第3話 分裂
恐怖を振り切る様に父様の書斎を出て、何事もなかったかの様に廊下を抜け。
目的の母様の部屋の扉の前。
私は軽くノックをして、扉を開ける。
母様の部屋の中には、両手で顔を覆ってソファーに沈み込んだ母様と、気遣わしげに傍に付き添う、赤髪に鳶色の瞳の穏やかな表情の女性・カンナの姿。
お茶の用意をしていたミリー。
ルシオは居ない。
まぁ、彼については無視の方向で行きます。
いつもの事ですもの。
とりあえず、母様の向かいの席に座る。
まったくルシオときたら……とか考えていたら、ミリーがお茶をテーブルに置いてくれた。
ありがたく喉を潤す。
気づかないうちに喉が渇いていたみたい。
「母様。少し、落ち着かれましたか?」
「……えぇ。ごめんなさいね、リスティ」
弱弱しく笑いかけて来た母様。
私はその笑みに、胸が締め付けられた。
「ごめんなさい。母様……」
「何を言うの? リスティ。貴女が謝る必要なんて、どこにもないのよ?」
「いいえ。母―――」
「何も、無いの。そうでしょう……? ねぇ、カンナ?」
母様は怒った様な顔をして、強い口調で言い切って微笑み。
カンナの手を握った。
「はい。奥様」
微笑みを浮かべ返したカンナ。
どうやら。
私がここに来たのは間違いだったようですね。
早めに引き揚げましょう……。
「母様。私、少々用事を思い出しましたの。ですから、席を外しますわ」
「あら、そう? 分かったわ」
「では。行きますよ、ミリー」
「はい!」
元気な返事と共に、嬉しそうに微笑んだミリー。
私は彼女を連れ、母様の部屋を辞した。
自身の部屋に向かうためにいつも通る廊下は、花や絵画の飾られ、華やかに見えるのに酷く冷たく。
寂しく感じた。
長いようであり、短くもある時間を私は無言で歩き。
ミリーが後ろに続く。
何処か気遣わしげな気配をミリーから感じるけれど、今は口を開きなくない。
心配をかけているという自覚はある。
でも何かを言うのが億劫だった。
だからいつもより、歩みが速くなったようで、少し慌ただしい足音が後ろ。
ミリーの足元からしていた。
私がこれに気づいたのは、自室の扉前。
ハッとして振り返ると。
そこにはうっすらと汗をにじませ、呼吸を乱したミリーの姿があった。
「ぁ、ごめんなさい。ミリー。苦しかったわね」
「あ。い、いぇ。だいじょうぶ、ですっ……」
弱弱しく微笑んで。
おまけに、息も絶え絶えと言った様子で言われても……。
「…………ごめんなさい。少し、考え込んでしまっていたわ」
「大丈夫です。気にしないでください」
『これでも鍛えてますもの!』と、強がって言ったミリー。
……本当に鍛えているのかしら?
ちらりとそう頭によぎったけれど、私はそれを無視して微笑んだ。
「そう。でも無理は辞めてちょうだいね」
「はい、ありがとうございます!」
と。
嬉しそうに綺麗に笑うミリー。
この微笑みを、屋敷の者や回りの人間は【天使の微笑み】と呼んでいることを、私は知っている。
もちろん。
それに異論はないわ。
いっそ【大天使の微笑み】にしても良いかもしれないわね。
まぁ。
それは置いておいて。
部屋に入りましょう。
――――ガチャ……。
…………ドアノブに触れるか触れないかのところで勝手に扉が開きました。
そして開けたのは肩に着く黒髪に切れ長の琥珀の瞳の男。
ちなみにこれはルシオではありません。
ゼシオです。
厄介なことに双子なのです。
彼らは……。
「ゼシオ。私は『勝手に部屋に入らないで』と何度言えば良いの」
「………………」
「……………………」
「…………………………」
「…………分かったわよ。鍵をかけなかった私が悪いのね。もう……」
もう、嫌だ。
この人…………。
無言でしかも無表情。
雰囲気だけで言ってくるんだもの……。
『だったら鍵を閉めて行け』って。
『いつも言っているだろう』ってね。
……まぁ、あなたの場合。
いつも口、開かないけどねっ!
「はぁ…………ルシオ、居るのでしょう」
「はい」
短い返事と共に、ゼシオが二人に分裂――した……?!
え?
え?!
「落ち着いて下さい、お嬢様。ルシオ様は元からゼシオ様の後ろに――」
「ぁ、そ……そうよね! ちょ、ちょっと私。頭の中が混乱しているみたいだわ」
て言うか。
そんなに私、分かりやすく狼狽えていたのかしら?
なんて考えて恐る恐る振り返ると、ミリーが困った顔で微笑んだ。
…………そんなにわかりやすく狼狽えていたのね……。
恥ずかしいわ……。
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