エピローグ 世界を越えた繋がり

最終話

「まあ、結局のところはレオンが性質的に不滅だったから、遺伝子的な一致で貴方は使用者たり得た。でも、そのせいで貴方自身の固有呪法に思い至れなかった、って訳ね。何よりレオンこそが優司を倒す唯一の力だと盲信していたから」


 そんな姫子の確認に、雪村家の応接間で上座に座る彼女の正面に徹と並んで正座していた佳撫が、そういうことです、と頷いた。

 あれから一日が経って、現在は血戦翌日の夕方。

 当然平日なので高校で授業を受けてから、放課後に佳撫と共に世界を越えてきた。

 昨日は血戦のために学校をサボってしまい、その分を再び優司の協力を得て埋め合わせしなければならなかった。今回は妙に宿題が多く酷い目に遭ったが、それは余談だろう。


「符号呪法というものは、遺伝子によって系統が決まり、固有呪法は本質、単純に言えば魂、合理的に言えば遺伝子をベースにして環境や歩んできた道によって培われた人格で決まるとされているわ。固有呪法すら同一の場合もあるらしいけど、それは双子でも本当に稀な話で、片手で数えられる程度の件数しか報告されていないみたいね」


 昨日帰ってから調べてみたの、と姫子はつけ加えてさらに続ける。


「それは例えば、大人になっても印をつけておかないと他人から、どころか親からも全く見分けがつかないレベルの双子の場合らしいわ」


 徹と森羅の徹は接すれば明らかに別人だと分かる程、本質の部分から大きく異なっていた。

 となれば、徹が似て非なる固有呪法を有していたのも必然だった訳だ。


「兄様は死んだ兄様とは別人です」

「……そうね。死んだ徹では弱点を知っていても異常復号体と化した彼には勝てなかっただろうし。戦闘スタイルが真っ直ぐ過ぎて。身体的なスペックが違い過ぎるなら、搦め手で行くしかないのに。だからこそ、この徹が彼に勝った事実は、死んだ徹とは別人だって証拠にもなる」


 とは言え、それは森羅の徹より優れている証拠にはならない。本質の違いから来る単純な相性の問題で勝利できたに過ぎないのだ。そこは勘違いしてはいけない。


「まあ、そんな勝因の確認はもういいわ。私が聞きたいのは一点だけ。どうして私を助けに来たの? 勝てる勝負だからと言って、貴方には義務も義理もないはずでしょ? それどころか一度は死にそうな目に遭わされたのに」


 そこを聞かれても返答に困るのだが、姫子の表情は酷く真剣で、だから徹はしっかりと考えて正直なところを言葉にした。


「確かに義務なんかないとは俺も思う。でも、義務も義理も全く何もない相手を俺は助けたりしない。俺はそんな聖人君子じゃない、単なる凡俗な人間だから」


 利害関係によって当然のように取捨選択するし、見捨てもする。

 そんなそこらにいる小市民でしかない。

 それでも以前は選択から逃げるレベルだったのだから、そこに至ったのは一応進歩と言えるだろうが。


「だから義理がある。目に留まった。会話をした。妹の知り合いだから。何より僅かな時間とは言え生活を共にしたから。負けるかもしれない勝負に出られるかは当人のパーソナリティ次第だけど、勝てる勝負を躊躇う必要がない程度の義理にはそれで十分だ」

「暗に、負けると思っていたら見捨てていたって言いたい訳ね。負ける勝負をする程のプライオリティは私にはないから」


 理解の表情を浮かべて、どこか楽しそうに言う姫子に、徹は苦笑で返して頷いた。


「そう。正直で逆に清々しいぐらいね。ある意味当然のことだし。優先順位があるのは」


 ただ、どれぐらいの順位であれば負ける勝負でも挑むことができるかは、やはり当人のパーソナリティ次第だろうが。

 徹の場合は相当に上位でなければ、それこそ家族である里佳と佳撫、それ以外では親友の優司辺りが関わらない限り、自分から負ける勝負に挑むなど決してないに違いない。

 その辺のハードルが下がるかどうかは、これからの自分自身の歩みに依るだろう。

 そう徹は思った。


「そんなことより、どんな理由だったとしても命を救われたんだから、最初に言わないといけないことがあったわね。……徹、助けてくれてありがとう」


 姫子は真面目な表情になって深々と頭を下げた。


『死んで逃げようとした者の台詞じゃないな』

「まさか徹が彼に勝てるとは思わなかったから、って言い訳するのはさすがに間抜けが過ぎるかしらね」


 心底ばつが悪そうにレオンの言葉にそう返し、姫子は真っ直ぐに徹の顔を見詰めながら言葉を続けた。


「それと県令の娘として、異常復号体を倒し、この街をその脅威から救ってくれたことにも感謝するわ。誰も本当の意味では危機感を抱いていなくて、そのことについて感謝できるのは私ぐらいなのは申し訳ないことだけど」

「いや、十分過ぎるよ。結局できる奴がやっただけの話だから」

「それを当たり前に思ってしまうのは、私は危険なことだと思うわ。その能力が利となるか害となるかは所有者の意思次第なんだから。利に働いたのなら、それには感謝すべきだと思う」


 確かに姫子の言うことはもっともだ。

 それを当然のことのように思い、完全に他人任せにしてしまうのは怠惰の極みと言える。

 それは弱さ以前の問題だ。

 そう考えて、正直彼女にそこまで感謝されるのはこそばゆかったが、徹はその気持ちをしっかりと受け取っておくことにした。


「それともう一つ。貴方が彼を倒してくれたおかげで、死んだ徹のこと、少しは受け止められるようになったと思う。どこか復讐に託けて目を逸らしていたけど、ね」


 姫子はどこか自嘲するような儚げな笑みを見せた。

 しかし、それだけで完全に吹っ切れる類のものでもないはずだ。

 それはきっとこれから先長い時間をかけて、彼女自身が折り合いをつけて己の一部として昇華していかなければならないものに違いない。


「姫子さん……」

「佳撫も、ごめんね。色々と酷い態度を取って」

「い、いえ、いいんです。わたしも紛らわしい真似をしてしまいましたから」


 再度深々と頭を下げた姫子に、佳撫は慌てたように手を眼前で振りながら言った。

 その仕草がどこか滑稽で徹は小さく吹き出してしまい、佳撫に不満げに睨みつけられてしまう。

 そんな二人の様子に、顔を上げた姫子の表情も柔らかくなっていた。


『徹、そろそろ里佳殿が帰ってくる頃じゃないか?』

「ん? ああ、そうだな」


 レオンに言われ、窓から差し込む光を受けてネイビーブルーの輝きを放つ左手の腕時計を確認する。短針は六時に大分近い。


「って、あれ? レオン、今、俺のことを名前で呼んだか?」


 この世界の徹のことではなく、自分のことをそう呼ばれたのはこれが初めてだったような気がして、徹は思わず右手の腕輪を見詰めながら尋ねた。

 しかし、レオンはその問いを無視するように何も答えなかった。


「多分、今回のことで代用品ではないと認めてくれたんでしょう。ここにいる兄様と死んだ兄様は別人なんですから」


 訳知り顔で言う佳撫に、ふん、と鼻を鳴らす音が腕輪から聞こえてきた。

 恐らくレオンからはまだ半人前程度にしか思われていないだろうが、それでも一つの人格として受け入れられた気がして徹は少し嬉しく感じた。

 普通の扱いになっただけで喜んでしまうのは、最初の扱いが余りに酷かったせいなのかもしれないが、今思えばあの扱いは自分の弱さ相応だったとも思う。


「まあ、ともかく、そろそろ帰ろうかな。明日の宿題もあるし」


 そう言いながら徹が立ち上がると、それに倣って佳撫は静かに、姫子も頷いて立ち上がった。

 そして三人で日本庭園風の庭に降り、相変わらずの和の気配を感じながら所定の場所に立つ。


「あ、ちょっと待って」


 佳撫が世界と繋げようと瞳を緑色に染めたところで、姫子に呼び止められた。


「その、一つ頼みたいことがあるの」

「えっと、何?」

「こういうことを改めて言うのって何とも無粋な感じがするけど……その、わ、私のプライオリティ、上げてくれない?」


 何とも恥ずかしそうに、と言うよりはむしろ決まりが悪そうに姫子は言った。


「……どういうこと?」


 何を頼みたいのかが今一よく分からず尋ね返すと、姫子はその言葉だけで察して欲しいとでも言うように不満そうに眉間にしわを寄せた。


「つまり、その、単なる知り合いから友達に格上げして、ってことよ。……ああ、もう、無粋が過ぎるわ」

「友達になって欲しい、ってことか?」


 まだ微妙に回りくどい言い方をする姫子に、彼女の目を見詰めながらストレートに確認する。

 と、姫子はさらに不機嫌そうに顔を背けてしまった。


「い、言い直さないでよ。馬鹿」


 そんな彼女の様子に、隣にいた佳撫は目を丸くして見比べるように徹と姫子へ交互に視線を移動させていた。


「あ、あの、それってお友達から始めて恋人にとかいう話じゃ――」

「ち、違うわよ。本当にただ純粋に友達になりたいだけ。……って言うには、ちょっと打算的な部分が多々あるけど」

「どういうことですか?」


 佳撫は不審そうな目を姫子に向けながら、警戒するように徹の左腕にぎゅっと抱き着くようにして腕を絡めてきた。


「私は死んだ徹のことが好きだった。でも、それは今私の目の前にいる徹じゃない。この徹は、残念だけど恋愛対象にはならないわ」

「そ、そうですか。でも、それなら一体どうして?」


 何故か安堵したように軽く息を吐いてから、佳撫は不思議そうに姫子を見詰めた。


「でも、だからと言って無視すれば、逆に意識しているってことでもあるでしょ? 無理矢理距離を取ろうとしてもそう。だから、身勝手かもだけど、恋人には決してならないけど親友ぐらいにまで親しくなれれば、死んだ徹のことを乗り越えられたってことになるのかな、って思って」


 人の心のことだからいずれは他の誰かを好きになるかもしれない。

 しかし、こういう場合では、余りにも近過ぎるために、同時にどうしようもなく違うために、徹はそういった対象にはなりにくいということもあるのだろう。


「それに何より、貴方とは仲よくやっていきたいと思ったのも確かだから」


 一般男子として恋愛感情を抱けないと言われるのは寂しいのが本音だが、しかし、これはこれで嬉しいのも確かだ。

 むしろ時として友人という存在の方が恋人という存在よりも尊く必要に感じることもあるだろうから。

 両者はいわゆる知人の特殊形だが、どちらが上位の特殊形という訳でもなく、当てはめられる条件はきっと別。異なる特殊形に違いない。

 と、こんなところにまで優司から聞いた話を持ち込むのは、それこそ無粋か。


「……どう?」

「ああ、よろしく頼む」


 ともあれ、やはり喜びが先立ち、徹は自然と微笑みを浮かべながら右手を差し出した。

 すると、姫子にその手をしっかりと握られる。


「これで私達は友達ね。と言う訳で、これからは雪村さんじゃなくて、ちゃんと姫子って呼んでよ? この街に雪村は沢山いるんだから。ね?」


 握手したまま悪戯っぽく笑う姫子の言葉に、徹は苦笑いしながら頷いた。


「兄様、そろそろ行きましょう」


 どこか不満そうに唇を尖らせて言う佳撫に、姫子はふっと柔らかく微笑んで握り締めていた手を離した。そして、世界間移動の影響を受けないように数歩下がる。

 そこでようやく佳撫は徹の左腕を解放した。


「じゃあ、よければ、またすぐにでも遊びに来るよ。姫子」

「歓迎するわ。友達としてね。徹」


 自然な笑顔で手を振る姫子に軽く右手を上げて応えて、徹は佳撫の肩に左手を置いた。

 佳撫はそれを合図にするように頷いて、二つの世界を繋ぐ扉を作り出した。

 その光が全身を包む込む中、徹は今回の、里佳風に言えば人生初の大きな挫折を含めたこの出来事で得られたものを考えていた。

 それは別世界の妹であり、諦めないことで捨て去るという考え方であり、逆に諦めないことで道を見つけ出せることもあるという事実であり、そして、別世界の友人だった。

 そこまでのものを得られてようやく半人前レベルにしかなっていない気がする辺り、どれだけ初期状態が酷かったのか、と少々情けなくなる。

 しかし、だからこそ、自分にとってこの体験は、得られたもの以上にこれからの人生において重要な経験だったに違いない。そう徹は今回の出来事を振り返っていた。


 やがて世界の空気が変わり、元の世界に戻ったことを直感的に理解する。

 同時にこの一連の出来事の一先ずの終焉をも。

 それを徹が何となく感じていると、佳撫が目の前に躍り出てくるりと振り返った。

 思えば、全ては彼女との出会いから始まったのだ。ならば、彼女によって幕が下ろされるのも正しい結末なのかもしれない。

 そして、佳撫は両手を目一杯に広げて朗らかに笑いながら言う。


「お帰りなさい。兄様!」


 これから先、どのような出来事が待ち受けているにせよ、この笑顔は共にあり、並行世界との繋がりもまた続いていくだろう。

 波風が立たなければそれはそれでよし。

 立つならば、今回のことを教訓に自分らしく対処するまでのことだ。

 だから、今は一先ずの終わりを祝すために、徹は佳撫の頭に手を乗せ、彼女の言葉に応えることにした。


「ただいま、佳撫」

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