第17話 何が何やら・・・02
「恐らく、将軍は瘴気に長くあてられすぎたんだよ。ここまで変貌するなんて相当すぎるけど」
「瘴気ってなんだ?」
神妙な空気の中、ロイが軽い口調で不思議そうに小首を傾げた。その様にブロッサムは、困ったように動きを止める。確かに瘴気なんて一般的な人間には、耳馴染みな言葉ではない。
「えー・・・っと、説明するとこれまた面倒なんだけど・・・」
ブロッサムは、眉根を寄せると言い淀む。説明してもいいのだが、どう言えば瘴気という存在を知らない人間に理解出来るように伝えられるのやら。ロイやその隣の騎士の様子からするに、二人にもこの闇色の霧の姿は、全く見えていないだろう。
そうやって話しをしている間にも、段々と霧が薄くなってきている。彼らの背に見える礼拝堂の中なんて、すでに何も漂ってすらいない。
ブロッサムが言いあぐねていると、助け船は意外な所からやってきた。
「俺達人間には、毒とされる悪い気の事だ。詳しい事は、あまり解明されていないらしいがな」
「おや?さすが、ジェラルド様のお弟子様」
「嫌味か?」
「いや、普通に感心した」
ブロッサムは、アルディオを見上げる。彼は、彼女に視線を向けるとため息交じりに小さく眉根を寄せた。しかし、ブロッサムは、素直に感想を口にする。どうやら本心からそう言った様子の彼女に、アルディオは少し毒気を抜かれた気分だった。だが、そんな二人の他愛ないやり取りよりも、ナナキの様子が気になる騎士は、先を急かす。
「それで、将軍は元に戻られるのですか?」
予想通りの質問に、ブロッサムは、少し硬い表情を浮かべた。確かに、原因が瘴気ならばナナキの突発的な変貌にも頷ける節はあった。しかし、彼女としては、ナナキを想うこの騎士の前で言ってもいい事なのか少し迷う。
原因が分かったからと言って、全てがいい方向に転がるわけではない。だが、期待の眼差しを向ける騎士の彼に何の説明もしないわけにはいかないだろう。それに、彼がそこまでこの目の前の倒れたナナキを慕っているのであれば、尚更真実から目を背けさせてはいけないのではとも思った。
ブロッサムは、小さな間ののち、その場にいる全員に向けて口を開いた。
「絶対とは言い切れないんだけど・・・。過去にね、とある森に住むジャッカロープが突如凶暴化した事件があったんだよ。その原因が瘴気でね」
それは、何十年も昔の話。当時の新聞記事には、大きな見出しとして掲載されていたのものだが、その事件に注目したのは『瘴気』の存在を知る者達だけ。耳馴染みのない言葉のせいか、当時こそ騒がれはしたのが、いつしか世間では風化し口にする者などもう居なくなっていた。しかし、ブロッサム達のような魔法使いの卵達は、必ず歴史の授業で習うのだ。
ジャッカロープとは、言わずと知れた一つ角の獣だ。その見た目と大きさは、ほとんど野うさぎ達とは変わらないが、緑色の体毛と額に白く美しい角を持っている。とても臆病な性格ゆえ、生息地の野山に行っても中々出会う事が出来ない珍獣だ。そして、その身に魔力を有している事もあり、
そんなジャッカロープが通常の十倍程に巨大化し、性格も凶悪さが増しており、近隣住民が襲われる事件が起きた。被害は最悪で負傷者や死者が多数出たのだ。しかし、見た目の変貌から当初は、新種のモンスターが現れたのかと騒ぎになっていた。国は、すぐに調査団を派遣して原因を調べた。その結果、その村のすぐ近くの山の中で瘴気が噴き出ている事が確認されたのだ。そして、そこで瘴気に長時間さらされると生物が凶悪に変貌する事実が判明したのだ。
「瘴気って、この世界に生きる生命体には悪いものだから、瘴気の中にいると体調を崩すなんてのは常識なんだよ。ただ、その事件後から、瘴気に長くあてられすぎると生物が凶悪に変貌するという事が判明したんだ」
ブロッサムの説明に、ロイと騎士はゴクリと唾を飲み込んだ。確かに、この話のジャッカロープとナナキの様子は酷似している。だが、正気を失いモンスターと化してしまうなど信じられない話だ。いや、現に二人は、それを目の当たりにしている。とは言っても、人間がモンスターに変貌するなどすぐには飲み込めないでいた。
だが、アルディオだけはコクリと頷いた。そして、疑問をブロッサムに向かって口にする。
「なるほど、この黒い靄のようなものが瘴気だったのか。だが、俺達もその中に居たのに、何故将軍だけがこんな事に?」
「まぁ、見る限りあれくらいの濃度じゃ普通は体調崩すぐらいだし、そもそも最初に城に来た時に私は見ていないから、常時発生しているものじゃない・・・って!?」
彼の疑問に普通に答えていたブロッサムだったが、ふとアルディオの言葉が引っかかる。驚いて語尾が跳ね上がった。そんな彼女をアルディオが不思議そうに見やる。
「なんだ?」
「見えてるの!?」
「ああ」
「ああ・・・って。じゃ、なんで最初にそーゆ事言わないわけ!!」
「話には聞いていたが、見た事は無かったからな。それに、これほど濃くこの靄のようなものが城全体にあるのは今日が初めてだ」
しれっとそう言うアルディオにブロッサムは絶句する。まさか瘴気が見えている人間がいたとは。瘴気そのものがくっきりと見えるのは、魔力が強い者か瘴気が濃い時くらいだ。普通ならば、妙な悪寒を感じるくらいで、今回のように濃度が低く気を張り詰めたりしていると感じにくいものなのだ。
二人の会話を後方で聞いていた騎士は、隣のロイを見上げる。
「ロイ様も見えるのですか?」
「いや、俺は全然。だから、二人が話してる事もいまいちよく分からん!」
ロイは、きっぱりとそう言うと何故か胸を張って両手を腰にあてる。騎士は、すぐに視線をブロッサムに戻すと声を上げた。
「あ、あの!それで、どうすれば・・・」
「瘴気にあてられた場合の対処方法は、聖水か光魔法。そのジャッカロープ事件でも凶暴化したジャッカロープ達は、だいたいそれで治ってる」
ブロッサムは、ロイと騎士に向き直る。しかし、ロイが小さく眉根を寄せた。
「だいたい?」
「そうだよ。全部じゃない。詳しくは分からないけど、手遅れなのも多かったらしい」
ブロッサムは、神妙な面持ちで、だがしっかりとそう口にした。騎士は、慌てて聞き返す。
「なら、将軍は!?」
「とりあずは、やってみるしかないさ。光魔法の処置だと何かと手間と時間と人手がかかる。アルディオ、ロイ。お城のプリーストに事情説明して、将軍を聖水で満たした浴槽か何かに浸からせて」
ブロッサムは、アルディオとロイに交互に視線を送る。しかし、口を開いた二人に彼女は声を上げる。
「城に常駐のプリーストはいない」
「・・・え?いや、普通は、魔法医・聖職者が常駐してるなんて当たり前だろう?」
「そういう国もあるけど、ウチは行事の時にだけ教会から派遣される仕組みなんだ」
「えぇぇぇぇ!?自分の国にがこんなにダメダメだとは思わなかった・・・」
愕然するブロッサム。アルディオとロイも少し困ったように彼女に視線を送る。しかし、そんな彼らの元に教会の大穴からこちらに駆けてくる騎士が一人。彼は、ロイの少し後ろで立ち止まり跪くと声を上げる。
「アルディオ様、ロイ様!!報告致します。やはり姫のお姿は、どこにも見当たりません。今夜もまたッ・・・。それから、どうした事かナナキ将軍がご乱心なさって、自分の部隊を壊滅させた模様です!今夜も死者は出ていませんが、負傷者が多数出ており動かせない程の重傷者もッ・・」
報告に来た騎士は、アルディオとロイの顔を交互に見やって口を開いていたが、台詞の最後は悔し気に俯いた。どうやら彼は、アルディオ達の後ろに横たわるのがナナキだとは気づいていないようだ。その報告内容にアルディオとロイの顔は険しくなる。
ロイは、報告に来た騎士に頷くとアルディオを振り返る。
「分かった。現場の指揮は、俺が取りに行く!アル、将軍の方は頼んだぞ」
「ああ」
アルディオは、端的に返す。ロイは、報告に来た騎士と一緒にすぐに城内へと駆けてゆく。その後ろ姿を見送って、アルディオは視線をブロッサムに向けた。
「俺は、早馬を出して教会に連絡をいれる。キミには、将軍を頼んでも構わないか?」
「アルディオ様、教会には自分が行きます!将軍を宜しくお願いします!!」
しかし、ナナキの部下である騎士が先に口を開いた。そして、深く頭を下げると彼もまた城内へと駆けてゆく。そんな彼らの背を見つめながら、ブロッサムは隣のアルディオに向けてポツリと呟いた。
「魔法医、部屋から出て来ないんだろう?」
「ああ。だから、一人でも多く彼らの元に運ぶしかない」
ブロッサムは、アルディオの言葉に小さく溜息を吐いた。大怪我をしていた騎士の言葉を聞いた時からずっと引っかかていたのだ。
彼女の師であるアストレアは、魔法医のトップなのだ。ハヌマンの国での宮廷魔法士といえば、だいたい魔法医のトップの事である。それは、彼らの種族が極端に魔力を有する人間が少ないからだ。中には、魔法使い達で構成された戦闘部隊である魔法士隊を持つ国もあるが、ルクスブルクには存在しなかった。
ルクスブルクでも魔法使いの人材が不足している事は確かなのだが、この国にある
「私は、そっちに行くよ。キアラ、ここ頼んでもいい?」
「ええ」
ブロッサムは、アルディオにそう言うとキアラに視線を移す。彼女は、こちらを見上げて小さく頷く。そして、ブロッサムは、自分達の後ろで黙ってじっと自分の役割を待つピナに向き直る。彼の元まで歩み寄ると、彼女は、ピナに視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「ぴーちゃん、薬どのくらい持ってる?」
「いつもの装備分のみです」
ピナは、肩から斜めにかけているパンパンに膨らんだ鞄を両手で少し持ち上げる。
「そう。なら、ある分全部だしていいから。それから、城内回って被害報告ちょうだい。瘴気の濃度の濃い所は、行かなくていいからね。危ない事はしなくていい。分かるね?キミは、頭の良い子だ」
「はい!」
ブロッサムは、パチリと指を鳴らすとピナの首に青い宝石がはまったネックレスをかける。そして、彼の頬を優しく両手で包み込む。あまり危険な事をさせてくは無いのだが、今は人手が欲しい。ネックレスは、その為のお守りだった。高価なくせに一度限りの使い捨て
元気よく返事をするピナに頷くとブロッサムは立ち上がる。彼は、こちらに背を向けると城に向かって走り出す。そして、その姿を白いフクロウに変えると羽ばたいて行った。
その様を見ていたアルディオは、瞳を大きく見開く。そして、彼女に声をかけようと口を開きかけたのだが、黒い狼が先にブロッサムに飛びついた。
待ちきれないように尻尾を振っるルディにブロッサムは、小さく笑みを浮かべる。
「俺は?俺は?」
「ルディは、私のお供だよ」
「おう!」
力強く吠えるように返事をするルディ。しかし、アルディオは、彼女の言葉に小さな不安を覚える。
「何をする気だ?」
「そりゃ、魔法医を引きずり出してくるに決まってるだろう。こんな状況で城に居るんなら、働いてもらわなきゃ」
ブロッサムは、声をかけてきたアルディオに向き直ると少し頬を膨らませて腰に手を当てる。そんな彼女にアルディオは、複雑な表情を浮かべる。
「何故だ?他人なんてどうなっても構わないんじゃないのか?」
「・・・キミ、どんなけ私の事薄情だと思ってるんだよ?私には、大事なものの優先順位があるだけだって言ったろ。それは、私自身に力がないからだ。だから、私の選択肢はとても少なくなる。でも、これはそーゆ問題じゃないだろう」
ブロッサムは、呆れたように大きな溜息を吐くと軽く両手を上げて頭を振る。そんな薄情な事を口にした覚えは無いので、もう少し反論したい所だったのだが、ここで彼と争ってる暇は無い。それに、自分の事より許せない事がある。
「そもそも、
彼女の口調はそんなに激しくはないが、その裏からは静かな怒りをアルディオは感じる気がした。
「・・・・分かった。頼む!」
「おや、意外に素直だね。じゃ、行こうかルディ」
「おう」
ブロッサムは、あっさりと頷いた彼に少し拍子抜けする。しかし、クスリと笑みをこぼすとパチリと指を鳴らして
アルディオは、その姿を見送るとナナキの側に佇むキアラに深く一礼すると城へと駆けて行ったのだった。
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