第281話 戦力の均衡を図る
アクエリアル帝国帝都ヴァルナークの中心。
リクウィス宮殿にあるレンリの部屋にて。
しばらくベッドの上でゴロゴロしていると、前皇帝たる父親との話し合いに行っていたレンリが戻ってきたので、俺は体を起こしてベッドの縁に一旦腰かけた。
それから俺が立ち上がってベッドを離れるより早く。
「アクエリアル帝国による反攻作戦は、帝都ヴァルナーク時間で明朝六時に開始することとなりました。私達はそれに合わせてファイーリア城を襲撃します」
レンリは素早く俺の隣に座って
今が大体正午過ぎなので、後十八時間弱というところか。
「……結構時間が空くな」
「何でそんなに待つの? すぐに始めればいいのに」
俺の呟きに、テア達と遊んでいたはずのサユキが影の中から問いかけてくる。
彼女はたとえ全く別のことをしている時でも常に八対二ぐらいで俺の方に意識を残す器用さがあるので、俺達の話に耳を傾けていたのだろう。
まあ、サユキのことだから別に今回の件そのものに純粋に興味があって質問した訳ではなく、俺が反応した対象に興味を示して口を挟んだだけに違いないが。
ともあれ、それに応えてレンリが口を開く。
「時差の関係でフレギウス王国の王都バーンデイトでは深夜、戦争の最前線である国境付近では夜明け前ぐらいになるからです」
確か王都バーンデイトの所在地は、元の世界で言うオランダのアムステルダム。
そして、アクエリアル帝国とフレギウス王国の国境はカザフスタンの北の辺り。
そのため、バイカル湖の北にある帝都ヴァルナークの方が大分早く朝を迎え、対照的にその二ヶ所はまだ夜の闇の中という訳だ。
つまり――。
「夜襲と払暁攻撃。まあ、奇襲の定番だな」
こちらからタイミングを決めて仕かけることができるとすれば、その時間帯を選択するのは妥当なところと言えるだろう。
帝都ヴァルナーク側は普通に起床していてもおかしくない時間なのもいい。
「じゃあ、とりあえずそれまで待つってことなんだよね? この部屋で」
「まあ、そういうことになるな」
「……すみません、旦那様。お手数をおかけして」
そもそもがホウゲツからの急な依頼でもあるのに、酷く申し訳なさそうに視線を下げるレンリ。
「いや、まあ、避暑地に来たと思って少しゆっくりさせて貰うさ」
少なくとも彼女には何の落ち度もないので、軽くフォローしておく。
もっとも、祈念魔法を使えば周囲の温度や湿度ぐらい快適に設定可能だが。
それでも八月のホウゲツ(日本)とアクエリアル帝国(ロシア)では、空気感のようなものは確かに違っている。気分的にも少し違う。
恐らく、帝都ヴァルナークの街中まで出ていって通行人の姿を見れば、服装などでより簡単にそれを感じられるだろうが……。
この小ざっぱりとした部屋にこもっていても、見出そうと思えばベッドのかけ布団の厚さなどからでも見出すことができるものだ。
「それより、割と時間があるようだし、レンリが言っていたホウゲツの真の思惑って奴を聞きたいんだけど」
「あ、はい」
話題を変えた俺にレンリは気を取り直したように応じると、割と真面目な話になるからかコホンと一つ咳払いをして表情を引き締めてから再び口を開く。
「今回の件は表向きクピドの金の矢という危険な
まあ、ホウゲツは他国から少女祭祀国家などと称されているぐらいだ。
俺もそこに疑いはない。
「ですが、ここまで性急に物事を進めているのには、間違いなく別の理由が関わっているものと思われます」
「別の理由……と言うと?」
「ホウゲツとしては、この戦争のパワーバランスを早く元に戻したいのでしょう」
「戦力の均衡を図りたいってことか?」
レンリの言葉を受けて問うた俺に、彼女は真剣な顔で首を縦に振って肯定する。
その意図を問いたいところだが、まずは前提のところを尋ねよう。
「けど、
「前者は対策の目処が既に立っています。アクエリアル帝国の主戦力は正常な真性
つまり、真・暴走・複合発露には真・暴走・複合発露を、という訳だ。
俺としては、少女化魔物に負担を強いる方法は余り好ましいとは思えない。
が、アクエリアル帝国にばかりそれを禁ずるのはアンフェアというものだろう。
俺も万が一の時の切り札として狂化隷属の矢を持ってはいるしな。
それはともかくとして。
真性少女契約の切り替えによる少女化魔物の再利用などという悪辣な真似ができなくなれば、確かに本来のような均衡状態に戻すことは不可能ではなさそうだ。
……なら、本題に戻ろう。
「そこは理解したけど、戦力が均衡するのは少なくともアクエリアル帝国にとっては悪いことじゃないよな? 不利な状況が是正される訳だから」
しかし、それにしてはレンリの表情は深刻過ぎる気がするが。
その答えを、彼女は表情を固くしながら告げる。
「……この度の【終末を告げる音】は干渉力が強く、戦線は日に日に拡大し続けています。恐らく天秤が傾いた状態のままアクエリアル帝国が敗北するより、拮抗した状態で泥沼化した方が総数としての人死には桁違いに多くなるでしょう」
人形化魔物【終末を告げる音】の干渉力。
人口増加に伴い、これまで出現した人形化魔物が尽く強化されていることを考えると、かの存在の
通例よりも遥かに大きな影響を及ぼしかねないことは想像に容易い。
両者拮抗して決着がつかず、また、破滅欲求によって被害を顧みず、となれば確かに、均衡状態が長く続く方が戦争による死者数は増えていくだろう。
しかし――。
「……それをホウゲツが望んでいる、と?」
「はい。この戦争を泥沼化させることによって、人口を大幅に減らしたいのでしょう。次代の救世におけるイレギュラーを僅かでも少なくするために」
「次代の、ために……」
そう言えば、この前の通称眠り病事件の時にも、ホウゲツの上層部の一部が似たような考えで解決を先送りにしようとしていたと聞いている。
それを考えると、あり得ない話ではない。
最凶の人形化魔物【ガラテア】などという極大の危機が、定期的かつ確実に生じる世界だ。救世を優先しようという為政者の考えも理解できなくはない。
社会を維持していくには清濁併せ呑む必要もあるのだから。
その犠牲となる者達が納得することができるかは全く別の問題だが。
「…………成程な」
勿論、真の思惑と言える程に主要の目的になっているかも分からないし、実際にヒメ様やトリリス様達がどう考えているのかも分からない。
とは言え、レンリの推測を一笑にふすことはできない。
心に留めておく必要はあるだろう。
「まあ、だからと言ってクピドの金の矢を放置する訳にもいかないけどな」
「それは勿論です。いずれにせよ、あの祈望之器がアクエリアル帝国に不利に作用していることは確かですし、このまま行けば国が滅ぶのも間違いありませんので」
「念頭に置くだけ置いて、その上で最善の選択肢を探していくしかない、か」
俺がそう結論するとレンリは「はい」と同意を示し、少し会話に間が空く。
それで一段落としたと判断してか、彼女は真剣な表情を崩して口を開いた。
「ともあれ、作戦開始まではここでゆっくり過ごして下さい。食事などは私が用意して持ってきますので。とりあえず昼食をお持ちしました」
それから、そう言いながら俺をテーブルまで引っ張って椅子に座らせ、影の中から取り出した食器を並べ始めるレンリ。
そこへ更にピロシキっぽい惣菜パンと色んな野菜のピクルス、冷製スープの入ったポットなどを出して盛りつけ始める。
「ささ、召し上がって下さい!」
そんなこんなでレンリと昼食を共にし、そのまま部屋の中で彼女と過ごし……。
夕食を経て、明日に備えて早めに就寝して翌日の早朝。
「よし。じゃあ、レンリ。そろそろ出発しようか」
「はい、旦那様」
準備を整えた俺はレンリと共にリクウィス宮殿を発ち、フレギウス王国王都バーンデイトのファイーリア城へと向かったのだった。
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