第22話 きっとまた
「サユキ」
いつもの場所で、しかし、彼女らしからぬ様子でボンヤリとあらぬ方向を見詰めているサユキに声をかける。
ここ数日、彼女の様子は急激におかしくなっていた。
遊んでいる時でさえ、ふとした瞬間に遠くを見詰め、時折葛藤するように顔を歪める。
まるで世界のルールに反抗しているかのようだ。
実際もう猶予はないのかもしれない。
「サユキ?」
繰り返し呼びかける。と、サユキはようやく反応を示してこちらを向く。
遅れて目の焦点が俺に合い――。
「あ……イサク、ごめんなさい」
サユキは謝りながら、俺の存在に気づけなかった自分に愕然としたように表情を曇らせてしまった。既に自分自身の異常に自覚があるのだろう。
その姿に胸が締めつけられる。
俺は、必死にその感情が表に出ないようにしながら彼女の傍に近寄った。
そして、その弱々しく冷たい体を抱き締める。
「イサク?」
「サユキ。俺の言うことをよく聞いてくれ」
腕の中で彼女が頷くのを確認してから再び口を開く。
「多分、サユキがここにいられるのは後数日もないと思う」
続けて、俺は彼女に彼女自身の正体とこれから待つ未来を告げた。
「や、やだ! そんなのやだ! イサクと一緒にいられないなんて嫌!」
半狂乱になり、俺を離さないとばかりに強く抱き締め返してくるサユキ。
しかし、その運命に抗えないことを根本の部分では理解しているのだろう。
「嫌、いやだよぉ……う、ぐす」
彼女の小さな体は震えを隠せず、悲痛な嗚咽が耳に届いた。
「サユキ……」
別れを恐れる彼女の姿が身につまされ、俺は固く目を瞑った。
折角ここまで仲よくなったのだ。俺だって別れたくなんかない。
けど、どうしようもないものもある。
そんな現実を理解せず、喚き散らしたりしない程度には俺は精神的に大人だった。
…………これでも転生者、だしな。
だから、俺は彼女に嘘をつくことにした。
あるいは、自分自身をも騙すための嘘を。
「一度、遠くへ行くだけだ。きっとまた会えるから」
「イサク……本当に?」
涙を目に溜めながら問う彼女の姿に、尚のこと胸が苦しくなる。
それでも顔には微笑みを浮かべて頷く。
「ああ。本当だとも」
「そうしたら、ずっと一緒にいられる?」
「勿論。だから――」
そして俺はサユキの手を取って、掌の上にそれを置いた。
彼女のために作った贈り物。雪の結晶を模った純銀製の
「これは?」
サユキはその簪を太陽にかざして表、裏と確認しながら尋ねてきた。
「俺からのプレゼント。髪を纏めるための髪飾りの一種だ。遠い世界のいつかの時代では、男がこれを女の人に贈るのはプロポーズを意味してたらしい」
「そ、それって……」
驚いたように、ほんのりと頬を染めて見上げてくるサユキに頷く。
すると彼女は尚のこと顔を赤くし、はにかむような笑顔を久し振りに見せてくれた。
「また会えた時の約束だ」
「………………うん」
「髪の纏め方は教えて貰ったから俺が結って上げる。サユキ、後ろを向いてくれるか?」
「うん!」
俺の言葉に素直に従ったサユキの美しい白銀の髪に触れる。
雪のような冷たさと絹のような滑らかさ。
その不思議な感触はいつになっても新鮮だ。
結晶のように輝くそれをイリュファに教わったように纏め上げ、最後に簪を挿す。
彼女の髪は長さが元々膝の裏辺りまであったので、簪を挿した後も背中にかかるぐらい余っている。髪型としては編み込み+程々のロングヘアという感じだ。
「似合ってる?」
「ああ。可愛いよ」
小首を傾げるサユキに俺は頷いて微笑んだ。
心なしか大人びたように見える。よく似合っている。
嬉しそうに口元を綻ばせる姿も愛らしく、愛おしく思う。
「ありがと、イサク。…………でも、本当に、また会えるのかな」
それでも尚、サユキは不安の残る声色でポツリと呟いた。
まだどこかで自分自身の感覚に引っ張られているようだ。当たり前だろう。
しかし、その感覚がたとえ正しくとも、今は俺の嘘を信じて貰わなければならない。
笑顔でお別れをするために。
「……サユキ。俺のこと、好きか?」
「え? ……うん。好き。大好き。ずっと一緒にいたい」
「なら、大丈夫だ。誰かを大切に思う気持ちは、きっと何よりも強い。奇跡だって、いくらでも起こしてくれる」
半ば本気で、同時に強い願望を込めて告げる。
世界のルールを思えば、理論上全人類よりも強い想いがあれば願いは叶うはずだ。
そう自分に言い聞かせながら。
「だから、精一杯遊ぼう。きっと楽しい思い出が俺達を繋いでくれるから」
「……うん!」
そう言い切ると、ようやくサユキはいつもの無邪気な笑顔を見せてくれた。
その様子に胸がチクリと痛みながらも、少しだけホッとする。
「じゃあ、今日は何して遊ぶ?」
「えっとね――」
そして俺達は一緒に、一番無邪気に遊んだ日のようにその日を過ごした。
最初に会った日のように雪だるまを作り、いつかのように人工的に雪を降らせ、青空の下にある幻想的な白い世界の中で遊び回った。
ここ数日のネガティブな気持ちを全て、吹き飛ばすように。
だが、それが叶う程に時の進みは早く、やがて遠くの空が赤らみ始める。
今日もまた別れの時間が近づいてきた。
「イサク様、お夕飯の時間――」
いつものように、その合図はイリュファの言葉。
しかし、その声は途中で途切れる。
彼女は何故か驚いたように目を見開き、こちらを見詰めていた。
「イサク」
そのことを疑問に思う前にサユキに名前を呼ばれ、俺は振り返った。
完全に不意打ちだった。
唇にひんやりと柔らかい感触。
視界いっぱいに彼女の顔。
一瞬のことで理解が及ぶ前にサユキは俺から離れ、手を後ろに組んで微笑む。
「約束、忘れないで。……また、ね」
それから、そんな言葉を残して振り返らずに駆け出していくサユキ。
そのまま彼女は、全くいつものように世界の中に消えていった。
「今、私にも姿が……?」
「イリュファ、どうしたんだ?」
「い、いえ。何でもありません。帰りましょう、イサク様」
呆然とするイリュファに問いかけるが、彼女は見間違いだろうと自分に言い聞かせるように軽く顔を振ってから帰宅を促す。
そんな彼女に首を傾げるが、これ以上ここに留まっていても仕方がない。
だから俺もまた、何てことのない普段通りの一日のように家路についたのだった。
サユキの突然の行動に、戸惑いと漠然とした予感を抱きながら。
果たして、その翌日からサユキが姿を現すことはなくなった。
結局、さよならを言うことができなかった。
……いや、あるいは言えなくてよかったのかもしれない。
「サユキ……」
自室の机の上。そこに飾られているものを手に取って呟く。
あの日、ふと思い出を形にしておこうと祈念魔法で作り出したサユキとのツーショット写真のような精巧な絵だ。
その中でサユキは、俺が結った髪が風で乱れそうになるのを手で押さえながら眩しい笑顔を浮かべている。その隣に立つ俺も、五歳児のように無邪気に笑っていた。
「また、な」
彼女に言った通り、この世界が人間の想いに応えるものなのであれば、あるいは再会できると思い続ければ可能性が芽生えるかもしれない。
逆に雪妖精の末路を疑いもせずに信じてしまえば、それこそ再び巡り合える確率はゼロになってしまうだろう。
たとえ全てが単なる現実逃避に過ぎないとしても、それでも俺は前者の方がいい。
だから、さよならは言わない。
彼女がこの世界のどこかにいて、俺を待っている。
そう思いながら……新たな春を迎えるとしよう。
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