくて。

 目をこすって止めようとしたけど、リースの手を離すのが怖くて、それが出来なかった。 

 ねぇ、リース。

 私、リースが居なくなっちゃいそうで、こわいよ……。

 怖いんだ。

 だから早く、目をさまして…………。


 

 *** 


 屋敷を巡回しつつ、お嬢様の部屋に来たところ。

 ミリーの小さな嗚咽がお嬢様の部屋から聞こえ始めた。

 お嬢様の様子は気になるが、付きっきりで寝てもいない。

 食事をしようとしないミリーの様子も気になっていた。

 だからこそ。

 これを注意しようと考え、お嬢様の部屋を訪れたのだ。

 だが。

 今はやめておこう。

 そう考えて踵を返し、調理場に向かった。

 調理場では、料理長が椅子に座り、親指の爪を噛んでいた。

「お、長。し、したく、で、でで出来ましたっっ!」

 激しくどもりつつそう叫んだのは、料理長が連れてきた下っ端たちの内の一人。

「おう。わかった」

 料理長はそう返答し、席を立つ。

 と、ここで俺に気づいたようだ。

「なんだ。テノールじゃねぇか…………姫さん。どうだ……?」

 目の下にクマを作っているせいで、さらに迫力が増している。

 この様子だと、侵入者を見つけようものなら周りを考えず血祭だろう。

 気をつけねば……。

 そう頭に刻み、料理長に答えを返す。

「……激しくうなされいる」

「そうか…………。だいたい、お前。本当にアレ、睡眠薬だったんだろうな?」

「あぁ。お嬢様には、少し眠くなる程度に作っておいた」

「………………常人だと、二度と目覚めねぇってやつだろう?」

「以前渡しただろう?」

「…………姫さん、一時間もせずに起きたな……」

「当たり前だ。俺が面倒見ているんだ。薬で死なれてはかなわん」

「ふっ……。通りで。あの姫さん。なんの警戒もなくアタシが作った料理を食べるわけだ」

「それは元からだ」

「……その口ぶりだと、お前。殺しかけただろう?」

「…………………さぁな……」


 

 ***


 私が勝手にリースの話し相手になって、さらに二日たった。

 何度も話しかけてみたんだけど……返事はない。

 リースの傍を離れたくなくて、ずっと傍にいた。

 そしたらテノール様に叱られた。

 どうしてかな?

 あ。

 そういえば、『食事をしなさい』って言われたっけ?

 …………食欲、無いんだけどなぁ……。

 まぁ。

 しゃべり続けてて、喉が渇くから水は飲んでる。

 そのせいかな?

 どうでも良いけど……。

「リース。もう、夜だね。皆、眠っちゃったのかな?」

 ちなみに、私は今。

 リースの広いベットに上がって正座してる。

 包んでる白くて細い手は、暖かい。

 そのことに安堵するけれど。


『どうして目を覚ましてくれなんだろう』


 って。

 考えちゃう……。

 どうしようもないなぁ。

 私って……。

 リースがこんなに苦しんでるのに、自分の事ばっかりだ。

 早く、一緒にお茶。したいなぁ。

 …………ねぇ。

 リース……早く、目。覚まして…………?


 じゃないと、私。

 侍女に戻れなくなっちゃうよ……。


「…………また、リースに言葉使い。注意されちゃうね……。ごめんね、リース。私馬鹿だから……また。侍女としての言葉使いとか、礼儀作法とか、教えてもらわなきゃかも……」 


 きっとまた。

 リースは困った顔で、一から教えてくれるよね。


「おやすみ、リース。私、リースが寂しくないように、手を握っておくね? ……ていうか。私が寂しいからなんだけど!」 


 少し笑って、手を包んでる手に少し力を込める。

 早く、リースが悪夢から解放されるように。

 そして、早く起きて、笑ってくれるように……。 


「ねぇリース。私、あんまりっていうか、まったくだけど、少しは……役に立ってる、かな? …………たってると、良いなぁ……」 


 そっと手で包んでるリースの手を、片方の手だけで握って、そっとリースの頬にふれた。

 そしたら。

 苦しそうだったリースが、ホッとしたような顔をした。

「っ?! リース……?」

 情けないことに、声だけじゃなくて、手も震えた。

 頬にそえてる手で軽く。

 本当に軽く頬を叩いてみた。


「ん……ぅ…………?」

 瞼が震えて、うっすらと開いて。

 長い睫に隠されながら、菫色の瞳が見えた。 

 そのことが嬉しくて。

 嬉しくて……。

 言葉が出なくて、それの代わりに涙がでた。

「リース。おはよう! って。あぁ! 今、夜だった!! あれ? 夜ってなんていえばいいんだっけ……?」 

 うん。

 分かんなくなった。

 リースに聞いた方が早いかぁ!

「ねぇ、リース。この場合って、なんていえばいいの?」


 そう聞いて、私は気づいた。

 リースが泣きそうな顔で、上体を起こして、ずるずると枕元に。

 まるで私から距離をとるように、後退していることに……。

 私は何故か、その様子に不安と恐怖を感じた。

「……りぃ、す…………?」

 心配になって手を伸ばした。

 でもこれに。

 リースの顔がこわばった。


「っ……いやぁぁああああぁあああ!! こっちに来ないでっ!!」


 ――――パシン


 リースが叫んだと同時に、響いた乾いた音と、手の痛み。

 

 訳が……わからない………。


「………………え……? りぃ、す……?」

「っ! あっちに行ってっ!!」

 

 すごく怒った顔で、叫んだリース。

 私はあまりのこと過ぎて、ただ、ぼぅっと、みつめた。


「どう、し……て…………?」  

 そう言葉にしたら、いつの間にか引っ込んでた涙が、またこぼれた。

 リースは枕元。

 ベッドから落ちそうなほど端によって、布団を抱きしめてる。

 常に凛としてきれいな菫の瞳は、今はひどく怯えてた。

 そんなリースの姿が。

 目の前の現実が…………私は信じられなかった……。


「お嬢様!」

「姫さん!!」


 同時に聞こえた、テノール様と料理長の声。

 私は二人を確認するために、振り返った。

 そしたら、二人だけじゃなくて、ルシオ様とゼシオ様も……私の真後ろに居た。

 いつの間に、後ろに居たんだろう?

 なんて疑問、すぐに出てこなかった。

 

「ひっ……!」


 小さな悲鳴。

 それはリースの方から。

 私はそれが不思議で、リースの方を向いた。

 リースは真っ青だった。

 どうして?

 いつもは、笑顔で迎えてるのに……。

 

「お嬢様……。目が覚めたのですね」

 そう言ったのは、ホッとした様子のテノール様。

「姫さん。心配したんだからな」

 いつの間にか目の下が真っ黒だった料理長は、フッと笑った。

 そして、ルシオ様とゼシオ様は……相変わらずの無表情。

 ただ、目の下が黒い。


 …………皆、心配してたんだ……。

 

 私はそれが、自分の事のように嬉しかった。

 でも。

 リースはそうじゃないみたい。

 だって、震えてるだもん。

 『怖い』って。

 菫の瞳が叫んでるんだもん。

  

「っ……て……。っ…………出ていってっ!」

 小さな悲鳴のような声。

 言葉はかろうじて聞き取れた。

 だからこそ、首をかしげた。

「リース……? どうしちゃったの? みんな、心配して――――」

「出て行ってって言っているの! 分からないの?! 早く出て行ってっ……!!」

 そう叫んだリースは、目だけじゃなくて、全身で酷く怯えてた。

 どうして? 

 どうして、そんなに怯えてるの?

 分かんないよ……。

 いつもと違うリースを見ていられなくて、つい、俯いた。


 ――――パン……。

  

 突然、乾いた音が室内に響いた。

 私は何が起こったのか分からなくて、恐る恐る、音のした方に目を向ける。

 そこには、手を振り払った形でいるテノール様と、顔をそむけたリースの姿。

 一瞬何があったのか、分からなかった。

 でも、リースが頬に恐る恐ると言った様子で手を添えるのを見て。

 『テノール様が、リースの頬をはたいんだ』って、理解した。

 それと同時に、なおさら訳が分からなくなった。

 だって、テノール様がリースに手を上げるなんて、絶対になかったんだもん! 

 いくら心配しても、絶対に手を上げなくて、口で叱るだけで。

 リースと一緒に反省したら、抱きしめてくれた。

 そんな優しいテノール様が、手を上げるなんて……信じられなかった。

「っ……テノール様! どう――――」

「黙っていなさい」

 静かな冷たい声と、漆黒の瞳に恐ろしいほど鋭くにらまれて、私は恐怖のあまり、口を閉じて俯いた。

「俺は……『腑抜けのゴミ屑に仕える気はない』そう、言ったよな。リスティナ・ファスティ」

「っ…………!!」

「貴様は『そんなのになったら殺してくれて構わない』そう、言ったな?」

「…………えぇ……」

「では、今か…………?」

 スッと目を細めたテノール様。

 それに、リースが目を見開いた。

「?! え……?」

「何を惚けている。貴様が言ったことだろう?」

「………………どうして、すぐに殺さなかったの……?」

「…………すぐに、殺されたかったか……?」

 そう言ったテノール様は、とても怖い……。

 なのに、リースはきょとんとして、パチパチと目を瞬かせてる。

 ……どうしてそんなにきょとんとしてるの?

 リース……。

 私、本当にリースが何考えてるのか、分からないよ……。

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