第7話 祈念魔法応用編と複合発露
祈念魔法の訓練を開始してから二年以上の月日が流れ、少し前に五歳になった。
あの後、数ヶ月は実践よりも座学がメインで、ご先祖様によって体系化された祈念魔法の知識を頭に叩き込まれた。
澄ました顔で情報を詰め込んでくるイリュファさんマジスパルタ。
いや、言っても、大学受験の頃の勉強とかより遥かにマシだけど。
元の世界にない不可思議な力の知識を覚えるのは楽しいし。
先生役は人外ロリ可愛いし。
そんなこんなで一通り知識を得、今はイメージをより強固にするために実技的な訓練が主体になっている。
「闇の根源に我は
今日も今日とて、いつものアベルさん宅の影の中で祈念魔法をぶっ放す予定。
だが、今回はちょっとした試験を行うことになっている。
祈念魔法最上級の認定試験のようなものだ。非公式だが。
「では、イサク様。私が作り出した複数の的を、第四位階の祈念魔法三つ以上同時に用いて破壊して下さい」
「了解」
内容はイリュファの言った通り。
これに合格すれば、自分の力で影の中に入って自主練習する許可が下りる。
二つ以上の祈念魔法の同時使用は制御が難しいため、この二年の間はイリュファの傍でしか許されていなかったのだ。
また、第四位階の魔法を練習するには、影に入る魔法も第四位階でなければならないことも一つの理由である。影を境界とした結界が耐えられないそうだ。
そのため、影に入った上で魔法の同時使用の訓練をも一人で行うとすれば、最低三つの同時使用は必須となる。
……しかし、試験と考えると少し緊張するな。
念のため、頭の中で祈念魔法の基礎知識を復習しておこう。
この世界の魔法は、人間原理的な世界のシステムを利用している。
それ故に多人数の共通認識が必要であり、魔法のイメージをなるべく統一して体系を維持するために一定のルールが定められているのだ。
その最たるものが祈念詠唱である。
「闇の根源に我は希う。『集約』『成形』『維持』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈冥府〉之〈
イリュファの言葉を合図に影の世界の端の方に、人の形をした黒い塊が生じる。
ちょっと遠いので正確な形も位置も分からないが。
今彼女が口にしたものこそが祈念詠唱だ。
ここに登場する日本語。『集約』『成形』『維持』〈冥府〉〈影傀儡〉を祈念詠唱言語と言い、魔法の性質を定める重要なキーワードとなっている。
祈念詠唱は分解すると三節に分けられる。
まず魔法の属性を定める第一節。
「属性」「のorなる」「根源に我は希う」で構成される。
ちなみに属性は「火」「水」「氷」「風」「土」「雷」「光」「闇」「命」「
「悠なる根源に我は希う――」
復習しながら祈念魔法の詠唱を開始する。
この悠属性の祈念魔法のみ「悠の」ではなく「悠なる」となる。
ここは別に日本語ではないが、訳すとそんな風になる。
英語で言うならofではなく形容詞になっているような感じだ。
次に祈念魔法の性質と位階(≒出力)を決める第二節。
「性質」「の概念を伴い、」「位階」「の力を示せ」で構成される。
イリュファの祈念魔法で言えば『集約』『成形』『維持』が性質、第四が位階。
性質を示す言葉を拡張祈念詠唱と言い、これを増やせば増やす程、特殊な効果の魔法が使えるようになる。当然、制御の難易度は高くなるが。
位階は第一から第四まであり、第四位階が最高位にして最大威力となる。
「『纏繞』『硬化』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈無窮〉之〈纏硬〉」
最後に、祈念魔法のイメージを固めるための第三節。
いわゆる魔法の名前だ。
「各属性の位階毎にあるキーワード」「之」「機能を端的に表す造語」で構成される。
〈冥府〉は闇属性第四位階を表し、〈無窮〉は悠属性第四位階を表す。
これを位階祈念詠唱と言うが、この二つ以外のそれについては今は省く。
「悠なる根源に我は希う。『識別』『拡張』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈無窮〉之〈拡識〉。火の根源に我は希う。『纏繞』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈焦熱〉之〈纏炎〉」
一つ目の祈念魔法で身体強化を施し、二つ目の祈念魔法で五感を強化する。
更に三つ目の祈念魔法で炎を身に纏う。
第三の魔法は単純に攻撃力を上げるためだが、火属性を選んだ意味は特にない。
敢えて言うなら母親が
ともかく準備はできた。
そして遠く、明かりの届かない位置にいる目標を、鋭敏になった知覚で捉え――。
「はっ!」
影の空間にある謎の足場を蹴って一気に近づき、一つずつ殴って壊していく。
強化された身体能力のおかげで、ものの数秒で全ての影を破壊できた。
まあ、所詮動かない的だ。
試験という雰囲気にほんの少し緊張したが、簡単なものだった。
「……さすがです。もっと多くの祈念魔法を同時に使えそうですね」
「うん、できそうだ。ただ、詠唱を省略できないからなあ」
システム上の問題と言うべきか。
祈念魔法に詠唱省略や詠唱破棄、無詠唱は存在しない。
どれだけの上級者でも必ずそこそこ長い祈念詠唱を口にしなければならないのだ。
しかし、戦闘中に悠長に同時使用なんてしていられないだろう。
同時使用するとすれば、精々悠属性の祈念魔法をいくつも重ねて事前に身体能力を最大限に上げ、戦闘中は単発の祈念魔法を使って戦うぐらいか。
祈念魔法での戦いは、どれだけ事前準備ができるかが肝というところだろう。
「そうですね。まあ、仕方がありません。祈念魔法を極めても、少女征服者の強さで締める割合は一割以下ですから」
「成程一割以下…………って、はあ? 一割以下? ええ……」
何のための二年間だったのかと思いたくなる言葉がイリュファの口から出て戸惑う。
とは言え、数パーセントでも意味があるのなら不可欠ではあるはずだ。
とりあえず、そう自分に言い聞かせて納得しておく。
イリュファが無意味なことをやらせるとは思えないし。
「証明しましょう。イサク様、合図をしたら第四位階の祈念魔法による遠距離攻撃を私に向けて使用して下さい。それと、それを跳ね返されて防ぐ用意も」
「よく分からないけど……分かった」
頷くと、イリュファの姿に変化が生じる。
何となく存在が希薄になったと言うか、微妙に透けているような感じがする。
彼女がゴーストの少女化魔物であることを思い出した。
「では、どうぞ」
「よし。行くぞ。火の根源に我は希う。『回転』『圧縮』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈焦熱〉之〈旋弾〉」
とりあえずイリュファに言われた通り、旋回する球形の炎を撃つ。
跳ね返されて、とか言っていたので速度は遅く制御して。
空間をふんわり飛んでいく火球。
それがイリュファに当たりそうになった瞬間、急に方向を変えて逆再生の映像のように俺の方へと戻ってきた。
「おお?」
制御しようとしても効果なし。
避けようとしても、俺の動きに追随してくる。
「氷の根源に我は希う。『隔壁』『圧縮』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈紅蓮〉之〈氷壁〉」
諦めて、その炎の進行方向に氷の壁を作り出して対消滅させた。
「今のは?」
「少女化魔物が持つ固有の力。
「
確かに少女化魔物には固有の特殊な力があると聞いていたが……。
「以前祈念魔法の概論の時に、位階は絶対であるとお教えしましたよね?」
「あ、ああ」
祈念魔法の威力を決めるのは、相性ではなくイメージの力。
だが、それはあくまでも同じ位階においての話だ。
上位の位階の祈念魔法と下位の位階の祈念魔法がぶつかり合った時、どれだけイメージの力に差異があろうと、上位の位階の祈念魔法が勝つ。
これは絶対だ。システム的な制約というものだろう。
故に上位の位階の祈念魔法を使えるなら、下位のそれを使う理由はほとんどない。
精々実力を隠すぐらいのものだ。
「複合発露は位階で言えば第五。全ての祈念魔法の上位の力に当たります。更に、真性少女契約を結ぶと力が強化されて
「第五に、第六!?」
「はい。そして少女契約を結んだ少女征服者は、その少女化魔物の複合発露を使うことができます。真性少女契約であれば、真・複合発露もですね。如何に強力な少女化魔物を集めるかが少女征服者として強くなる鍵となる訳です」
先程見た限り詠唱も必要ないのだろうから、間違いなく複合発露や真・複合発露こそが少女征服者の切り札と言えるだろう。
聞いていると尚更、祈念魔法を学ぶ意味が分からなくなるが……。
「もっとも、少女化魔物の複合発露は攻撃的なものばかりではありませんし、一体の少女化魔物につき複合発露は一つです。応用力のある祈念魔法の方が優位となる場面はあるでしょう」
成程。そういうことであれば確かに無駄ではない。
とは言え、最強を目指すならイリュファの言う通り、優秀な複合発露を持つ少女化魔物を何人も集めなければならない訳だ。
戦いに有用かどうかで選ぶのは、何とも複雑だが。
「ちなみに、イサク様も複合発露を使えますよ」
「は? いやいや、俺は少女化魔物じゃないぞ」
「少女化魔物の子供は母親の複合発露を引き継ぐことができますからね。第五位の下位相当まで劣化しますが」
ってことは、
「まあ、救世の転生者ですからね。それなりに優位な生まれでもないと無理をさせられません。救世を果たす前に死なれても世界と人類が困りますから」
身勝手な理由に基づいた転生者の優位性だが、まあ、才能はあるに越したことはない。
「母さんの複合発露ってどんなのなんだ?」
「ファイム様のそれは〈
人間が竜や竜人に変身する。そういう類の漫画やゲーム、結構あったっけな。
あんな感じか。ちょっと試してみよう。
「
詠唱は無用なのだろうが、とりあえず初めてということで目を閉じて名称を口にしながらイメージしてみる。すると――。
「え?」
呆けたようなイリュファの声が耳に届く。
目を開けて己の姿を見てみると、赤い鱗に覆われた四肢が視界に映った。
顔がどうなっているかは分からないが、多分竜っぽくなっていることだろう。
「お、成功した?」
そう呑気に喜んでいると、突然周囲の空間から何かが軋むような音が鳴り始める。
気を取られて周りを見ると、影の世界にひびが入り、徐々に大きくなっていっていた。
「イ、イサク様! 複合発露を解いて下さい! 〈冥府〉之〈影界〉が持ちません!!」
「お、おお? ご、ごめん」
慌て出したイリュファに謝って元に戻るイメージをする。
〈冥府〉之〈影界〉は第四位階。
劣化しているとは言え、
祈念魔法の訓練のために境界で攻撃を遮断するという特性を持たせている上、上位の位階の力が使われると結界が耐え切れなくなるのだろう。
「はあ……今回は心底驚きました」
「本当にごめん。祈念魔法のノリでやったら普通にできた」
と口にして、祈念魔法を学んだ成果、目的がこれだと気づく。
最終的に複合発露をスムーズに扱えるようにするためにこそ、祈念魔法について長々と学んできたに違いない。
「……これはまた学習計画を修正する必要がありそうです」
とは言いながら、前回とは違って素直な苦笑をするイリュファ。
今回は表情通りの感情と受け取ってよさそうだ。
ちょっとホッとする。
「一旦家に帰りましょう」
そうして影から出て、イリュファと手を繋いで家路につく。
新たな力を使うことができたことに、そこそこ興奮を感じながら。
その途中。
「…………何か様子が変です」
家に近づくにつれて彼女は徐々に表情を険しくし、歩みを速め始めた。
その様子に仄かな充実感は霧散し、不安が心に渦巻く。
「イサク様、失礼致します」
やがて彼女は俺を抱えて駆け出してしまった。
そのまま引き戸を勢いよく開け、転がり込むように中に入る。
すると――。
「ファイム様!?」
「母さんっ!?」
そこには倒れて意識を失っている母親の姿があり、床に手紙らしきものが落ちていた。
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