第26話 襲撃と暴走
母さん本人ではなく、周りの人々を。
因果応報というものがあるとしても、それは余りにもえげつない。
つい一昨日に母さんと色々話をしたばかりだから、少し考え込んでしまう。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「どうしたの? あんちゃん」
「どこか痛いの?」
そうしているとセトとダン、トバルから心配そうに呼びかけられた。
無意識に眉間にしわが寄り、そのことで彼らを尚のこと不安にさせてしまったようだ。
ただでさえ非常事態にあって彼らも恐怖していると言うのに。
罪とか罰とか、そんなものはこの場では関係ない。
年長者としてしっかりしないと。
「大丈夫だよ」
だから、そんな彼らの頭を撫でて安心させようと笑顔を作る。
そうしてから俺は、近くにいるイリュファに顔を寄せた。
「イリュファ。状況は?」
そのまま、祈念魔法で外の様子を探って貰っていた彼女に小さな声で尋ねる。
場所は村の中心部にある会堂。
俺を含めた四人の子供と、非戦闘系の
戦闘系の複合発露を持つ大人達は、襲撃者に応戦している。
突然のことだった。
身も凍るような歌、と言うよりも、悲鳴のような奇怪な音が村全体に響き渡り、それとほぼ同時に村を覆う結界がガラスのように砕け散った。
第六位階を誇る結界の崩壊。
その事実を前に俺は思わず呆けてしまったが、それも仕方のないことだろう。
ほとんど場数を踏んでいないこの身では。
しかし、大人達は迅速だった。
即座に戦闘能力を持つ数十名が前に出て敵の進攻を止め、残る非戦闘員は子供全員とオロオロするリクルを連れて村の会堂に逃げ込んだ。
正に経験の差が出た形だ。
避難の際にチラッと見た限りでは、敵は十人。
内一人は複合発露を実行しているようで、腕が翼のように変化していた。
下半身も鳥のようになっているところを見るに、恐らくハーピーやセイレーン辺りの
結界を破壊した歌のような音は、この存在によるものだろう。
「大人達は、大丈夫なのか?」
「現在、迎撃に出た村の大人と襲撃者のみを囲む形で結界を張り直し、こちらを戦場から切り離しているようですが……厳しいですね。何とか踏み止まってはいますが、まだ態勢を立て直すには至っていません」
「まさか敵は真性
「……いえ、恐らく契約もしていない少女化魔物でしょう」
「そんな馬鹿な。なら、どうして苦戦してるんだ? 村の人は皆、
たとえ父さんや母さんを始めとした、戦闘において極めて優秀な複合発露を持つ大人達が仕事で村を出払っていたとしても。
第六位階。最上位の力ならば、単なる少女化魔物など敵ではないはずだ。
しかし、眼前に第六位階の結界が破壊されている現実がある。
「もしかして第六位階の
「いいえ、違います」
それまで否定されてしまうと、もはや俺の知識では計れない状況にあるとしか言いようがないが……。
「もう一つ、第六位階となる複合発露の形が存在するのです」
「もう一つの、第六位階?」
「はい。
それは……人間でもままあることだ。
抑圧の末の感情の爆発。
元が思念の集積体たる少女化魔物であれば、尚のこと起こり得るだろう。
ネガティブになっただけで死にかけるような、感情に左右される存在なのだから。
「その状態に陥った少女化魔物の複合発露は歪に強化され、時に第六位階に至ることがあるのです。たとえ少女契約を結んでいなくとも。これを暴走状態。その際に使用する第六位階の複合発露を
「つまり、この村を襲った少女化魔物達は……」
「間違いなく暴走状態にあります。が、これは自然発生的なものではありません」
「どういうことだ?」
「意図的に暴走を引き起こされたということです。祈望之器の力によって」
そんなことが可能なのか。
思わず声を失うが、神話や伝説上の武器、道具に相当する祈望之器であれば、そういうこともあり得るのかもしれない。
「かつて撃った相手の感情を操作する矢がありました。クピドの金の矢と呼ばれるものです。その恐ろしい効果故に過去の戦争の中で転生者に破壊されていますが……」
「複製、か」
「はい。複製師によって複製され、効果を少しだけ変化させられた矢。隷属の矢と呼ばれるものが存在します。今回使用されたのは、更に改良された狂化隷属の矢でしょう」
いずれにせよ隷属という言葉を冠しているということは、つまり――。
「あの少女化魔物達は、誰かに操られてるってことか」
「そうです」
少女の形をした存在が意思に反して操られ、感情を暴走させられている。
そう考えると同情心が湧いてしまうが……。
「助けられないのか?」
「体のどこかに刺さった矢を抜くか鏃を破壊すれば、少なくとも隷属状態は解けます。ですが、容易ではありません。第六位階の力をかい潜らなければならないのですから」
イリュファはそう答えると「いずれにしても」と言いながら正面に立ち、俺の心の動きを戒めるように真っ直ぐに目を見詰めてきた。
「今、イサク様にできることはありません。まず、ご自身の命を大事にして下さい」
救世の転生者としての使命を果たすために。彼女の目はそう語っている。
実際、第六位階の力を操る相手に、今の俺では太刀打ちできないだろう。
無理に出ていったところで、何とか押し留めてくれている大人達の邪魔をすることになりかねない。
「村の皆を信じて下さい」
「…………分かった」
合理的な判断の下、イリュファに頷く。
とりあえず俺に今できることは、弟と弟分達が恐慌をきたさないように落ち着かせるぐらいのものだろう。悔しいが。
そう考え、身を寄せ合って不安そうにしているセト達を振り返る。
正にその瞬間――。
「え?」
「ま、まさかっ!?」
再び、あの悲鳴のような歌が響き渡った。
しかし、先程結界を破壊したそれとは声が少しだけ違う。
発生源が戦場と反対側である会堂の裏手であることを考えても、明らかに新手だ。
「あちらは陽動!?」
冷静だったイリュファでさえ焦燥を表情に滲ませる。
その場にいた大人達もざわめき、しかし、すぐに分かれて動き始めた。
俺達子供を歌声から遠ざける者と、剣と盾の祈望之器を手に歌声に近づく者。
後者の中にはトバルの両親であるエノスさんやクレーフさんもいる。
念のため、店の商品を持ってきていたようだ。
「いけません! あちらのあの敵と同じ力なら――」
と、そんな彼らにイリュファは警告を発しようとした。
しかし、その言葉が届くより早く羽ばたきのような音が聞こえ、かと思えば衝撃音と共に会堂の壁が破壊されてしまった。
のみならず、それは大人達を飲み込み、彼らを左右の壁に叩きつけた。
「は……?」
気絶した者。足が圧し折れた者。頭を切って血を流している者。
即死した者はいないようだが、一瞬にして地獄絵図の様相だ。
咄嗟に祈望之器で防ごうとしていなかったら、彼らの命はなかったかもしれない。
「お、お父さん! お母さん!」
大人達も凄惨な状況を前に、トバルから一瞬目を離してしまったのだろう。
その様子を目にしてしまったトバルが叫び、大人達を振り切って駆け寄ろうとする。
「駄目だ! トバル!」
気持ちは分かるが、余りに危険だ。
咄嗟に彼を羽交い絞めにし、抑え込む。
そうしながら俺は新たな襲撃者の姿を見据え――。
「ま、まさか」
その存在、セイレーンの如き姿の少女化魔物が俺を見ていることに気づいた。
いや、違う。俺じゃない。
視線の動きを辿る限り、その目が捉えているのはセト、ダン、トバルの三人だ。
つまり敵の狙いは……。
「あんちゃん、離して!」
暴れるトバルに答えず、俺は黙って彼を傍に来た大人に預けた。
そして、尚も喚き続けるトバルに大人達が一瞬意識を取られている隙に、少女化魔物に向かって一歩踏み出す。と――。
「イサク様」
二歩進んだところでイリュファに遮られてしまった。
どうやら俺の考えを悟られてしまったようだ。
「いけません。あれは今のイサク様の敵う相手ではありません」
「けど、今戦闘系の複合発露を持つのは俺だけだ」
たとえ第五位階の下位に過ぎないものだったとしても。
だから、彼女を押し退けるようにして進もうとするが……。
「駄目です」
肩に手をかけられ、いとも簡単に止められてしまう。
「なっ」
体格で勝る彼女。しかし、俺は悠属性の祈念魔法で常日頃から身体強化を施している。
その状態の俺ならイリュファを振り解くことは容易い。
にもかかわらず、体格差のみが作用したかのようにビクともしない。
「これが敵の暴走・複合発露です。声の届く範囲の存在の祈念魔法を打ち消し、恐らく複合発露は位階一つ分以上弱体化させられます。祈望之器に影響はないようですが……たとえ〈
「位階一つ分の弱体化!? そ、そんな……けど……」
イリュファが外の戦場と照らし合わせて結論したのだろう事実に戸惑いながら、少女化魔物に視線を戻す。
すると、既に立ち上がり、果敢にも彼女に挑み続ける大人達の姿が目に移った。
恐らく誰かの複合発露を用いて傷を癒やしたのだろう。
エノスさんもクレーフさんもまだ無事のようだ。
だが、彼らが使う祈望之器には無事なものとそうでないものがあった。
破壊されたものは複製師により再生されているが……。
「あ!」
今正に、羽ばたきが生む風が一人の剣と盾を破壊した。
少女化魔物が複合発露を発動している際に現れた身体的特徴。それに付随して起こる現象は、通常第一位階相当の力があると聞く。
だが、だとしても、彼らの持つ祈望之器からすれば本来なら涼風同然のはず。
あの少女化魔物の複合発露の効果が自身の攻撃の強化でないなら尚のこと。
明らかに伝聞と異なる事態が生じているとしか考えられない。
その風に砕かれた剣と盾は恐らく、この場で複製師が複製した第三位階。
無事なものは店で複製元として使っている第四位階だろう。
それについても大分傷ついてしまっている。
以上から判断すると、あの風は第四位階相当の力を持つということになる。
それらを踏まえる限り、この風もまた暴走状態の影響によって第四位階にまで引き上げられていると考えるのが妥当だ。
それを生身で受けたらどうなるかは想像に容易い。
今は祈望之器を再生して何とか防いでいるようだが……。
破壊時に目減りした部分は複製師の血肉を消費して生成、補充されている。
このままではいずれ複製師が力尽き、それと共に祈念魔法なしの無防備な体があの剣や盾のように砕かれることになるだろう。
治療を施している大人にしてもそうだ。流れた血は戻らない。
既にこれ以上、複合発露を行使することは不可能な程に消耗している。
「くっ、だったら……だったら、どうすればいいって言うんだ! イリュファ!」
ジリ貧の戦いをただ見ているだけの己と理不尽な襲撃への怒りをぶつけるように叫ぶ。
同時に、淡々と事実を告げるからには何かしら打開策があるのかと問い質すように。
起死回生の手段が出てくるのを祈りながら。
しかし、それに対するイリュファの返答は――。
「お逃げ下さい。たとえイサク様お一人でも」
戦いのさ中にありながら静かに響く、覚悟を決めたかのような言葉だけだった。
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