第8話 執事とメイドとお姫様レッスン02
そして、怒涛の一日が始まる。朝食は、食事マナーのレッスンの一環として食器の使い方や順番、果ては上品な食べ方まで厳しく指導された。朝食後は、部屋を移動して舞踏会に参加する王侯貴族達の名前と国の勉強。分厚い資料が何冊も机の上には用意されている。そして、昼食は、また食事マナーレッスン。昼食後は、朝勉強した復習が一時間程入り、続けてダンスレッスンと続いてた。
その間、アルディオとロイは、交代で彼女に付いる。そして、少し日が傾きかけた頃、席を外していたロイが、ティーセットと軽食やスイーツがのったティースタンドの乗ったワゴンを押して戻ってきた。
その様子を視界の端に捉えていたセバスチャンは、熱心に苦手なターンを何度も練習しているブロッサムに声をかける。そして、軽く体をほぐすように指示を出した。どうやら、今日のレッスンはここまでのようだ。ブロッサムは、頷くと体をほぐし始めた。しかし、その間隣では、セバスチャンが今日一日の至らなかった点を長々と抑揚の無い声で注意してきた。最後に今日の復習をする事を念を押され、やっと解放される。まだ夜の食事マナーレッスンが残ってはいるが、他のに比べたら楽なものだ。
ブロッサムは、全て終えるとセバスチャンに頭を軽く下げる。彼は、小さく頷くとまた明日と言って見本のような完璧なお辞儀をしてこの部屋を後にしたのだった。
そして、今日始まって以来の本当の休憩。ダンスレッスンは、昨日と同じ部屋で行われていた。そして、昨日と同じテーブルの上にお茶の用意をするロイとアルディオの姿。用意と言ってもワゴンの上の物をテーブルに置き換えているだけだが。
ブロッサムは、フラフラとそのテーブルに近づくと昨日と同じ広いソファーにガックリと倒れこむ。
「何故、ド素人に二週間でこられ全てを叩きこもうなんざ無謀な計画をたてたのか・・・」
「いやぁ、お嬢ちゃんは、よくやってる方だと思うぜ。俺は、出来る気しねーもん」
ティーカップにお茶を淹れ終えたロイは、大きなティーポットをテーブルに置くとソファーの上に俯せ倒れる彼女の背に声をかけた。ブロッサムは、彼に顔を向けるとジト目で口を開く。
「他人事だと思って・・・。仕方ないだろう。やるって言った以上は、中途半端には出来ないし。それに・・・」
「それに?」
彼女は、そこで言葉を切った。いつの間にか、昨日と同じ位置の一人かけ用ソファーに座っていたアルディオが彼女に視線を向けて不思議そうに先を促す。しかし、ブロッサムは、ゆっくりと起き上がるとソファーに腰かけなおす。そして、小さく震える両手を胸元まであげるとそこに視線を落として少し青ざめた顔で続きを口にした。
「いざ本番迎えて、まったくの情報を持っていないっていう方が不安で不安で仕方ないじゃないかッ」
アルディオとロイは、そんな彼女を無言で見つめる。小さな間ののちに、ロイはブロッサムの隣に腰を下ろし、アルディオは盛大な溜息を吐いてみせた。
「君は、意外に小心なんだな」
「私は、石橋は、叩いて渡る派なんだよ」
「叩きすぎて壊す派の間違いじゃないのか?」
「壊れたら、そんな所渡らないね!!それより!!その“お嬢ちゃん”っての止めてくれない?ロイって一体いくつなんだよ」
ソファーから身を乗り出すかのように隣のアルディオと口論していたブロッサムは、突然矛先を自分の逆隣に変えた。その質問に、口元に紅茶を運びかけていたロイは驚いてやめる。ティーカップをテーブルにのせるとブロッサムに顔を向けた。
「俺?俺は、今年誕生日が来たら18になるぞ。まぁ、まだ先だけどな!」
「えっ!って事は、17歳。私と2つしか変わらないの!?」
「なんだ、アルと同い年じゃないか。っていうか、お前、俺の事、一体いくつだと思ってたんだよ?」
ロイは、困惑気に笑みを浮かべた。しかし、ブロッサムは、頬を膨らますと声を荒げる。どうやら、彼の呼び名が相当気に入らなかったようだ。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんって連呼するから、もっとおじさんだと思ってた!」
「・・・ちゃんと名前で呼びます。そっか、アルと同じ年か・・・。良かったな」
彼女の言葉に、グサリと何かが音を立てて心に突き刺さる気がした。ロイは、ガックリと肩を落とすと小さく頭を下げる。しかし、ブロッサムの歳を聞いて感慨深げにアルディオに視線を向けた。ロイの淹れた紅茶を飲んでいたアルディオは、そんな彼の視線に気が付くとティーカップを口元から外して不思議そうに小首を傾げる
「何がだ?」
「お前、周りに年近いのって俺か姫様くらいだったろ。だから、良かったな!」
「・・・意味が分からない」
ニッコリと嬉しそうにそう言うロイに、アルディオは更に困惑気に眉を顰めた。時折、ロイはアルディオにとって不可解な発言や態度をとる事がある。彼とは、かなり長い付き合いなのだが、今だロイのこうゆう突発的な発言や態度が理解出来ない。
そんな二人の妙な温度差を知ってか知らずか、ブロッサムは先ほどの怒りをとっくに冷まし、気になっていた事を口にした。
「そういや、二人の名前ってさ。有名な
「おお、そーなんだよ!!よく知ってるな」
ブロッサムの問にロイが嬉しそうに答える。そんな彼に、彼女はクスリと微笑を零した。そして、少し遠くを見るように視線を彼から外すとゆっくりと瞳を一度閉じてからまた開く。
「私の一番好きな本だからね、『
アルディオは、その言葉に頬張ろうと思っていたサンドイッチを一度口元から外すと驚いて彼女を見やった。彼にも同じような経験がある。彼の師であり父でもあるジェラルドも、本と言えばよくその叙事詩を読み聞かせてくれていた。
それは、どこにでもよくある勇者達が魔王を倒しに行く冒険談。ありふれているかもしれないが、その叙事詩は誰しも一度は目にするほど有名な本だった。特に家庭で親が子供に子守歌がわりに読み慕われている本である。
しかし、彼女の語る境遇は何故か自分とよく似ている。
「小さい頃?君は、そんなに年端もいかない内からアストレア様に弟子入りしていたかのか?」
ブロッサムは、苦笑を浮かべて彼に視線を向けた。
「年端もいかないっていうより、
「へぇー。なんかお前と似てるな、アル」
「そーいや、君の先生も育ての親兼師匠なんだっけ?まぁ、だったら似たようなもんだと思うよ~」
ロイは、チラリとアルディオを見やると感心気味に相槌を打ち、皿の上のクッキーを一つ摘まむ。ブロッサムは、紅茶を啜りながら昨日アルディオが語っていた事をふと思い出しながら口を開いた。
アルディオは、少し彼女をじっと見つめてから何気なく問いを口にした。そんな彼にロイの瞳が少し驚いたように小さく見開かれたが、二人は気づいていなかった。
「君は、普段何をしているんだ?」
「普段?」
「アストレア様のように誰かに仕えて魔法使いをしているのか、それともあの店で・・・」
ブロッサムは、ティースタンドにあった小さなケーキを小皿に取りながらアルディオの言葉に耳を傾ける。小皿の上のケーキを口にしようかとそれに一度視線を落として一瞬考えるが、どこか期待するような視線のアルディオにケーキを断念した。
「ああ、そーゆこと。というより、まず、君達の考えてる“魔法使い”という姿が根本的に間違ってるんだけど・・・色々訂正するのが面倒だから、その辺りは割愛だ。ちなみに、私は、まだ見習いで学生だよ」
「学生?」
アルディオとロイは、驚いて彼女に顔を向ける。そして、不思議そうに口を開いたのはロイだった。ブロッサムは、左手に小皿、右手に持ったフォークをピコピコ左右に動かしながら当然のように口を開く。しかし、言葉の最後は少し不機嫌そうな視線を二人に向けた。
「そーだよ。今年の春からは、魔法学校に入学が決まってるんだよ。合格発表も終わって一息つける春休み中だってーのにさ」
「ア、アハハ、そりゃー・・・災難だったな」
「なるほど。ただの見習いだったのか」
ブロッサムの視線に対してか学生だと言った言葉に対してか、あるいは両方だったのか。ロイは、紅茶を口にしながらばつが悪そうに口を開く。しかし、アルディオは、どこか納得したようにこちらをまじまじと見やっていた。そんな彼に、ブロッサムは、半眼で顔を向ける。
「なんだよ、文句あるの?」
「何も言っていないだろう」
「無言ってわけでもないけどね。そういえば、もう一つ聞こうと思ってたんだけど・・・」
ブロッサムは、小さく息を吐く。しかし、すぐに気持ちを切り替える。意味ありげに言葉を切られてロイが小首を傾げた。
歳が近いと分かったからか、昨日よりも会話時間が増えたからか、少し打ち解けたように感じる二人にブロッサムは昨日の疑問をぶつけてみる事にした。
「どうした?」
「昨日、なんで部屋に外からわざわざ鍵閉めたんだよ?」
だが、ムッとした感情を抑える事無く小さく眉を顰めてブロッサムは続きを口にする。それに答えたのは、アルディオだった。
「俺の指示だ。宮廷内を無関係の者に勝手にうろつかれるわけにはいかないからな」
「昨日は、うろつく程の元気は無かったよ。まぁー・・・、とりあずは、その理由で納得しておくよ」
ブロッサムは、小さなケーキを食べ終えると口直しに残りの紅茶を飲み干した。そして、立ち上がる。その様子を、カップに口をつけたままジッとアルディオが見やる。逆隣のロイも無言で彼女に視線を送っていた。
彼女は、フッと小さく微笑を洩らす。そして、大きく伸びをする。
「さてっと・・・。残りのレッスンといきますか!」
誰に言うわけでもなくそう大きな独り言を零してブロッサムは、広いフロアの真ん中へと行ってしまった。そんな彼女を視線だけで二人は追う。彼女は、一人フロアの真ん中で先ほどセバスチャンと練習していたダンスを一人復習している。少しの間それを無言で見ていた二人だったが、ロイは口元に運んでいた紅茶のカップを下ろすとアルディオに視線を向けて低い声色で口を開いた。そんな彼に、アルディオが顔を向ける。
「どうするんだ?アル」
「何のことだ?」
「お嬢ちゃんだよ。気づいてるわけじゃないと思うが、違和感は感じてるんじゃねーのか?」
アルディオは、ロイから視線を外すと一度瞳を閉じる。そして、ゆっくりと開く。
「問題ない。彼女に課せられたのは、あくまで『クラウディア様の代わり』だ。それだけこなしてくれればいい。それまでは、しっかり彼女の監視をしていろ」
「・・・だな。魔法使いつっても見習いって言ってたし、見た所、普通の女の子だしなぁ」
ロイは、再び視線をブロッサムに戻すと苦笑零す。苦手なターンを練習する彼女の姿は、ちょっと真面目な普通の女の子だ。言葉を交わすほど、より彼女が『普通』だと感じられた。きっとアストレアが彼女の存在をこれまで公言してこなかったのは、彼女の生活を脅かさない為だったのではないかと彼は感じていた。そう思うと、突然城に連れてこられて、こちらの都合を彼女に押し付けてしまっているこの状況が不憫だった。
いつの間のか、またブロッサムを無言で見やるアルディオも同じ心境なのだろう。先ほどまでとは違って、どこか難しそうな表情を浮かべていた。
しかし、彼は、立がると短く言葉を残してこの部屋を後にする。
「ロイ。ここは、頼んだぞ」
「ああ」
ロイは、気を引き締めると不敵な笑みを浮かべ、しっかりと頷いたのだった。
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