第13話

 夜。別世界の徹の鍛錬に遅くまでつき合ってから、姫子は手早く風呂を済ませると早々に布団に横になっていた。道場での会話を思い出しながら。

 そして、軽く後悔する。ぺらぺらと余計なことを喋ってしまった、と。

 彼はあくまでも徹の代用品に過ぎない。

 レオンに言われた通り、全体的に言動が頼りなく、この世界の彼とは程遠い。

 それなのに隣に彼がいるような気がして、つい言葉が多くなってしまった。

 しかし、あの徹は別人なのだ。ハッキリ区別しなければならない。

 そう自分に言い聞かせようとするが、納得し切るには至らなかった。


「納得なんて、できる訳ないよ、徹」


 元々この話を佳撫に持ちかけた時、彼女からは、並行世界の同一人物だからといって本人という訳ではない、と忠告されていた。

 それでも姫子は一縷の望みに賭け、強行したのだ。

 佳撫もまた徹の死を認め切れていないと分かっていたから、それを利用して。

 今回の件は父、県令たる龍之介の承認を取って行ったことだった。

 佳撫の固有呪法を使用して世界を繋ぐには県令の許可が必要だからだ。

 ちなみに一度も使用されていない固有呪法の正体が分かっているのは、過去の経験則と遺伝学の発達によって遺伝子から割り出せるからなのだが、それは余談だ。


 ともかく、姫子は徹との再会を望んでコネを利用し、ことを起こした訳だ。

 とは言え、県令の娘だからと言って私情で権力を振りかざせる訳もない。

 父親である龍之介もその辺は清潔なので、ただ単に娘がお願いしただけでは許してはくれない。

 全ては異常復号体を打倒するため。

 同時に、姫子が自身の持つ繋がりを利用して手柄を立てることで、県令を継ぐ蓋然性を高めるため。

 そのために、と姫子は別世界の徹の強さを多少誇張して許可を取ったのだ。


 だが、正直に言えば、姫子にとっては県令云々の話はどうでもよかった。

 実際、徹さえ死ななければ、今もそれとは距離を置いて過ごしていたことだろう。

 今、必死になって早坂優司を倒そうとしているのは、悲しみを誤魔化すための単なる復讐に過ぎない。

 八つ当たり的に、かねてから腹立たしかった世論に対しても反抗してやろうと思ってはいるが、徹がいないのであれば結果がどうなろうと価値は同じこと。

 溜飲がほんの僅かに下がる程度だ。


「徹……」


 徹とは、有能な研究者である彼の父と龍之介が知り合いだったことから、幼い頃からつき合いがあった。

 とは言っても、その頃は年に何度か会う程度だったが……。

 中等学校で同じクラスになり、成績も同等だったこともあって親しくなった。

 周囲の人々が県令の娘であることを気にして次第に言動に打算を織り交ぜていく中、彼だけは自然に接し続けてくれた。

 だから、彼に惹かれるのに時間はかからなかった。

 ただ、ハッキリと言葉に出したことはない。

 龍之介はどこから話を聞いたのか、復号師として将来有望な徹であれば交際を許す、と言っていたが、結局初恋は実る前に、勝負する以前に消え去ってしまった。


「せめて一言でも……」


 姫子はじくりと胸を刺す喪失の痛みを吐き出すように深く嘆息した。


「それはそれできつい、かな。でも――」


 眠気が薄れてしまったため、起き上がって窓に近づく。

 と、網戸越しに、月明かりに照らされて昼の間よりも趣が深い庭園が闇に慣れた目に映し出される。

 これらは何一つとして自ら得たものではない。

 全て生まれによって与えられたものに過ぎない。

 傲慢に言えば、望んだ訳でもなく、そこにあったのだ。

 だと言うのに、真に望んだものを何も得られないことは何の皮肉かと思う。

 いや――。


「……どんなものでも強く掴んでいないと零れ落ちてしまうものよね」


 家柄で与えられたものを当たり前の顔をして享受するだけで、何の対価なのかを考えずにいたから、本当に大切なものを失ってしまったのかもしれない。

 元からあった地位と生まれ持つ力に胡坐をかいているだけの存在。

 それが現在この県を支配する雪村の一族の正体なのだ。

 現に今回の問題でも自ら率先して討伐に乗り出す者もいない。勿論、符号呪法の性質的な問題もあるが、それを体のいい言い訳としてしまっている。

 皆いざという時に自分自身が出ていくだけの気概を、西洋的な言い方をするならノブレス・オブリージュのような感覚を持っていないのだ。姫子自身も含めて。

 他者を利用した、どこまでも卑怯で最低な復讐の時が刻々と近づいている。

 既に日は変わっているので、血戦の日は明後日だ。


 そも、復讐に意味がないことぐらいは姫子も分かっていた。

 異常復号体と化した早坂優司を打倒できようとできまいと、死んだあの徹が戻ってこないことは納得できずとも理解している。

 だが、憎悪を強く抱いてこそ今も心を熱く保つことができ、だからこそそれ以外の選択肢に目を向けられないのだ。

 だから、この復讐が終わってしまえば、その先は定まった道を惰性で生きていくだけの人生になるだろう。

 人生何があるか分からないとは言うが、少なくとも今はそう思う。


「後、二日、か」


 何にせよ、別世界の徹との距離は一定以上に保たなければならない。

 彼はあくまでも代用品に過ぎないのだから。

 必要以上に近づいてしまえば、彼が敗北した場合、一ヶ月前に負った傷がさらなる痛みによって抉られてしまうかもしれない。

 むしろ、今更こんな益体もないことを考え出す辺り、既に弊害が出ているのかもしれないが。

 いや、まさかこの鍛錬を通してあの情けない彼が自分の好きだった徹に近づくことを期待している訳ではあるまいし、彼と親しくなったからどうだと言うのか。

 佳撫も、あの態度を見ると言動が一致していない気がするが、それでも別人だとハッキリと言っていたではないか。

 それでも遺伝子的には同じものを持っているはずなので、もしかしたら、と思ってしまう部分も確かにある。佳撫の行動もそこから来るものなのかもしれない。

 しかし、そうだとしても、一体自分はそれでどうすると言うのか。

 死んだあの徹は戻らない。それだけははっきりと理解しているはずなのに。


 どうにも思考が滅茶苦茶で矛盾しているような気がする。

 結局、何がどうなって欲しいのかもよく分からない。

 ただ一つだけ、徹を殺した存在を許さない、という感情がはっきりとし過ぎているために、それが他のあらゆる気持ちを歪めているのかもしれない。

 姫子はそんな自分自身の揺らぐ思いを分析しようとして、余計に心を乱してしまっていた。

 だから、自分の不確かな思考を遮るようにもう一度だけ大きく息を吐き、馬鹿広い庭から目を背けると布団に入った。

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