第29話 魔法使いとお姫様
ザザッと心地よい風が吹き抜けていく。そんな音にゆっくりと瞳を開けた。空には、大きな満月と零れ落ちてきそうなほど星達がきらめている。そして、鼻腔をくつ甘い香り。視線を下げて周囲を見渡す。そこには、夜空の星々に負けないくらい沢山の白い花がキラキラと輝くように咲いている。
(
この花は、満月の一夜限りしか咲かない希少な花。育てるのが難しく、このように沢山群生している事などほとんどない。そして、花が輝いて見えるのは、花の中央に溜まった滴に月の光が反射しているからだった。周囲の甘い香りは、この満月花の溜まった蜜だ。そして、それはとても貴重な薬の材料となる。
しかし、何よりもこの夜空と咲き誇る一夜限りの花畑の風景は、圧巻だった。ずっと見ていられる。そんな風に思った時だった。ふと人の気配を感じて視線をそちらに向ける。
(アルディオ?)
そう認識した時だった。真横からやってきた彼の姿を見ていたはずが、いつの間にか彼を真正面から見ていた。そして、そんな彼の向かいには花畑に座り込むクラウディアの姿。幻想的なその景色の中の美少女と美青年の姿は、まるで一枚の絵画でも見ているようだ。よく回らない頭で、ただそんな二人の姿を見やっていた。
「来てくれたのね、アルディオ」
「はい。あの、お話とは?」
少し紅潮した顔でクラウディアは、アルディオを見つめながら立ち上がる。やってきた彼は、彼女より少し距離がある所で立ち止まると首を傾げていた。
クラウディアは、そんな彼に体ごと向き直ると胸の前で指を絡めて組む。そして、はにかみながら笑みを零すと真っ直ぐに彼を見つめた。
「私、貴方が好きなの」
「・・・・」
「愛しているの、アルディオ」
「ッ・・・・」
「ねぇ、答えて。貴方は、貴方も、私のこと・・・」
彼女の台詞にアルディオの視線が宙を泳ぐ。そして、彼は、言葉を重ねられる度、苦しそうに眉根を寄せた。何も言ってくれない彼に、クラウディアは、少し身を乗り出す。だがその様に、アルディオは、肩を震わせると片足を引いた。そして、彼女から思いっ切り顔を叛けると右手で胸元の服をギュッと掴む。
「ッ申し訳ありません。俺にはッ・・・私には、お答えする事が出来ませんッ」
クラウディアは、その愛らしい大きな眼を更に見開いた。首をゆっくりと無意識に横に振る。その表情は、まるで信じられないものでも見ているかのようだった。彼女は、小さく震える唇を噛みしめる。そして、声を上げた。
「どうして・・・何故なのッ!?ねぇ、私は、こんなにもッ、こんなにも貴方の事がッ・・・」
しかし、その瞬間、視界がぐにゃりと歪む。いやにはっきりと聞こえた二人の声が耳の奥に残っているのだが、ふと気づくと今度は別の場所に居た。辺りを見渡してみると、そこは中庭に面した渡り廊下。中庭には、光魔法でライトアップされた白い噴水と広大な薔薇園が広がっている。
(・・・あれ?どうして、私こんな所に)
先ほどからどこか頭がスッキリしない。それなのに、視界に入ってくる景色や感触も匂いも、しっかりとしている。どこかフワフワとする思考の中で、ふいに頭に浮かんできた。
(ああ、そうだ。アルディオの姿が見えたから追いかけてきたら・・・)
「アル!」
背中の方から声がした。どうかで聞いた事のあるような気がする。振り向けば、そこは先ほど見た渡り廊下だ。廊下の中央には、アルディオの姿。そして、そこへ駆け寄る一人の女性。彼女は、肩にかかるほどの少し癖のある茶色いの髪を揺らしながらやってきた。瞳は、髪と同じ色だった。そして、白い魔法医のローブを着用している。
「ごめんなさい。待たせてしまって」
「いや、そんなに待っていない。ところで、大事な話とは?」
彼女は、少し頬を染めるともじもじと体を捩らせる。そして、時折、チラチラと上目遣いに彼を見やる。だが、アルディオは、そんな彼女に眉根を寄せると首を傾げる。
彼女は、小さく頬を膨らませた。
「もうっ、分かってるくせに❤」
「?」
しかし、アルディオは、心当たりが無いらしく首を捻る。
彼女は、そんな彼に小さく駆け寄ると背の高い彼を見上げる。そして、苦笑を零した。
「私の口からそんなに言わせたいの?しょうがないなぁ・・・」
アルディオは、彼女の意図が読めずに困惑した表情だ。だが、そんな彼にクスリと彼女は瞳を細めた。
そして、背に手を回して組むが、すぐには口を開かなった。勿体つけるように意味ありげに、彼を下から覗き込むとやっと言葉を口にした。
「あのね、私・・・私、アナタの事が好き・・・なの」
「!?」
大きく瞳を見開く。彼女が言った台詞をすぐには飲み込めなかった。胸の中に広がるモヤモヤとした不快な感情。その感覚は、すぐに消えそうになく、そこに滞り続ける。なんだか気分が悪くなってきた。
しかし、眼前では、彼女がアルディオを見上げながら、笑みを消すと少し不安そうに眉を寄せて数度瞬きをする。その間も視線だけは、彼から離さない。微動だにしないアルディオ。
震える唇が何かを叫ぼうとした瞬間だった。
(!?)
突然、足元に浮遊感を覚えた。驚く暇もなく、体は水中に沈んでいた。一面、真っ青だ。ただ、上の方だけ光が差し、きらめく水面が視界に入った。
(息がッ・・・苦しいッ・・・)
慌てて手足をバタつかせる。泳ぐのは、不得意ではない。しかし、どれだけ足をバタつかせても、どれだけ手を伸ばしても、頭上の水面は遠ざかってゆく。横目で下をチラリと見やれば、そこは真っ黒な暗闇。湧き上がってくる恐怖にもがくが、もう息が続かなかった。思わず口が開く。そこへ押し寄せる大量の水。だんだんと意識が遠ざかる。体がゆっくりと暗闇に沈んでいくのが微かな意識の中で認識できた。
「・・・ッ・・・ッ・・・」
(泣き・・・声?)
遠くに聞こえる啜り泣く声に視界が開けた。気づけば、今度は芝生の上に倒れていた。身を起こして立ち上がると、声のする方向に歩いていく。やはり、どこか思考がぼやけている。
歩いていると、そこもどこかの庭園なのだという事が分かった。綺麗に整備してある芝が続き、ふと見えた一角には大きな墓石が立っていた。そこにしがみつくように倒れ込み、幼子のように泣きじゃくる少女の姿。
「苦しいッ・・・苦しいの、お母様ッ・・・私は、こんなにもッ、こんなにも想っているのにッ」
嗚咽の交じる声で返事を返してくれない母へ向かって苦しみを訴える。フワフワの長いブロンドの髪に華奢な体には、淡い水色のドレス。クラウディアだ。彼女は、こちらにはまったく気づく様子がない。
「あの人だって、私を好きなはずなのにッ・・・どうして、どうして、答えてくれないのッ!!」
あまり思考の回らない頭で、その言葉は誰に向けられたものなのだろうと、ふと疑問が浮かんだ。あの満月花の下に居たアルディオに向けてか、それともその墓石の下に居る彼女へ対してか。あるいは、どちらにもかもしれない。クラウディアの悲痛な泣き声だけが辺りに響き渡っている。
だが、そんな彼女に対して何の感情も湧き上がってこない。どうしてだろうか。うまく頭が回らないからだろうか。しかし、違う気がする。
だが、突然クラウディアの様子が変わった。彼女は、ふと泣くのを止めると、倒れこんでいた墓石に両手をついて四つん這いになって視線を落としている。その瞳は、大きく開けて瞳孔が小さくなっていた。そして、ブツブツと何かを呟いている。
「答えてくれないッ・・・答えてくれな・・い?違うわ。邪魔をしているのね、あの者が。あれも、あれも・・・。ああ、あれもそう。全部、私と彼の邪魔をしているの。ならー
― こ ん な 世 界 は い ら な い ―
(なに!?)
一瞬にして世界が暗転する。そして、また別の場所に居た。今度は、思考もはっきりとしていた。見渡せばどこかの部屋の中。だが、今までと違って色が無い。ただ褪せたような一色で部屋の中は染まっていた。頭のどこかでこれが現実ではない事が理解出来る。
部屋を見渡していた視線が壁に設置してある大きな楕円形の鏡に留まる。色が無いと思っていたのだが、それだけが色を有していたのだ。金の複雑な装飾が施してある鏡は、どうやら姿身のようだ。吸い寄せられるように、恐る恐る近づいていく。
そして、鏡の前で立ち止まると鏡面を覗き込む。
(クラウディア!?・・・が二人?)
鏡の中には、まるで水の中に浮いているように身を屈めて瞳を閉じて眠るクラウディアと、それを見下ろし優しく後ろから抱くクラウディアがいた。眠っている彼女は、頬に涙の痕があり、先ほど庭でみた淡い水色のドレスを着ている。そして、もう一人は、漆黒ドレスに身を包んでいた。
訝しむように眉根を寄せる。
(!?)
すると、いつの間にか鏡の中のクラウディアは一人になっていた。彼女は、物凄い形相で鏡の中からこちらを睨みつけている。淡いブロンドの髪が怒りで逆立っているかのように、そこでは大きく広がり揺れていた。その様に驚いて身を引きかけるが、クラウディアは白い腕を伸ばすとこちらの首を掴みやる。そして、ギリギリと締め上げる。
『どうしてッ・・・どうして答えてくれないの?好きなのッ、愛しているのよ!!せっかく彼と二人だけだったのにッ・・・邪魔しないで!!』
クラウディアの感情が一気に流れ込んでくる。嬉しくて高揚する想い、胸を焦がすような熱い想い、切なく締め付ける甘い想い、気持ちが届かなくて悲しい想い、自分以外の者に見せる笑顔が腹正たしい想い、自分以外の者が近づくのが憎らしい想い。
恋慕う気持ちの一方で湧き上がる嫉妬や憎悪といった感情が混ざり合って激しく彼女から送り込まれてくる。それから逃れたくって必死に彼女の腕を引き離そうと爪を立てる。しかし、更に締め上げる力が強くなる。
(やッ・・・めてッ・・・もう、やめッ―)
流れ込んでくる感情のせいか、首を締め上げらているせいか、どちらで息苦しいのかさえ分からない。口を動かすが、そこから言葉は発する事が出来ない。悔しさが込み上げて、涙が溢れてくる。こちらを仇のように凝視するクラウディアに怒りさえ覚える。だが、もう限界だった。腕にさえ力が入らない。ダラリと腕から力が抜ける。しかし、クラウディアを最後に睨みやる事だけは忘れなかった。
荒い息をついて目が覚めた。視線の先にあるのは、少し見慣れてきた宛がわれた部屋の天井。ゆっくりと身を起こす。ドドドとなる心臓の音が煩いくらいだった。
広いベッドの上には、人型のキアラとピナが気持ちよさそうな寝息を立てている。いつの間に移動したのか、ルディは、狼姿でベッドの奥に置いてある大きなソファーの上で悠々と眠っていた。
そんな彼らを起こさないように整わない息のままベッドを抜ける。寝起きのせいか、ベッドから下した足にはすぐに力が入らずに小さく体が揺らいだ。だが、なんとか倒れ込る事なく歩みだす。おぼつかない足取りで、ソファー奥にあるバルコニーへ続く大きな窓に向かった。
窓からは、燦々と日が降り注いでいる。窓の外は、柔らかい昼の日差しで心地よい緩やかな風が時折ふいてた。とても天気のよい日で、近くの枝にとまった小鳥達が忙しそうにおしゃべりをしている。
バルコニーの白い石作りの手すりに手を置いてそんな景色を見やる。ふと、自分の頬を雫が伝っていることに気づきそっと触れた。それは、段々と速さを増し、自分が泣いているのだと自覚した頃には、座り込んで声を漏らして泣きじゃくっていた。
(忘れてたのにッ・・・やっと、忘れられたと思っていたのにッ・・・こんな気持ち、思い出したくなかったッ)
流れ込んできたクラウディアの感情がいまだ胸の中で渦巻く。片手をバルコニーの柱を握り、空いている手で胸元の服をギュッと握る。どれだけ涙を流しても、声を零しても、心臓を締め上げる甘い楔の感覚だけが振り払う事が出来なかった。そして、その感覚がブロッサムの奥底から深い悲しみを掘り出していた。
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