第27話 心に従う選択

「俺一人でも逃げろって、イリュファはどうするんだ」

「この身に代えても時間を稼ぎます」


 問いかけに、決意を秘めた表情で告げるイリュファに言葉を失う。


「……リクルは」


 それでも俺は何とか口を開き、ずっと黙って傍に控えていた彼女にも問うた。

 別の答えを期待して。


「わ、私は、ご主人様の盾にでも何にでもなります、です」


 しかしリクルは、恐怖心こそ隠し切れていないものの、襲撃の際オロオロしていた女の子とは思えない強い意思を示した。


「私の命は、ご主人様に救われたものです。まだ複合発露エクスコンプレックスも満足に使えない落ちこぼれの少女化魔物ロリータを見捨てず、傍に置いてくれてる恩もあります、です」


 もう五年以上のつき合いになるが、まだまだ初対面の時の慌ただしい印象が大きい。

 だから、そう力を込めて口にしたリクルに驚いた。

 知らぬ間に随分とイリュファに心を鍛えられていたようだ。

 不測の事態への対応力こそ、俺同様まだまだのようだが。

 それだけに、芽吹き始めた心の強さを未来に繋げられないような選択は、したくない。


「イサク様。何とか無事に逃げ切ることができたなら、学園都市トコハのホウゲツ学園にいらっしゃる学園長、トリリス様を尋ねて下さい。イリュファに言われて来たと伝えれば、便宜を図って下さるはずです」


 俺一人逃げるのが既定路線であるかのように告げるイリュファ。

 まるで村は滅び、自身も命を落とすかのような言い様だ。

 ふざけている。


「馬鹿言うな。セトはどうなる。ダンは、トバルは」


 彼女達の意思の強さは認めざるを得ない。

 たとえ個人的に、少女の形をした彼女達が傷つくことなど認めたくないとしても。

 しかし――。


「見捨てるつもりなのか?」


 まだ幼く、何の罪もないセト達。

 そんな彼らを見捨てて逃げては、間違いなく俺は一生後悔する。

 母さんや父さんに顔向けできないし、前世の両親の教えにも反する。

 親不孝以外の何ものでもない。


「イサク様も気づいたでしょう。敵の狙いは彼ら三人です。その三人を連れて逃げては全滅は必至です。イサク様お一人なら逃げ切れます」

「イリュファ!」


 冷酷な言葉に感情的になって「見損なった」と続けようとするが、拳を硬く握り締めて言う彼女の手から血が流れ出ているのを目の当たりにし、その言葉を飲み込む。

 何も彼女とて誰かを進んで犠牲にしたい訳ではない。当たり前だ。


「私は何よりもイサク様を優先します。そのためであれば、鬼にも悪魔にもなります」


 いつだったかリクルに言っていたようなことを口にするイリュファ。

 必死な表情に、少し冷静さを取り戻す。

 しかし、その上で……。


「イリュファ。俺を優先すると言うのなら、俺の感情も尊重してくれ。頼む。こうしている間に、誰かが死んでしまう」

「ですが、イサク様にはなすべきことが――」

「ここで皆を見捨てる奴に! 一体何ができるって言うんだ!」


 合理的に考えればイリュファの方針は間違ってはいない。

 俺だって幼児の時分なら従っただろう。

 しかし今、俺には少しばかりの力があり、ここには俺よりもか弱い存在がいる。

 彼らを守ることもできないような弱い人間が、世界を救えるはずもない。

 救世の転生者と名乗るなどおこがましいにも程がある。


「違うか? イリュファ、リクル」


 そもそも、安全な道だけを歩みたいと言うのなら、救世の転生者として生きるなど非合理の極みだ。気が狂っている。


 たとえここで逃げたとしても、いずれ格上の敵とぶつかる時が来るだろう。

 そこでも勝てないからと逃げるのか。

 まだ勝てない。まだ確実には勝てない。そうやって隠れ続け、犠牲を黙認するのか。


 結局、英雄たらんとするならば一種の狂気が必要なのだ。


「……ですが――」

「わ、私だって無能な私を受け入れてくれた村の人達を、優しくしてくれた人達を見捨てたくないです。ご主人様がそう望むなら、私は従いたい、です」


 恐怖心を残しながらも強がって言うリクル。

 しかし、それこそが紛うことなき本心であることは目を見れば分かる。

 そんな彼女に俺は感謝と共に頷いた。

 成り行きだったが、初めての少女契約ロリータコントラクトが彼女でよかった。

 そう思いながら、もう一度イリュファに訴えかけるように目を向ける。


「イサク様…………やはり貴方は救世の転生者に相応しいお方です」


 対してイリュファはどこか物悲しげな、まるで強い罪悪感に苛まれているかのような表情を浮かべながら呟き、心を決めたように「分かりました」と続けた。


「であれば、私と少女契約ロリータコントラクトを結んで下さい。あちらの複合発露の影響で効果はないに等しいですが、僅かながら弱体化を軽減できるはずです」

「父さんとの契約は?」

「新たに契約すれば前の契約は破棄されます」

「分かった。イリュファ、ありがとう」

「お礼は不要です。お早く」


 イリュファの言葉にもう一度心の中で礼を言い、それから契約の文言を口にする。


「ここに我、イサク・ファイム・ヨスキと少女化魔物たるイリュファとの契約を執り行う。イリュファ。汝は我と共に歩み、我と同じ世界を観ると誓うか?」

「誓います。たとえ貴方がその使命を終える日が来ようとも」


 情緒の乏しい早口の少女契約。

 しかし、つけ加えられた彼女の言葉に一片の嘘偽りもないことは感じ取れた。

 そして世界のルールに従って契約は完了し……イリュファとの繋がりを得る。

 彼女の複合発露〈呪詛アヴェンジ反転リトリビュート〉を使用しながら、大人達の決死の抵抗によって何とか押し留められている少女化魔物を見据える。

 既にエノスさんを始めとした複製師も、治療の役割を担っていた大人達も、顔色が異様な程に悪い。限界だ。


「イリュファ、リクルは皆を頼む」

「御心のままに」

「わ、分かりました、です!」


 それから一度だけ深く息を吐く。

 元はと言えば人外ロリコンなだけの異世界人。

 本物の命の危険を前に恐怖心がない訳ではない。

 それでも先達として後進を背にしておきながら震えてはいられない。

 前世の最期。幼い少女のために命を懸けた時の気持ちを思い出す。


「複合発露〈擬竜転身デミドラゴナイズ〉!」


 言葉にする必要など全くないが、ただ自らを奮い立たせるためだけに己の身に宿る母さんから受け継いだ力の名を告げる。

 と同時に体が変質を始め、四肢が赤い鱗で覆われていく。

 今回は本気の戦闘であるが故に、決意の激情を表すように全身から炎が噴き出る。

 だが、練習で試用した時よりも明らかに体は重い。

 やはり敵の複合発露で弱体化しているのだろう。

 それでも――。


「はあっ!!」


 祈念魔法なしで戦う大人達よりは遥かにマシだ。

 まだギリギリのところで踏ん張っている彼らへと闇雲に攻撃しているセイレーン(仮)の少女化魔物に、その意識の外から急襲せんと地面を蹴る。

 その勢いを乗せて拳を振るう。

 だが、風の流れでも読んだのか。

 彼女は急激に羽ばたいて宙に浮いて回避し、体勢を立て直さんとするように自身の破壊した穴を通って会堂の外へと出てしまった。

 ちっ。見た目通りに素早い!


「イ、イサク……なのか?」


 息も絶え絶えと言う様子のエノスさんに驚愕と共に問いかけられる。

 しかし、悠長に問答をしている余裕はない。


「今の内に下がって。俺が抑えますから、可能なら何とか体勢を立て直して下さい」


 声が問いへの答えになるだろうとそう告げる。

 それと同時に俺は、再び羽ばたいて遠距離から風の塊を以って攻撃しようとしている少女化魔物へと突っ込んだ。

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