第7話 執事とメイドとお姫様レッスン


ぼやける視界の中で、ただただブロッサムは誰かを追っていた。言い知れぬ不安が背中を押すのだ。足を止めてはいけないと。だから、走って、走って、腕を伸ばす。それなのに、一向に距離は縮まらず離れてゆく。たまらず、伸ばした腕と共に声が漏れる。




   ねぇ、待って・・・待ってよ!




だが、その言葉に彼は、フッと口元に悪戯げな笑みを浮かべる。それなのに彼の瞳は、どこか悲しそうだった。

 



   お前は、連れていってやらねぇよ

   



言葉とは裏腹に、その声色はとても優しかった。ブロッサムは、首を横に振って腕を伸ばす。しかし、彼は、微笑を深くすると、パッと花が散るように四散して消えた。


ブロッサムは、その様に大きく瞳を見開いた。その頬を一筋二筋と雫が伝う。そして、体の奥底から湧き上がってくるのは、愛しさと切なさと、自分自身の不甲斐なさに対する怒りにも似た悔しさだ。


いつの間にか足は止まっていた。その感情をどうする事も出来なくて、後から後から湧き出る涙は、勢いを増すばかりだ。




   ・・・ッ嫌だよ

   私を置いてかないで!!







そう虚空に叫んだ瞬間に目が覚めた。ブロッサムは、妙な夢を見て飛び起きる。




「ッ!!」

(なんで今頃、ユーゴの夢なんて・・・)




ブロッサムは、半身を起こすと額に右手の平を当てて、深い溜息を零した。どうにもやるせない沈んだ気分が心を覆う。最悪の目覚めだった。




「おはようございましゅ、サム様。どうかされましたか?お顔の色がすぐれませんが・・・」




彼女の隣で一緒に布団の潜り込んでいたピナがまだ眠そうに瞳をこすりながら起きあがる。まだ少し呆けた様子で彼女を見上げた。ブロッサムは、顔を上げるとそんな彼に視線を向けてフッと微笑を洩らした。どんな眠り方をしていたのか髪の毛がボサボサだ。ブロッサムは、手を伸ばすと彼の寝癖を優しく撫でる。




「・・・いや、ちょっと夢見が悪かっただけだよ。おはよう、ぴーちゃん」

「夢見・・・」




ピナは、ブロッサムの言葉にぼやけていた意識がハッと覚醒する。小さく眉を寄せると憂える声でポツリと呟いた。しかし、当の本人は、苦笑を零して肩を竦めただけだった。




「心配しなくても、私の夢は当たらないよ。なんたって未来視(さきみ)能力の診断は、ゼロだったからね~」


「アレは、持っている人の方が稀でございますからね」


「そーだね」




可笑しそうにクスクスと声を漏らすブロッサムの笑顔に、ピナは、どこかホッとしたような表情で微笑を零した。すると、トントンという小気味よいノックの音が響く。続いて部屋の主の返事も待たず扉が開いた。


その様にピナは、手の届く範囲に無造作においてあったマントを引っ掴むと素早く羽織り景色の中に溶け込むように姿を消していった。


開いた扉から中に入ってきたのは、昨日、涼しい顔で鬼のようなダンスレッスンを強いてきたセバスチャンだった。彼の後に続いて、メイドの女性が二人入ってくる。三人は、扉の前に姿勢よく並んで立つとまだベッドの上に座り込んでいるブロッサムに向かって軽い会釈をした。




「おはようございます、ブロッサム様。朝食の準備が出来ております。お支度を整え、速やかに食堂の方へお越しくださいませ。お前達、後は頼んだぞ」


「「かしこまりました。セバスチャン様」」




セバスチャンは、メイドの二人にチラリと視線を送る。二人は、短い返事と共に軽く頷くと素早くブロッサムの下にやってくる。




「えッ、ちょ、ちょっと!?まっ・・・・」




有無も言う暇もなく二人は、ブロッサムの寝間着に手をかける。彼女は、思わずセバスチャンに視線を向ける。しかし、彼はいつの間にかこちらに背を向けていた。かくしてブロッサムは、二人のメイドに寝間着をはぎ取られ、朝から大声をあげる羽目になったのだった。







長い廊下を足早に歩きながら、アルディオは、少し不機嫌そうな声を零す。その口元からは、盛大な呆れを含んだ溜息が漏れ出る。その隣に並んで歩くロイは、そんな彼の歩みに難なく合わせて歩きながら、いつもの爽やかな笑顔を浮かべている。




「遅いな。まだ寝ているのか、彼女は・・・」


「いや。朝、バズさんが起こしに行くって言ってたから、支度に時間がかかってるんじゃないのか?」




他愛ない会話を交わしていると目的の場所にはすぐについた。二人が足を止めたのは、ブロッサムがいる客間の白い大きな扉の前だった。


ロイの話によれば、セバスチャンが先に彼女の下に来ているはずである。声をかた方がいいのか少し躊躇うように、どちらともなく口を閉じて扉を見やる。それは、昨晩部屋の中でブロッサムが鎖と鍵をかけられる音を聞いた扉だ。しかし、そんなものはどこにみ見当たらない。


二人は、小さく困ったように視線だけを横目で交わす。すると、部屋の中からパタパタと駆け回る足音が。続いて、何やら騒がしい複数人の声。




「お待ち下さい、ブロッサム様!!」


「ジッとしていて下さいまし!!」


「ちょっと、こんな事までする必要なッ・・・きゃぁぁぁぁぁぁぁ」




中から聞こえたブロッサムの悲鳴に、思わずアルディオとロイは小さく肩を跳ね上げて驚く。そして、無言で顔を見合わせると首を傾げた。ただの身支度だけで、何故悲鳴があがるのか。そして、何故駆け回る必要があるのか。一体、どういう状況なのやら想像もつかない。どうしたものかと二人して困惑していると、突然扉が左右に勢いよく開いた。




「もう、いいだろうッ!!」




悲痛にも似た叫び声と共にブロッサムが飛び出してきた。昨日とは違い、長い桜色の髪は編み込まれてアップにされており、丸眼鏡もかけていない。そして、その髪の色に合わせるかのような淡い桃色のチューブトップのロングドレス。体のラインを強調するような作りのそのドレスは、しなやかブロッサムの肢体全てを優雅に浮かび上がらせていた。その中でも、特に胸元に無意識に視線がいってしまっている事に二人は気づいていなかった。昨日の服では気づかなかったが、このドレスのせいでその豊満な胸の膨らみが露わになっていた。


服と髪型を変えただけで全然違う雰囲気のブロッサムに思わず言葉を失う二人。しかし、彼女は、自分を追ってきたメイドに気づくと、すぐさま二人に背を向けメイド達と対峙する。無意識なのか意識的なのかは分からないが、両手を軽く上げて何故か手刀を構えている。そして、先に口を開いたのはメイドだった。




「ブロッサム様、その不恰好なブレスレットとピアス、あと気味の悪い石のネックレスは、お外し下さい!!」


「失礼だな、君達!!嫌だ!!絶対、イ・ヤ!!」




しかし、彼女の言葉はブロッサムの癇に障ったようで、彼女は怒りを露わにしてた。

少しヒステリックに怒る母親と駄々をこねるような子供の口喧嘩のような口論を繰り返す女性陣に、アルディオは大きな息を吐き出した。先ほどとは違い、すでに彼女を見やる瞳は呆れている。




「何を朝から騒いでいる。時間がかかりすぎだ。さっさと食堂へ行くぞ」


「ッ!?この格好で朝ごはん食べるの?」




驚いて振り向いたブロッサムが声をあげる。しかし、アルディオの隣に立っていたロイは、そんな彼女にニッコリと笑みを浮かべると爽やかに口を開く。




「似合ってるぞ、お嬢ちゃん」


「そりゃ、どーも。でもさ、コルセットが凄く絞まってて、食欲無いんだけど・・・」




ブロッサムは、そんな彼を見やって、唐突に怒りが冷めて呆れに変わる自分の感情を感じた。そして、何の感慨もない声でロイに礼を述べる。しかし、お腹の辺りをさすりながら少し苦し気に続ける。だが、アルディオは、踵を返すとさっさと廊下を歩いていく。そして、言葉だけ紡ぐ。




「君の我侭に付き合っている暇は無い」


「どの辺が我侭!?てゆーか、ちょいちょい君とは、言葉通じてる気がしないんだけど!!」




遠ざかってゆくアルディオの背に、ブロッサムが吃驚して声をあげた。どうもアルディオとは、どこか会話にズレを感じて仕方がない。さすがに、ここまで噛み合わないと怒りも通り越してしまう。


そんな彼女の隣では、ロイが苦笑を零しつつ頬を掻いていた。そして、ブロッサムの客間で彼女が暴れまわった部屋の片づけを済ませたセバスチャンが廊下にやってきた。彼は、部屋の中で作業をしながらも、きっちりと外の様子を捉えていた。だから、何も言わずに早々に客間の扉を閉めると、メイド二人に素早く指示を出す。


そして、セバスチャンは、ロイに軽く声をかけると二人肩を並べて足を踏み出した。だが、隣のロイは、少し後ろを気にしていた。彼らの背後では、メイド二人がブロッサムの両腕を掴むと、有無を言わさず彼女を引きずるように食堂へと連行しているのだった。もちろんその様に黙って連れて行かれるわけもなく、王宮の荘厳な廊下には朝からブロッサムの喚き声が響いたのだった。

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