第33話 君と私

部屋の中に踏み行ったブロッサムは、扉の前で唱えた呪文と同じ浄化の魔法をもう一度唱える。薄っすらと部屋の中に漂っている霧が彼女の魔法の発動と同時に四散した。

アルディオは、彼女の一歩後ろでその様子を見やっていた。




「完全に無くしてしまっていいのか?」


「まぁ、元より瘴気の動きが無かったからね~。むしろ、漂っていられる方が体に毒だし・・・」


(そういうものなのか・・・)




アルディオは、こちらを振り返って簡潔に解説してくれる彼女に、感心気味にもう一度部屋の中を見渡した。ブロッサムは、そんな彼を他所に、キョロキョロと部屋の中を見渡す。そして、目に留まった物へ向かって歩み出す。


彼女は、壁にかけらている金の複雑な彫刻が施してある大きな姿見の前で立ち止まった。そんな彼女の姿に気づいてアルディオは、彼女の元へ行くと隣に並んだ。




「この姿見がどうかしたのか?」


「あー、これか。お姫様が気に入ったって言ってた鏡」


「よく分かったな。もしかして、それも夢・・・か?」


「まぁーねぇ・・・」




ブロッサムは、腕を組んでジッと鏡を見やりながら曖昧な返事をする。考え込む時の癖なのだろう。口元に右手を当てて、眉根も寄せていた。アルディオは、そんな彼女に視線を落とすと一拍置いたのちに口を開いた。




「こういう事は、よくあるのか?」


「こーゆ事?」




ブロッサムが不思議そうに彼を見上げる。アルディオは、少し険しく眉根を寄せている。城に来てから、彼のこの表情を何度見ただろうか。ほぼ毎日にような気がする。




「他人の出来事や過去を夢で見る・・なんて」


「あるわけないだろう。そもそも、先見の能力なんて私無いし」


「サキミ?」




ブロッサムは、呆れたように口を開く。しかし、聞き慣れない言葉にアルディオは、疑問符を浮かべた。ブロッサムは、ピッと右手の人差し指を立てると口を開く。




「巫女や神官様に多い予知夢ってやつだね。まぁ、夢で見る人もいれば物や場所からでも見える人もいるし、力の強い人なんかは水晶なんかに映す事もできる」


「そんな凄い力が」


「一部だよ、そんな人は」




素直に驚くアルディオに、ブロッサムは苦笑を零した。




「なら、君のは?」


「・・・」




しかし、彼が続いてした質問には黙り込む。ブロッサムは、彼から視線を外すと鏡を見やる。夢では、この鏡面ごしにクラウディアの姿を見た。だが、今それが映し出すのは、少し険しい表情の自分と不思議そうにこちらを見下ろすアルディオの姿。


口を噤んでしまった彼女が落とす沈黙の時間は、少し長いように思えた。アルディオは、少し気まずさを感じていた。もしかしたら、何か聞いてはいけない事を聞いてしまったのかもしれないと。


しかし、ブロッサムは、大きく深い吐息を漏らす。それは、どこか諦めと呆れが混ざったような、まるで自分の複雑な心内の感情を吐き出すようだった。




「多分、彼女の感情に引きづりこまれたんだ・・・!?」




ブロッサムは、何気なく鏡面に触れた。しかし、その瞬間にビクッと肩を跳ねあがらせると反射的に手を引いた。驚いて鏡を見やる。まるで静電気のようなビリッとする感覚が触れた瞬間に指先に走ったのだ。だが、鏡からは魔力マナの流れが少しも感じられなかった。慌てて指を鳴らして魔導書を取り出す。


そして、左手に魔導書を持つと、右手の平を鏡に向かって向ける。そして、瞳を閉じて集中すると小さく呪文を唱えだす。


アルディオは、突然の彼女の行動を驚いてただ見ているだけだった。何か気分を害してしまったのかと思っていたのだが、彼女の零すように口にした言葉に違うのだと感じてホッとする。しかし、何を感じたのか、ブロッサムは唐突に行動を開始した。



魔法の知識がほとんど無い彼には、彼女が何をやっているのかよく分からない。それに、彼女が何を感じたのかも。アルディオの瞳でも何も見えなかった。鏡からは、怪しい素振りは窺えない。今の彼には、黙って彼女の答えを待つしかなかった。


ブロッサムが呪文を唱えだすと、左手に持った魔導書グリモアがひとりでに開いてパラパラとページがめくれる。だが、ぺージは最後までめくれてしまい、パタリと本は閉じてしまった。

ブロッサムは、驚愕の表情を浮かべて目を開けた。




「なっ、なんだよ、コレ・・・」


「どうした?」




アルディオは、息を呑んで口を開いた。鏡を見やる彼女の瞳は、驚きに少し揺れている。ブロッサムは、指を鳴らして魔導書をしまうとアルディオを見上げる。




「これ持ってきたのはただの商人?」


「ああ、よく出入りしている商人だが・・・?」




アルディオは、コクリと頷いた。城に出入り出来る業者は限られている。この鏡を持ってきた業者は、雑貨関連を取り扱うお店で、主に城内の女性に好まれるような用品を持ってくる事が多かった。その為、クラウディアは、彼の来訪を心待ちにしていた。城から出て買い物などした事のないクラウディアにとっては、出入りの行商人達が持ち寄る品々は、楽しみの一つだった。


アルディオもその行商人とは顔見知りで、怪しい品物など持ってくるような人物では無い事を知っている。

しかし、ブロッサムは、鏡に視線を戻すと、右手を口元にあて難しい表情を浮かべた。




「これは、かなり大掛かりな魔法道具マテリアだよ。しかも、たちの悪い呪詛・・・いや、違うな。こんな構成セフィラは、呪いには存在しないし・・・見た事無い。とにかく、厄介な代物だね」




正直、見た事も聞いた事もないような魔法道具マテリアが持ち込まれているなど対処のしようがなかった。

先ほどの魔導書グリモアは、この鏡について調べていたのだが、まさか載っていないとは思わなかった。


彼女の持っている古記録書レコード魔導書グリモアには、これまで色々な文献を散々読み漁って彼女自身が作り上げた、かなり高度な知識と精が宿っている。そのせいか、魔導書グリモアの持つ魔力も尋常じゃないほど強く、普通の魔法使いレベルでは扱う事も困難なのだ。しかし、そんな魔導書グリモアにも記載されていない。


同時に、この鏡にかけれたいる魔法の構成セフィラの解読も試みたのだが、まったく見た事の無いものだった。そこには、まず現代では使われていない魔法文字アルカナが刻まれている。ブロッサムの推測の範囲内だが、多分その文字は失われた古代文字だと。しかし、世界には、幾つかそういう物が存在し、いまだ解読されていないものや、まだ見つかっていないものさえあるのだ。


さすがにそこまでの代物だとブロッサムだってお手上げだ。




「姫は!ディア様は、無事なのか!?」

「そんなの分かるわけないだろう」




また、ジッと鏡を観察して考え込むブロッサムに横からアルディオの切羽詰まった声がかかる。だが、彼女は、興味がないようで煩わしそうに眉根を寄せただけだった。


アルディオの心の中には焦りしか無かった。やっとクラウディアの居場所を突き止め、今回のこの奇妙な事件解決への糸口が見つかるかもしれないというのに。それなのに、彼女の話方だと、また降り出しに戻ってしまいそうな不安が湧き上がってくる。


アルディオは、ブロッサムに問い詰められる前、クラウディアが消えたその日から、ずっと自分を責めてきた。きっと自分が彼女の気持ちに応えなかったから、彼女は怒って周囲まで巻き込むほど機嫌を悪くしてしまったのだろうと。だから、自分が彼女にどれだけ嫌われても謝って機嫌をなおしてもらおうと思った。しかし、クラウディアは、忽然と姿を消してしまっていたのだ。


小さな頃からクラウディアの遊び相手として隣に居たアルディオは、彼女がとても我が強い事をよく知っていた。その大きな要因の一つとして、アルディオが彼女の遊び相手として会う以前、クラウディアの母が亡くなった頃から城中の者達が彼女に不必要に手を焼きはじめたことがあげられる。しかし、アルディオ自身は、その事を知らないのだが。


彼女が「欲しい」と一言いえば、手に入らないものなど存在しない。彼女が「いらない」といえば、人だって消える。


だから、時々、自分の思い通りに事が運ばないと、彼女はムクれて自分の要望が通るまで部屋に閉じこもってしまうのだ。特に、公務で忙しいセドリックが中々相手にしてくれない時などは頻繁に起こった。


我儘だが寂しがり屋のクラウディア。アルディオもロイも立場上、彼女の友人にはなれないし、そういう対象として見た事も一度も無い。時折、こちらに向ける寂しそう笑みは、彼らとの心の距離感をどこかで感じていたのだろう。


アルディオは、サムの肩を掴むと無理やりに自分の方に向かせる。




「答えてくれ、サム!あの方は、どこにッ!!」


「!?」




ブロッサムは、小さく苦痛に顔を歪める。彼が強く掴む肩に更に力が篭もった。突然の彼の行動に事態が把握出来ない。どこか追い込まれた様子の彼を落ち着かせようと、口を開きかけたブロッサムの背筋をゾックリと冷たいものが駆け抜ける。突き刺さるような妙な空気を鏡から感じ、思わず視線をそちらに向ける。そこには、鬼のような形相で恨めしそうにこちらを睨みやるクラウディアの姿。




「クラウ・・・ディア・・・」


「!?どこだ!」




ブロッサムは、大きく目を見開いて、どこか呆然と鏡面を見つめていた。アルディオは、そんな彼女の言葉に、その視線を追って鏡を振り返る。しかし、そこに映るのは、呆然とするブロッサムと切羽詰まった表情かおで彼女の肩を掴むアルディオ。


彼は、ブロッサムに顔を戻し、何の冗談だと文句の一つでもぶつけようと口を開きかけた。だが、ブロッサムは、鏡から視線を外さず、右手を上げると彼の胸にそっと押し当てる。その瞬間、アルディオは後方へ吹っ飛ばされた。




「!?・・・おいッ」




アルディオは、胸元を抑えて顔を上げると彼女を睨みやる。尻餅をつく事はなかったが、三歩ほどは後方へ退いただろう。何をされたのかは理解出来なかったが、物凄い圧力で押された感覚だった。だから、彼女が自分に向かって魔法でも放ったのだろうと推測した。有無も言わさず攻撃された事に苛立つ。


しかし、彼を振り払ったブロッサムは、ダンッと音を立てて鏡面に両手をついた。そして、こちらを睨みやるクラウディアに顔を寄せる。




「そうかッ・・・そこに、そこに居るんだねクラウディアッ」


「何を言って・・・」




アルディオは、彼女の行動に眉を寄せる。ブロッサムがそう言って見ている鏡の向こう側に居るのは彼女だ。そこに、クラウディアの姿など映ってなどいない。先ほどまでの苛立ちなど、いつの間にか消えていた。

ブロッサムは、戸惑うアルディオを他所に、こちらを凝視するクラウディアを嘲笑う。しかし、その瞳は鋭く怒気さえはらんでいる。




「ねぇ、クラウディア。キミはさ、まだ『人』なの?それとも、もう化け物にでもなってる?」


「・・・ッ姫」




その言葉に、アルディオは固まった。脳裏には、変貌したナナキの姿が過る。いまだ彼は、意識を取り戻すことなく、予断を許さない状況だ。その為、現在は城内ではなく、ロスメルタ教会にて治療が行われている。アルディオは、小さく震えながら再度、彼女の視線の先を見やる。しかし、そこにクラウディアの姿は、やはり無い。




「ふざけんなよッ!!どうしてッ・・・どうして、あんな気持ちッ・・・・。待ってろ、そこから引きずり出してやるからッ」


「ブッロサム・・?」




ブロッサムは、鏡が割れるのではないかと思うほど、握った拳を鏡面目掛けて強く打ち付けた。そこには、冷ややかな笑みさえ浮かんではいなかった。彼女は、鏡の向こうのクラウディアを怒りに満ちた視線で刺しながら歯噛みする。


先ほど少し落ち着いたと思っていたあの感情が彼女を見た途端にまた疼き始めた。それが、クラウディアの感情だと分かっていても、ブロッサムには辛かった。もう思い出す事も無いようにと、深くにしまったはずの記憶が溢れてくる。押し込めようとしても、胸の痛みがそれを許してくれない。


ブロッサムは、対峙する鏡の中のクラウディアと無言で火花を散らす。


アルディオは、そんな様子のおかしいブロッサムに怪訝な顔つきで訝しむようにポツリと彼女の名を零した。彼は、彼女の行動の不可思議さと態度に、どこか危うさを感じた。

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