第9話 初めての遠出

 母親が倒れてから丸一日が経った。

 父親は状況を把握した後、半日程前に急ぎ都市へと出立している。

 正確な情報を得るために。


「イリュファ。母さんは大丈夫なのか?」


 だが、それからの半日で母親の容体は急速に悪化していた。

 今この状態の彼女を父親が見ていたら、決して都市へは向かわなかっただろう。

 それぐらい目に見えて悪くなっている。


「危ういです。ジャスター様が戻るまで持つかどうか」

「そ、そんな急激に……」

「肉体的な問題ではなく、精神的な問題ですからね。ファイム様は特に思い込みが激しい性格でもありますし。それ故に強大な少女化魔物ロリータでもある訳ですが」


 思い込みが激しい故に、か。

 そう言えば昔、証拠もなしに俺が転生者だったらと想像して喚いていた記憶がある。

 確かにあんなでは、ネガティブに転がり落ちる時は真っ逆様だろう。

 それが致命となるのだから、異世界の異種族特有の症状と言うべきか。


「元々愛情が深く、何よりも家族を大事にしている方でもあります。実の子を失ったかもしれないという精神的なショックの大きさは、私達の想像を遥かに超えていたのかもしれません」


 その辺り、子供を持ったことのない人間には浅い共感しかできないな。

 安静にしていれば何とかなるなんて楽観視し過ぎたか。


「ファイム様が最初に手紙を見てしまったのも失敗でした。うまく情報を整理して説明していれば回避できたかもしれませんのに」


 あの手紙を改めて読むと、情報源が不確かである旨については後半に書かれていた。

 要点を最初に書くのは一つの技法ではあるが、今回は悪く作用してしまった訳だ。

 言わば、新聞の見出しだけを見て早とちりしたようなもの。

 加えて、あの母親の場合は意識を失ったことで変に最初の印象が固定化し、生来の思い込みの激しさによって思考が完全にロックされてしまったのだろう。


 そのせいで、まだ確定ではないとイリュファが言っても、俺がそれに同調しても、全て空しい慰め扱いで聞く耳を持ってくれずにいる。

 手紙ももう見たくないと読んでくれない。

 このままでは本当に、思い込みに殺されてしまいかねない。


「どうにかしないと」


 命の危険ばかりの話ではない。

 彼女は大切な母親なのだ。

 深い悲しみにあるならば元気づけたいと思うのは当然のこと。


 それに母親とは言え人外ロリでもある。

 ロリっ娘が苦しんでいる時に何もしないのは、俺の主義にも反する。


「けど、こういう場合はどうすればいいもんかな」


 頭をかきながら自問する。と、それに答えるようにイリュファが口を開いた。


「結局のところ言葉が、そこに込められた心が届くかどうかではないでしょうか」

「そうだろうけどさ。今の母さん、周りの言葉がちゃんと耳に届いてないっぽいからなあ。その前に最低限、意識をこっちに向けさせる必要があると思うぞ」

「……では、一発引っ叩いてみましょうか」

「いやいや、待て待て!」


 乱暴な。

 何か俺の母親に恨みでもあるのか、イリュファよ。


「物語では割とよく見る手段かと思いますが」

「そうかもしれないけど、やめれ。…………選択肢が他になくなるまでは」


 実際、一つの手ではあるかもしれない。

 しかし、さすがに母親を、しかも幼い外見の彼女を叩くのは気が引ける。

 それは最後の手段としておくべきだろう。


「正直、私は怒っているのです」

「何でまた。早とちりした短絡さや思い込みの激しさは一先ず置いておくとしても、さすがに息子が死んだかもしれないともなれば仕方がないと思うぞ」

「それはそうですが、まだイサク様がいるのですよ? このままイサク様を残して死んでいいと思うなら、それは母親失格です!」

「……そのことで怒ってくれるのはありがたいけど、母親だって完璧じゃないからな」


 どうしようもなく心が沈みこむことだってあるだろう。

 間違えてしまうことだってあるだろう。


「むしろイサク様自身が怒るべきです。実の子供なのですから」

「まあ、そこは俺、転生者だから」


 前世の記憶もない、普通の五歳児だったら喚き散らしていたかもしれないが。


「ともかく、他に何か母さんの気を引けるものはないか?」


 それからそう尋ねると、イリュファは渋々ながら別の案を考え始めたようだった。


「…………そう、ですね。では、料理などどうでしょう。子供が自分の体調回復を願い、料理を作ってくる。かなり心に響くと思いますが」

「料理、か。成程、悪くないな。けど、母さんの好物ってなんだ?」

「ジビエ料理。特に熊肉のシチューでしょうか。熊肉がほとんど市場に出回らなくて残念だと以前おっしゃっていました。行商で並ぶのも養殖の豚や牛が主ですので」


 ジビエ料理。猟で取った野生動物の肉を使った料理だったか。

 名前は結構聞くけど、食べたことはないな。

 しかし、この異世界。

 ファンタジーならむしろ一般的な食料になりそうな野生動物の肉が特別寄りになる程度には、畜産が発展しているようだ。


「加えてイサク様が初めて一人で狩った獲物であれば、感動もひとしおでしょう」

「村の外に出て狩ってこいってことか」

「はい。イサク様の実力であれば危険はありませんよ。この近辺で出現する魔物に遅れを取るようなことはありませんし、そこらの動物が相手なら言わずもがなです」


 イリュファは更に「今のところ危険な少女化魔物ロリータが発生したという情報もありません」と続けた。

 確かに、祈念魔法があれば相手が熊だろうが瞬殺できるだろうな。

 元の世界と同じ強さなら。

 軽い口調のイリュファを見る限り、たとえ魔物を相手取っても問題なさそうだ。

 複合発露エクスコンプレックスもあるし、発生し立ての少女化魔物と運悪く遭遇してしまっても逃げるくらいはできるはず。

 その辺を考慮に入れていないイリュファではないだろうし。


「分かった。やろう。魔物の他に、村を出る時に注意点があったら教えてくれ」

「一番気をつけなければならないのは門番ですね。彼が真性少女契約している少女化魔物の複合発露は――」


 そうして教わった情報に基づき、方法を頭の中でシミュレートする。

 まあ、大丈夫だろう。


「了解。何とかする。じゃあ、ちょっと行ってくるから母さんのことは頼んだぞ」

「はい。お任せ下さい。……………………イサク様、申し訳ありません」


 胸を張って頷き、それから対照的な囁き声で言葉をつけ足すイリュファ。


「何がだ?」


 普通に聞こえてしまったのでスルーせずに尋ねる。


「い、いえ、何でも。行ってらっしゃいませ、私の主様」


 明らかな誤魔化しの笑みを浮かべて、愛嬌を作るように少し首を傾けるイリュファ。

 エプロンドレスが映える動きは実際可愛らしいが、実に怪しい。

 しばらく黙って視線で問い続けるが…………。

 彼女は答えることなく笑顔を維持するばかり。

 意味深な呟きの理由を教えてくれる気がないことが分かったので、俺は一つ軽く嘆息して目線を切った。


「まあ、いいや。じゃ、今度こそ行ってくるよ、イリュファ」

「はい。今度こそ行ってらっしゃいませ、イサク様」


 そんなこんなで俺は初めて村を出ることになった訳だが、まずは先程イリュファの話に出た門番をどうにかしなければならない。

 彼もまた真性少女征服者ロリコンであり、その複合発露は半球形に結界を張るというもの。正にヨスキ村の最後の砦と言える防衛のための能力だ。

 当然、第六位階相当のそれをぶち抜くことなど今の俺では到底不可能。

 …………だが、穴がない訳ではない。

 なので俺は一先ず家の庭に回り、塀に囲まれた死角に入った。


「土の根源に我はこいねがう。『掘削』『圧縮』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈地母〉之〈削洞〉。風の根源に我は希う。『振動』『抑制』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈天父〉之〈防振〉」


 そして、そこから穴を掘って村の外を目指し始める。

 念のために祈念魔法で掘削音を抑制し、精々モグラか何かが移動している程度の音しか出さないようにしながら。


 半球形の結界。それ故に下はがら空きなのだ。

 いや、勿論本来は地面にも結界を張れるそうだが、村民は皆、外で仕事がない時は農業をしているため、その妨げにならないようにしているらしい。

 それ故、平時にわざわざ村の中から穴を掘って抜け出そうとする者はノーマークとなる……はずだ。


「よし。抜けたな」


 果たして俺は彼の結界の外に出ることができた。

 軽く振り返る。うん。ばれていない。


「さて、行くか。悠なる根源に我は希う。『纏繞』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈無窮〉之〈纏勁〉。悠なる根源に我は希う。『探知』『広域』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈無窮〉之〈探界〉。風の根源に我は希う。『纏繞』『収束』『制御』『維持』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈天父〉之〈天翔あまがけ〉」


 念のため祈念魔法で身体強化を施し、周囲の探知も併用しながら空へと舞い上がる。

 目指すは熊のいる山。

 今の時節は丁度秋。

 冬に備えて脂肪を蓄え始めた動物獲物が待っていることだろう。


 場所は、元の世界で言えば日本の山形県に存在するヨスキ村の近く。

 位置関係的に月山に相当する山だ。この世界アントロゴスでの名前は知らない。

 近くとは言っても車が必要なぐらいの距離だが、空を飛べば十数分程度だろう。


 そうして秋の空を翔けていく。

 村から初めて出たことも相まって解放感と爽やかさを感じるが、目的が目的だけに今はその感情を抑え込んでおく。

 そのまましばらく進んでいくと――。


「って、んん? 何だ、あれ」


 探知に反応を感じ、そちらに目を向けると平原の一角で何かが動いているのが視界に入った。何となく気になって、その場で止まって高度を落とす。


「……誰かああああっ! 助けて下さいですううううううっ!!」


 すると、何だか少し間抜けた声が聞こえてきた。


「光の根源に我は希う。『制御』『拡大』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈日輪〉之〈拡視〉」


 祈念魔法でその光景を拡大し、目を凝らす。

 そして視界に映ったのは、複数の粘液状の蠢く物体、ファンタジーに登場するテンプレな魔物であるスライムに追われている幼い女の子の姿だった。

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