第41話 プロローグ

「ふぁ~・・・、なんだか寝ても寝たりないよぉ」




ブロッサムは、掃き掃除の途中、箒を動かす手を止めると大きな欠伸を一つ落とす。今日は、朝から家の一階部分である店の掃除をやらされていた。


戦闘後にぶっ倒れた彼女は、アルディオによって魔法医達の元に運ばれた。結界に打ち付けられたダメージは、思っていたより大きかったのだ。担ぎこまれてきた彼女の姿に、キアラが魔法医達を押しのけて治療にあたった。


その後、ルディに連絡を入れたリナルドが事のいきさつを聞き、店を閉めてまで城にやってきた。リナルドは、黒髪の美女に姿を変え、主の代わりにセドリックと元老院の元へ赴いた。彼は、城での主の手伝いで、時折その姿で城内をうろついていたのだ。それ故、彼らは、事の事情をあっさりと話してくれた。みるみるうちに険しくなっていく美女の顔に、元老院の顔ぶれは青い表情を浮かべていた。


リナルドは、後日アストレアから話をさせると彼らには伝え、問題の鏡を回収すると、意識を失ったままのブロッサムと心配そうなファミリア達を引きつれて帰っていった。


そして今朝、目を覚ましたブロッサムは、朝ご飯も食べずにリナルドの説教を食らう羽目になったのだ。ようやく解放されたと思ったら、罰で家の掃除を命じられた。しかし、リナルドが自分を心配して怒っているのが分かっているブロッサムとしては、さすがに文句は言えない。


ブロッサムは、リナルドと治療を行ってくれたキアラ、目が覚めるまでずっと傍に入てくれたルディとピナに謝罪とお礼を言ったのち、今に至っている。


昨日、城であれだけ暴れ回って、朝ご飯も食べていないのにお腹はあまり空いていなかった。それより、重い体と何をしていても襲ってくる睡魔の方が辛い。




「あれだけ暴れればそうでしょうね」


「暴れてって・・・。人聞き悪い言い方しないでよキアラ。しょうがないだろ」




キアラは、書見台を雑巾で拭きながらその向こう側に居る彼女に悪戯げに視線を向けた。ブロッサムは、キアラに顔を向けると頬を膨らませる。確かに、リナルドや兄姉きょうだい達に心配をかけたのは悪かったと思っているが、城での戦闘は不可抗力だろう。


キアラは、そんな彼女に楽しげに笑みを零す。




「フフ❤︎そうね。でも、ちゃんと約束は守ってもらうわよ」

「分かってるってば」




ブロッサムは、苦笑を零すと頷いた。結局、城に4日も居たせいで春休みをだいぶ消費してしまったのだ。おかげで家族と過ごす時間がかなり減ってしまった。城でキアラと『事件が終われば、キアラとルディに好きなだけ付き合う』と約束していたのだ。体が辛いからと、それを先延ばしになんてブロッサム自身もしたくは無かった。




「おい、サム!こっち終わったぞ!早く遊びに行こうぜ!!」


「ルディ、お疲れ様。ちょうど、こっちも・・・」




二階からリナルドと一緒に降りてきたルディが顔を出す。ブロッサムがそちらに顔を向けた時だった。店の扉の鈴が鳴る。今日は、『CLOSE』の看板が出ていたはずだ。思わず一同は、扉に視線を向けた。




「よっ!もう平気か?」


「邪魔をする」


「ロイ!アルディオ!」




思わぬ顔に、ブロッサムは驚いて声をあげた。しかし、リナルドは、ロイとアルディオの姿に露骨に眉根を顰めた。




「性懲りも無くまた来たのか?」


「違う違う!今日は、私服だろ?城の使いじゃないっすよ」


「ああ。だが、王から言付を預かっている」




店内に入ってきたロイは、リナルドの反応に慌てて首を横に振った。そして、自分の着ている服を少し引っ張って主張する。


ロイは、色付きのシャツにジャケット、長ズボンにコンバットブーツ。アルディオは、白のブラウスに黒のベスト、長ズボンにロングのブーツだ。確かに、今日はこの間のように部下も引き連れていなければ、武装もしていない。


隣に立つアルディオもそんな彼に同意して頷く。

ブロッサムは、近くの台に持っていた箒をたて掛けると二人の前に立って小首を傾げる。




「言付?」


「ああ」




アルディオは、短く返事をすると手に持っていた丸められた上等な羊皮紙をブロッサムに差し出した。そんな様子を見やっていたキアラとルディがやってくるとブロッサムの隣に立つ。そして、リナルドもやってくるとブロッサムの後ろに立った。


彼女は、軽く礼を言うと、受け取った羊皮紙の紐を無造作に解き手紙を広げる。そして、その手元を両隣の二人と背に居るリナルドが覗き込んだ。




「どーも。ええーっと、なになに・・・」




書面は、セドリックから直々に送られた今回の事件に関する礼状だった。感謝しても感謝しれきれないといった内容が主だったが、クラウディアやナナキの容態までも事細かに書かれている。どうやら、二人とも順調に回復に向かっているようだ。ちなみに、ブロッサムとアルディオが戦闘時に破壊した城内部分に関しては、今回の功績の為、お咎め無しという事も記載されていた。


ブロッサムは、微笑を浮かべる。自分の興味本位も半分ほどあったが、どうやら解決した甲斐があったなと実感する。セドリックには、後日改めて挨拶と報告に向かおうと思っていたのだが、リナルドから硬く止められていた。どうやら今回の事件で、彼女が危険な目にあったことに対し、城の人間をあまりよく思っていないようだった。




「お!褒美って書いてあるぞ!なんか美味いもんでも貰おうぜ!」


「褒美なんて言うんだったら、サムと過ごすはずだった時間を返して欲しいわ」


「まったくだな」


「・・・さすがに王様でもそれは無理だと思うぞ」




ルディは、手紙の最後の一文に視線を落として声をあげながら、ブロッサムの頭にポンと手を置く。しかし、キアラは、そんな彼の台詞に不服そうに言葉を漏らした。そして、ブロッサムに抱きつくように両腕を回した。リナルドは、呆れた様子で溜息交じりにキアラの言葉に頷く。ロイがそんな彼らに困ったように苦笑を零した。


アルディオは、手紙に視線を落とすブロッサムの顔をずっと見つめていた。ワイワイと褒美という言葉で盛り上がる彼らを他所に静かに口を開く。そんな彼に自然と室内の口数が減る。




「ブロッサム」


「ん?」


「君には、本当に感謝している。俺達では、どうする事も出来なかった。君が動いてくれなければ、きっと俺達は今も・・・」


「アル・・・」




アルディオは、彼女から視線を床へと落とす。無意識に握った拳に力が入った。自分が事件をどうにか出来なかった悔しさもあるが、ブロッサムが行動を起こしてくれなければ、いまだに彼らはクラウディアの居場所さえ分からなかっただろう。そして、ナナキの突然の変貌にも対応出来ていたかどうか。


そう考えるとゾッとする。夜になる度に、変貌したクラウディアが同胞達を切り刻み、セドリックが心を痛める。そんな恐怖と辛さに耐えながら日々を過ごさなければならなかった。


アルディオの震える唇は、上手く言葉を紡げないでいた。その為に彼女は、一番危険な事を買って出て身を挺してくれた。だから、彼女は、あそこまで傷ついてしまった。モヤモヤとした彼の思いが行きつく先は、自分の不甲斐なさを責めずにはいられなくなる。


しかし、ブロッサムは、大きな溜息と共に後ろ頭を掻く。責任感が強い彼だ。曇った表情の彼を見ていれば自分を責めているのだろうという事が容易に想像がついた。彼女は、小さく肩を竦めると苦笑を零す。




「そこ、普通に“ありがとう”って言えないの?君ってさ」


「「!」」




その言葉に、アルディオもロイも小さく瞳を見開いた。そして、ロイは微笑を浮かべると、隣のアルディオの肩にポンと手を乗っけた。彼女の気遣いがこもった言葉がとても嬉しかった。胸の中に暖かなものが広がってゆくのが感じられる。


今回の事件で一番責任を感じているのはアルディオとロイだ。不明な点が多すぎる上、クラウディアが商人から買った『鏡』が原因の一つという結論が出たおかげで、二人は何のお咎めも無かった。それでも、クラウディア付きの近衛だった以上、自分達に落ち度が無かったなどとは、二人にはとても言えなかった。特に、アルディオの落ち込み具合は相当なものだったのだ。




「そうだな。ありがとう、ブロッサム!」


「どういたしまして。さて、ご褒美の件だけど・・・」




ブロッサムは、クスリと笑みを浮かべる。だが、すぐに意味ありげに言葉を切った。


リナルドが少し驚いたように口を開く。彼女は、昔からあまり物を欲しがらない。今回の事も、褒美が欲しいが為に事件を解決したのではなく、師やセドリックの為だったのだろう。だから、褒美を受け取ると思ってもみなかったのだ。




「もうらのか、サム?」


「くれってるって言うんだったら、貰うかなって。ちょうど、欲しいものあったし」


「なんだ?」




ブロッサムは、後ろのリナルドを見上げるようにそう言った。そんな彼女に、ロイが先を促す。ブロッサムは、アルディオとロイに視線を戻すと両手を広げてニッコリと特大の笑みを浮かべた。




「中央区にあるロスメルタ大図書館の金庫に厳重に保管してある『黒の書』ちょーだい❤︎」


「なッ!?サム、なんてもの欲しがってるんだ!あんな危険な魔導書など、絶対にダメだ!!」




頭上から響く怒鳴り声に、ブロッサムは思わず耳を塞いだ。両隣のキアラとルディも同じように耳を塞いでいる。アルディオとロイは、突然のリナルドの雷に吃驚した様子で少し腰が引けていた。


ブロッサムは、羊皮紙を隣のルディに渡すとリナルドに向き直る。そして、眉をハの字にすると指を組んでねだるように口を開く。




「さすがリナ。あれが相当ヤバい書だって知ってるんだ。でも、後学の為に欲しいんだよ~。大丈夫だってば!その為に、魔術師レルネの資格だってオールドに居る間に取ったんだよ~」


「いくら資格を持っているからと言ってもだなッ・・・」


「学校の図書館でも最上位の魔導書まで閲覧出来るし、危ないって言ったって師匠せんせいの持ってる魔導書ほどじゃないだろ?」




ブロッサムは、なかなか首を縦に振らないリナルドに小さく頬を膨らませて食らいつく。しかし、彼は、ジッと彼女を見やると声色を低くする。




「・・・サム。妙によく知っているな。まさか、実物を見たなんて事は無いだろうな?」


「ないない!そんな事したら師匠せんせいにもリナにも大目玉だもん。ただ、学校に『黒の書』に関する書籍があってさ。それで、興味持ったんだよ」




ブロッサムは、ビクッと肩を跳ね上がらせると、険しい視線のリナルドに慌てて首を横に振った。言った通り『黒の書』の存在を知ったのは、ラズワルドに行ってからだ。さすがに、彼の言うような事は無い。しかし、知っていたら忍び込んで見に行くくらいの事はやっていたかもしれないが。こんな事を口にすると確実に怒られるので、心の中の呟きで留めておく。


しかし、リナルドは、それでも頷いてはくれなかった。




「それでもだなッ


「いいじゃないか。可愛いサムがそこまで熱心に言ってるんだ」


「「「「「 ! 」」」」」




突然、アルディオとロイの後ろから別の声が湧き出た。その場の誰でも無い声に一同の視線がそちらに集まる。振り返ったアルディオとロイの後ろには、一人の壮年の男性が腕を組んで扉にもたれかかり、薄い笑みを浮かべてこちらを見やっていた。


彼は、キッチリとした身なりのリナルドとは対照的にラフな格好だった。癖のあるウェーブのかかった草色の髪に赤い瞳。少しよれた白のシャツに長めのジャケット、濃いめの色のズボンとブーツを着用している。


そんな彼にブロッサムは、嬉しそうに声を上げるとアルディとロイの間を抜けて駆け寄る。




「フロー!」


「ただいま、俺のお姫様」




フローズは、扉から背を離すと腕を広げる。そこへ、ブロッサムが飛び込んできた。彼は、易々と彼女を抱き上げる。ブロッサムは、彼から身を離すと彼の肩に手を置く。そして、彼の肩越しに扉の外を見やって小首を傾げた。




「おかえりなさい!・・・って師匠せんせいは?」




アルディオは、ブロッサムを抱き上げたままのフローズから視線を外さぬまま、隣のロイに向けて口を開いた。




「誰だ?」


「さぁ?」




ロイも彼と同じように扉の前の男を見やっている。妙にブロッサムがなついている様子を見る所、知り合いなのだろうとは思うが、彼女の熱烈な喜びように少し複雑な気持ちが込み上げる。

そんな二人の疑問に答えてくれたのはキアラだった。




「私達のマスターのファミリアよ」


「あの人も!?」




ロイは、思わず声をあげてキアラを振り返った。アルディオも視線だけ彼女に向けている。キアラは、笑みを浮かべてコクリと頷く。


扉の前のフローズは、ブロッサムの問に簡潔に答えた。




「ルーカスは、置いてきた」


「・・・え?」




彼女は、思わぬ返答に彼の顔に視線を戻すと聞き返すように言葉を零した。一瞬、聞き間違いをしてしまったのかと思ったくらいだ。しかし、フローズは、少し不機嫌そうに眉根を寄せると空いている手でブロッサムの頭を撫でる。




「アイツに付き合っていたらお前に会える時間が少なくなるからな」


「だからって・・・」




ブロッサムは、困ったように笑みを零す。しかし、そんな彼に頭を抱えながらリナルドがやってくると呆れたように大きな溜息を零した。




「自分のマスターを置いてくる使い魔ファミリアがどこに居るんだ、まったく」


「だったらリナルド。最初からルーカスとはお前が行けばよかっただろう」


「貴様はッ!!」




フローズは、彼の小言のような物言いに鬱陶しそうに露骨に眉を顰める。そんな彼に、リナルドの怒号が飛ぶ。見るからに正反対な性格をしている二人の言い合いなど、この家では日常茶飯事だった。

ブロッサムは、上半身だけをアルディオ達に向けると笑顔で彼らに手を振る。




「って事でロイ、アル!ご褒美の『黒の書』よろしく~」


「コラ、サム!!」




どさくさに紛れて黒の書を頼むブロッサムに、リナルドは声を上げる。しかし、ブロッサムを擁護するように口を開くフローズ。それに対して、リナルドがこめかみに大きな怒りマークを浮かび上がらせている。始まる二人の口論を他所に、師が帰って来るのでは無いかとブロッサムは扉の外を眺めていた。


その様をどこか微笑ましく見やりながら、ロイはクスリと笑みを零す。隣のアルディオは、特に表情を変える事無く、ただジッと彼らのやり取りを見ているだけだった。




「甘やかされるなぁ、ブロッサム」


「賑やかな家だな」


「なんだよ、羨ましいのか?」


「別にそういうわけじゃない。ただ・・・、これが彼女の強さなのかと」


「強い・・・ね。女の子に言う台詞じゃないぞ、アルディオ」




ロイは、隣のアルディオに顔を向けると溜息交じりに苦笑を浮かべる。いつの間にか、扉の前の三人の元には、キアラとルディも加わっていた。城に居た時の凛々しい彼女とは違って、今は楽しげに笑みを零している。

二人は、そんな彼女の様子を少しの間、眺めていたのだった。

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