第273話 面影と新たな火種

「ウウウッ、ウウッ、ウウウウウウウッ!!」


 循環共鳴で最大限強化したアーク複合発露エクスコンプレックス万有アブソリュート凍結コンジール封緘サスペンド〉によって拘束された妹が、そこから何とか逃れようともがきながら呻き声を上げる。

 爪も翼も分厚い氷に覆われ、火炎のブレスを吐くこともできないように口もまた氷の拘束具によって完全に塞がれている。

 凍りついていないのは、竜の頭部の上半分ぐらいのものだ。

 正直、これはこれで痛々しい姿だが――。


「ごめんな。少しだけ我慢してくれ」


 ああも闇雲に暴れられては、落ち着いて言葉を投げかけることもできない。

 心を鬼にして凍結を維持する。

 そして改めて、俺は妹と正面から向き合った。


「…………よくよく見れば、母さんに似ている気がするな」


 いつだったか母さんが真・複合発露を使用し、火竜レッドドラゴンの姿となった時のことを思い出しながら呟く。

 まあ、そもそも母さん以外には魔物のドラゴンすら目にしたことがないので、比較をすることなどできないのだが……雰囲気的に何となく。

 あるいは、血の繋がりというものを気配として感じ取っているのかもしれない。

 そんな彼女へと、ゆっくりと近づいていく。


「ウウッ!! ウウウウウウウウッ!!」


 対して、一層強い呻き声と共に激しく足掻こうとする妹。

 攻撃が一切通用することなく、逆に容易く拘束してきた遥か格上の存在。

 それも見た目は鳥系統の魔物の特徴を持った異形。

 そんなものが目前に迫ってくれば、そんな反応をするのも当然だろう。

 かつて暴走していたサユキが、複合発露エクスコンプレックスを使用した状態の俺を見て恐怖したのと似たようなものだ。

 だから――。


「ほら、俺も同じだ」


 俺は〈支天神鳥セレスティアルレクス煌翼インカーネイト〉と〈裂雲雷鳥イヴェイドソア不羈サンダーボルト〉を解除し、それから大分久し振りに母さんから受け継いだ複合発露〈擬竜転身デミドラゴナイズ〉を使用した。

 それによって鳥系統の特徴は全て消え去り、代わりに竜の特徴が全身に発現していく。とは言っても、半端な力故に人型の範疇に留まった姿ではあるけれども。

 それでも、眼前で生じた俺の変化を僅かなりとも認識してくれたのだろう。

 妹の呻き声が幾分か低く小さなものになった。

 同じ親に連なる力だ。何か本能的に感じるものもあるかもしれない。


「遅くなってごめんな。寂しかったな」


 そう告げながら伸ばした俺の手の行方を、彼女のルビーの如き燃えるような赤い瞳が追いかける。今度は逃れようと暴れる様子はない。

 阻まれることなく、俺の手が妹の頭に届く。


「兄ちゃんが迎えに来たから、一緒に母さんのところに帰ろう」


 そして俺は彼女を慰撫するように優しく撫でながら、更に言葉を続けた。


「もう怖いことなんてない。兄ちゃんが守ってやるから」


 繰り返し、繰り返し。

 俺が敵ではないことが妹にしっかりと伝わるように。

 努めて穏やかな声で言いながら、何度も彼女の頭に触れる。

 すると――。


「ウ、ウウ……」


 狂乱に塗り潰されていた彼女の目から、徐々に険が取れ始めた。

 幾分か理性の色を取り戻すと共に瞳が潤み始め、その頬に一筋涙が零れる。


「だから今はお休み」

「……ウ……ん」


 やがて妹はフッと体の力を抜くと瞼を閉じた。

 同時に、巨大な竜と化していた体が急激に縮んでいく。

 自然と氷の拘束具に隙間ができ、無用の長物となったそれを解除すると、彼女の小さくなった体が重力に引かれて落下を始めた。

 どうやら意識を失ったようだ。


「おっと」


 すぐさま、事前に発動しておいた飛行の祈念魔法を制御して素早く彼女の下に入り込み、その華奢な体を受け止める。

 改めて腕の中に視線を落とすと、真紅の長い髪の襤褸衣を纏った少女の姿。

 そのあどけない顔立ちには、しかし、母さんの面影が間違いなく見て取れる。

 竜の姿の時に感じた印象も、勘違いではなかったのだろう。


「……よかった」


 ようやく安心できたと言うような、穏やかな妹の寝顔にホッと一息つく。

 とりあえず当初の目的は果たすことができた。それは間違いない。

 母さんにも顔向けができる。


「イリュファ」

「はい」


 このまま抱きかかえていてあげたいところだが、この状態は〈裂雲雷鳥・不羈〉での移動には難がある。

 だから、影から出てきた手に妹を託し、一先ずその中にいて貰うことにする。

 暴走状態も収まったようだし、問題はないはずだ。

 循環共鳴についても、そろそろ解除するとしよう。


「フェリト、助かった。ありがとう」

「気にしないで。……とは言え、少し疲れたわ」

「ああ、ゆっくり休んでくれ」


 そうして最近は酷使してばかりの彼女を労わってから。


「…………さて」


 この地でやり残したことを済ますために一旦地上へと降下していく。

 念のため、再度〈支天神鳥・煌翼〉と〈裂雲雷鳥・不羈〉を使用しながら。

 まあ、やり残しと言うか、ここに来て新たに目の当たりにした問題だが。


「それにしても、クピドの金の矢とはな」


 地面に降り立った地点から、フレギウス王国の王ジーグの方に目を向けて呟く。

 彼は少し離れたところで、氷漬けの状態で頭から大地に突き刺さっていた。


「まあ、まだ本当にそうなのかどうか分かりませんが」

「分かってる。けど、もしかするとそこに答えがあるんじゃないか?」


 イリュファの言葉にそう応じながら視線を戻した俺の正面には、ジーグが異形と化す際に入った配下の一人の影。

 祈念魔法で干渉すれば、その中に押し入ることもできるはずだ。

 そして実際に。手がかりがないものかと、そこに入って探索してみる。

 しかし――。


「…………何もありませんね」

「そう、だな。矢の刺さった少女化魔物ロリータがいるかと思ったけど」

「もしかすると、あれは影を利用した転移だったのかもしれません。影の中に空間を作って出入りしていた訳ではなく」

「……成程。けど、そうだとすると確証は得られないな」


 影を介した転移というのが正しければ、恐らくはフレギウス王国の王都、王政なら当然存在するだろう王城で何かしらの処置を行ったに違いない。

 さすがにそれでは、俺単独では騒ぎを起こさずに証拠を探すことはできない。


「この件は、一旦持ち帰った方がいいかもしれないな」


 ジーグの配下の影から出て、ホウゲツの方角の空を見上げながら嘆息する。


「主様。その前に、ジーグとかいう男の影を探るのは如何でしょうか」

「アイツの影か……そうだな」


 アスカの提案に、再び氷漬けの彼を見やる。

 まあ、減るものではないし、やっておいて損はないだろう。

 そう結論して逆様になった彼の氷に近づき、その影に入り込む。

 すると……。


「これは、矢か」


 三桁はあろうかという数の矢が、一定の数ごとに束ねられて置かれていた。


「クピドの金の矢の複製品でしょうか」


 さすがにオリジナルのそれそのもの、第六位階の祈望之器ディザイア―ドがこれだけ纏まった数、存在している訳がない。

 イリュファが口にした通りのはずだ。

 しかし、複製品は基本的に位階が低下する。

 真性少女契約ロリータコントラクトに干渉することなどできないはずだが……。


「とりあえず、全て拝借していくとしよう」


 アマラさん辺りに調べて貰えば真実は分かるはず。

 いずれにせよ、もし少女化魔物人外ロリの尊厳を傷つけるものなら処分するに限る。

 存在しないはずの祈望之器なら、そうしても問題にはできないはずだ。

 予想が外れて何の変哲もない矢だったなら返却しに来ればいい。


「でも、何でこんなとこに入っていたのです?」

「…………危険な道具だからな。王族が直接管理しているのかもしれない」


 リクルの疑問に、少し考えてから答える。

 強大な少女化魔物の真性少女契約を奪って王位簒奪、とかもあり得るだろう。

 理不尽な効果だけに、全て手元に置いておきたいと思っても不思議じゃない。


「そんなリスクを負うなら、力を分散させないで独り占めした方がいいです。結局は自分一人に集めてましたし、です」

「まあ、何だかんだ言って、人間の脳味噌は一つだけだからな。使える力を増やしても扱い切れなくなりかねない。持て余すだけだ。それに……」


 氷漬けになったジーグの配下達を一通り見回してから続ける。


「軍隊としては一人に力を集積させるよりも、兵士一人一人に一定の力を持たせた方がいい面もあるんだろう」


 万が一、集積させた一人が討たれでもしたら、その時点で詰みだ。

 真性少女契約の場合、少女化魔物も道連れなのだから。

 全部乗せ状態のジーグも、まあ、思ったよりは遥かに強かったのは確かだが、もしもレンリと一対一で戦えば七対三ぐらいでレンリが勝つだろう。

 余りリスクに見合うようには思えない。

 数の力で対抗できない個体を相手取る際の切り札、というのがいいところだ。

 ……正に今回のような状況だな。負けたけど。


「いずれにしても、真性少女契約を移し替える荒業を前提とした手法なのは間違いない。状況証拠は十分。後は、あの矢から何が出てくるか」


 そこら辺はもう、その筋の人に任せるべきだ。

 だから――。


「目的は達したし、情報も得た。一先ずホウゲツに帰ろう」


 俺は意図せず見つけてしまった新たな火種と共に、救い出した妹を連れてフレギウス王国の地を去ったのだった。

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