第5話 夢うつつ
それにしても。
口の中の水分が奪われて苦しいわ……。
「ミリー。紅茶を入れてちょうだい」
「はい、お嬢様」
笑みを浮かべてミリーは頷き、テーブルの上。
彼女が淹れたリンゴ入りの紅茶に手を伸ばす。
「新しいものがいいわ。そうね。それと、カップも変えて来てくれるかしら?」
「え……? でも、いつもは――――」
きょとんとして見せるミリー。
……どうしてこうも無防備なのかしら?
「そうね。でも今日はきっと何か良くないモノが入れられていると思うから、お願いよ」
「? はぁ……分かりました。ではちょっと行ってきますね?」
「えぇ。行ってらっしゃい。知らない人に会ったらすぐに逃げるのよ?」
「え? お屋敷の中で、ですか……?」
こてんと首をかしげる彼女に、私は微笑むだけにとどめ。
見送った。
はぁ……。
やっと一人になれたわ……。
まったく。
子供の次は侵入者、ね……。
しかも、テノールの様子だと、厄介な者かもしれないわね。
だって。
私が一度飲んだ紅茶に変なものを入れるんだもの。
よほど己の腕に自信があるようね。
じゃなければ、私が気づかないほどにテノールが気配を消して部屋に入ってくるなんて、ありえないもの。
あぁ。
せっかくぬるくなって、飲み頃だった紅茶が台無し……。
はぁ……。
…………まぁ、紅茶は忘れましょう。
今、考えるべきは子供と、母様よ。
まず子供。
仲良く出来るかと問われれば、否。でしょうね。
だって考えてみてくださいな。
家のためとはいえ。
父が、母を裏切ったのですよ?
あの場の様子から見て、しっかりと説明はしていないでしょう。
……まぁ。
ありふれた物語や噂と違い『お前の弟だ。仲良くしなさい』と言わなかったところは評価しますが……。
その程度ですね。
今後かかわりを持つことはないでしょう。
この屋敷はあの少年が次ぐでしょうし、私は何処かへと嫁するでしょうから。
…………放置、で。
次に母様ね。
カンナにすがったという所で、今ごろ泣いておられるでしょう。
母様が物心ついたころから共にいたというカンナ。
彼女は母様と強い信頼関係を築いていて、母様は彼女にだけ弱みを見せ。
カンナもまた、母様に弱みを見せる。
互いが互いに依存している、と笑って母たちは言っていました。
まぁ。
カンナが傍に居るのであれば、母様が落ち着くのはすぐでしょうね。
ということで。
問題はなくなったわ。
そして眠い。
きっと料理長のしわざね……。
【劇的ケーキ】じゃなくって本当は【睡眠ケーキ】なんでしょ?
もう。
『変なもの盛らないで』って。
いつも言ってるのに……。
目が覚めたら、料理長に文句……言わなくちゃ…………。
―――――――――
――――――
『起きなさい……リスティナ…………』
明るい光の中で聞こえた、凛とした女性の声。
それはとても暖かくも感じたし、冷たくも感じた。
「……?」
私はいつの間にか閉じていた目を開けつつ、この声に心当たりがあるかを探す。
けれど、答えは出ない。
いえ、違うわね。
答えは出ているのよ。
『知らない』って答えが……。
「あなた……だれ…………?」
『…………私は、私。あなたであって、あなたではない者……』
「良く、わからないわ……」
『そう…………。私も、良くわからなかった。でも……これからあなたが見るモノは、すべて現実』
声はそう言って途絶え。
同時に、視界がぐらりと揺れた。
―――――――――
―――――
広場。
大勢の人間。
それに取り囲まれ、舞台の様な場所から見下ろす形で私は、後ろでに縛られていた。
少し後ろを振り返ってみると、縄を掴んでいるのは腰に剣を挿し、鎧を身にまとった男。
表情は兜に隠れて見えない。
どういうことかしら……?
何故、私は縛られているの?
どうして。
どうして、私を囲んでいる人間は皆…………憎悪を浮かべているの……?
『これより国家転覆。並びに、王女暗殺を図った重罪人。リスティナ・ファスティの処刑を執り行う』
「?!」
酷く冷たい声音で誰かが言った。
私は驚愕のあまり、目を見開く。
と。
ここで気づいた。
今私の居る場から正面の家のテラス。
そこからこちらを見下ろす国王と、その横にいる見慣れたミリーの姿。
何故、あんなところに?
あの子は私のーーなんだったかしら?
そう、アレは私の下僕よ。
私が拾って使ってあげていたのに!
あの恩知らずめっ!!
ーー?! 違う……!
違うわ!
あの子は下僕でも、物でもない!
ましてや恩知らずなんて、そんな子なんかじゃない!
私は一瞬にして切り替わった、意味のわからない考えに絶叫した。
でも、私の声は音になりもせず、体も動かない……。
二人を見つめる私を見下ろすミリーは青ざめ、痛ましげな表情をしていた。
彼女の隣に立つ王は酷く冷たい目をして私を見下ろし、私と目があった事で怯えた様子を見せたミリーの肩を抱き寄せた。
その様子に、私は唐突に理解した。
自国の王女が行方不明である事実と、『私』が行ってきた所業と。
目の前の現実が導く答えを……。
ただただ、恐怖を感じ足が震え。
今にも座り込んでしまいそうになった。
でも。
不思議なことに私の足は震えていない。
その代わりに、怒りが湧いてきた。
……なんと理不尽な怒りだろう。
そう、思った。
この国を創った尊い王の血を引き、私たち貴族を守ってくださっている方に対し。
行方不明の王女・シャティフィーヌを探したのではなく。
見つかった王女――つまりミリー――の暗殺を謀ったなど、万死に値する行為。
許されるものではない。
いいえ。
私は絶対に許さない。
でも、私の唇は勝手に言葉を紡ぐ。
『呪われろ』
『こんな国、消えてしまえ』
と。
これに民が激怒する。
当たり前よ。
怒って当然だもの。
不思議なことに罪悪感を感じなかった。
ただ、感じる感情。
それは【狂喜】。
私はそれに逆らえず、笑った。
高らかに。
人々は口々に『殺せ』と叫ぶ。
私はその様がおかしくて、おかしくて笑った。
そして、そんな私の体を後ろの男が羽交い絞めにして、首を断頭台に……。
動けなくなった私はなおも笑う。
広間には私の笑う声と、人々の怒りがこだました。
それから――――不吉な音と共に、私は飛んだ。
―――――――――
――――――
「ッ……!」
ハッとしてあたりを見渡した。
でもそこは、さっき見ていた処刑の場所では無く、私の部屋。
そのことにほっとして、座っていたソファーに身をゆだねた。
「お嬢様。いかがなされました?」
心地よいテノールが聞こえ。
私は声のした方を向いた。
「何でもないわ。うたた寝していたみたい」
「そうですか。お昼寝をされてはどうですか?」
そう言って、目を細めたテノール。
でも、何か違和感を感じた。
私はそれが何に対してなのか分からない。
引っかかるものを感じ、テノールを見つめる。
だけど、何もおかしなところは無い。
気のせいだったのかしら?
そう思い、テノールの方を向いていた目線を、膝に落とした。
――――ドォォオオオン
何か大きな音がした。
「何?!」
ついとっさに叫んだ。
でもそれより早く、テノールが部屋を飛び出していく。
私はそれをぼぅと見送った。
「何だったのかしら……?」
ポツリとこぼれた独り言。
もちろんこれに答える者はいない――――はずだった。
「「侵入者」」
同じ声域で同じ言葉。
それを発した者は、肩で切りそろえられた黒髪に、切れ長な琥珀の瞳の、同じ姿形をした二人の男。
私はこれに目を見開いた。
『ルシオ、ゼシオ』
そう言おうとした。
でも。
私の唇はまたしても、別の言葉を叫んだ。
「貴方たち何者なのっ!!」
叫んだ私。
それを冷たく見下ろす琥珀の瞳。
ニコリともしない整った顔。
彼らはそれをひどく愉快そうに、盛大に歪め。
笑った……。
「「おまえは知る必要がない」」
その声と同時に、体中に痛みが走り。
視界が真っ暗になった。
――――――――――
――――――
「……っ!!」
「あぁ! お嬢様!!」
ミリーの悲痛な叫び。
私は痛みが走った人差し指を見つめた。
真っ赤な血がぷくりと出て、それを作ったであろう針をもう片方の手に持っていた。
あぁ。
そう言えば私、刺繍をしていたんだった。
「お嬢様! す、すぐに手当てをっ!!」
バタバタと慌てだしたミリー。
私はそれを横目に眺め、さきほど見た光景を思い出した。
室内はミリーが居ないというだけで、酷く心細く感じた。
「こんにちは。お姫さん」
聞き覚えのある、声。
聞き間違えるなどありえない。
この声は我が家の顔の怖い料理長。
なんて思いつつ振り返ると、腹部に衝撃と鋭い痛みを感じた。
「突然で悪いが死ね。アタシはあんたに恨みなんてねぇよ。ただなぁ、こっちも仕事でねぇ」
『悪いね』と言って料理長は笑って、私の首をはねた。
そして。
私の頭を、料理場で料理長に下っ端扱いされている七号が拾って、ボロボロの袋に押し込んだ。
料理長は始終笑顔だった。
―――――――――
――――――
「っ……!!」
私はベッドから跳ね起きて首を触った。
もちろん、しっかりつながっている。
変ね。
あれは。
あれらは……夢、だったのかしら……?
でも、嫌にリアルだった。
そう。
現実と言っても良いほどに…………。
「あぁ。お嬢様! やっとお目覚めに……!!」
そう言ったのは、目に涙を浮かべたテノール。
変ね。
ミリーが居ないわ。
あの子は私の侍女のはずよ?
あの子が私の傍を離れるなんて、変なこともあるモノね。
なんて思いながら、テノールの方を向いた。
「私、眠っていたの……?」
「はい。もう二日も」
「そう……」
「…………何か、あったのですか……?」
穏やかに微笑むテノール。
そんな優しい彼に、少しの違和感。
でも、心配をかけてしまいそうなので口にせず、誤魔化す。
「え? ……そう、ね。ちょっと、悪い夢を見ていたみたいなの」
「では、悪い夢ならば、話してしまった方がよろしいかと」
「……そうね。心配かけたらダメだものね。聞いてくれる? テノール」
「はい。お嬢様」
テノールは優しく微笑んだ。
だから私は悪夢について、すべて語った。
終わるころには、言い知れぬ恐怖で一杯になっていて、涙がこぼれ。
それをテノールがふき取り。
私を抱きしめた。
テノールはとても、暖かかった。
私は無意識にその暖かさにすがる。
「さようなら」
耳元で聞こえた囁き。
それの次に、背中に痛みが走った。
「?!」
慌ててテノールを押して、腹部を確認すると、冷たく鋭い銀が見えた。
―――――――――
――――――
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