AR02 姉妹

「災い転じて何とやら。それは確かに酷い悲劇だったに違いないけれど、きっと彼女にとっては運命と出会うための試練だったのだろうね。そして――」


***


 気がつくと薄暗い部屋に私はいた。

 セイレーンという種族の魔物として生まれ、私よりも少しだけ早く同じように少女化魔物ロリータとなった姉さんと共に暮らしていた海とは似ても似つかない閉塞感に満ちた場所。

 加えて、椅子に座らされた状態で縄か何かで縛られているらしく、身動きが取れない。

 もがいてもビクともしない。

 叫ぼうにも猿轡のせいでくぐもった音にしかならない。

 自分の置かれている状況が理解できず、訳も分からず恐慌をきたしそうになる。


「目が覚めたようだな?」


 と、暗がりから男の声に問われ、意識がそちらに向いた。


「んん! んんんんっ!!」


 瞬間、戸惑いと不安の感情が矛先を見つけて怒りに変換され、私は呻き声を上げた。

 こんなところに閉じ込めたのはお前か、と問い質すように。


「喚くな!!」

「うぐっ……」


 対して男は突如として激昂し、私の頬を思い切り殴りつけた。

 痛みと脳が揺さぶられた衝撃に意識が飛びそうになる。

 相手への配慮も何もない本気の暴力。

 それこそ私の命など塵芥のようにしか考えていないかのようだ。

 悪意。いや、それもあるが、むしろ盲信めいた何かを感じる。

 恐怖心が胸の奥に渦巻く。

 反抗的な態度を取ったら、それこそ殺されてしまうかもしれない。

 だから私は黙りこくるしかなかった。


「それでいい。身の程を弁えろ」


 そう告げた男の目は、薄暗い部屋にあって更に濃い闇のような暗い色を湛えている。

 その様子に思い出す。

 自らの種族を至上とする思想を持つ人間の存在を。

 恐らく彼こそがそれなのだろう。


「これを見ろ」


 と、男は私の正面にある壁の覗き窓を開き、その中を示した。

 そこには一人の少女が私とほぼ同じように拘束されていた。

 違う部分は猿轡をされていないところ。

 また、俯いたままでいる姿を見る限り、意識を失っているのだろう。


「お前と同じ、人間の思念の絞りカスから生まれた下賤な存在だ」


 その物言いに腹が立つが、拘束されたこの身では何もできない。

 今は男を睨んで無駄に不況を買うことは避けるべきだ。

 ただ、視界の中の少女化魔物の安否を気遣う。


「人間に害なす悪。罪深き貴様らは一匹でも多くの同族と、貴様らに肩入れする愚か者共を一人でも多く殺してから死ね」


 その言葉を合図としたように、気絶した少女の部屋に別の男が現れる。

 彼は通常の四分の一程度の長さの矢のようなものを手に彼女に近づくと……。

 何の躊躇いもなく、二の腕の辺りに突き刺した。

 直後、少女はカッと目を見開き、見るもおぞましい表情を浮かべた。


「あ、あああ、あああああああああああああああっ!!!」


 かと思えば、命を絞り尽くさんばかりの絶叫を上げる。

 尚も目は限界以上に開かれ、そこから涙の代わりに血が流れ始める。


「ぎ、ぎゃ、がああああああああああああああああああっ!!!」


 猿轡をしていなかったのは、あるいはこの叫びを私に聞かせるためか。

 恐れが胸の奥で肥大化する。


「あ……」


 やがて少女は突然呆けたような声を出し、糸の切れた人形のように全身を弛緩させた。


「やはり死んだか。第六位階に至る狂化隷属。成功確率は極めて低い」


 と、男は壊れた道具を見るように深く嘆息した。

 別の男がピクリとも動かない少女を乱雑に運び出していく。

 本当に彼女はこと切れてしまったようだ。


「だが、俺達にリスクはない。成功すればリターンは大きいが」


 それから男はそう言うと、正に少女を狂わせて死に至らしめた矢に似たものを手にこちらを向いた。目線がそれに縫いつけられる。


「これからお前にこれを使う」


 そして告げられた言葉に、反抗的な態度を取って先程殴られたことも忘れ、私は恐怖に顔を引きつらせながら首を左右に振った。

 いくら何でもあんな末路は嫌だ。

 私が一体何をしたと言うのか。


「お前には姉がいたな?」


 だが、続いて耳に届いた内容に目を見開き、首の動きを止めて顔を男に向ける。

 まさか姉さんもこの男達に捕らえられているのか、と。


「お前が死ねば、次は姉に使う」


 簡潔な脅し。恐怖は一周して再び怒りに変わり、男を睨みつける。

 今度は殴られるようなことはなかった。


「精々耐えて見せろ」


 代わりに男は酷薄な笑みを見せ、私にその矢を突き立てたのだった。

 瞬間、どす黒い何かが心の隅々まで沁み渡り、視界が歪んでいく。

 自分自身の感情が制御できず、まともな思考を保てなくなっていく。


「あ、ぐ、あ、あああ」


 我知らず獣の如く獰猛な唸り声が口から漏れ、感情の乱れに呼応するように全身に初めて感じるような激痛が走る。

 体がバラバラになってしまいそうだ。


「言ったはずだ。次は姉だぞ」


 それでも、その言葉に姉さんのことを強く思い、自分の存在だけは保とうと努める。

 魔物だった頃からいつも守ってくれ、たくさんの我侭を笑って聞いてくれた姉さん。

 そんな姉さんにだけは、こんな苦しみを味あわせたくない。

 ただ、その一心で耐え続ける。


 ……そうだ。

 姉さんを苦しませようと言うのなら、その原因全てを――。


 そんな風に思考を転換した正にその瞬間、歯車がカチリと噛み合ったかのように意識が一つに定まった。

 排除する。私達を苦しめる全てを。

 だが、同時に。何が私を苦しめていたのか分からなくなる。

 ただ、その部分だけが空白のまま歯車は回り続ける。


「ふ、ふふふ、はははっ!! やはり、俺は運がいい! 同時に二体も弱体化の複合発露エクスコンプレックスを持つ少女化魔物の狂化に成功するとは!」


 声。その声だけが空白に滑り込んでくる。


「……いや、違う。世界が俺達の想いを承認し、叶えたのだ!! 人間は人間の手によって救われなければならない! 少女征服者ロリコンの救世主など必要ない! 全て排除し続ければ、いずれ正しき人間の救世主が生まれるはずだ!」


 そして私は、彼の言葉の意味も分からないまま完全に理性を手放してしまった。


 姉さんもまた私を引き合いに出されて同じように狂わされていたことに気づくのは、それから少し後、後に主と仰ぐ彼に救われてからのことだった。


***


「災い転じて何とやら。それは確かに酷い悲劇だったに違いないけれど、きっと彼女にとって運命と出会うための試練だったのだろうね。そして、それは……どうやら彼女の姉にとっても同じだったようだ」

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