第12話

 それから何度も休憩を挟みつつ姫子と戦い、そのおかげか全く見えなかった太刀筋がほんの僅かながら見えるようになっていた。

 徹自身が戦っていれば全て直撃のはずで、そのため、もしかしたら脳が命の危機を感じ取って反射神経を多少なり強めてくれているのかもしれない。

 とは推測の域を出ない考えだったが、そう都合のいいものでもないだろう。

 どんなに些細なものであれ、成長にはある程度明確な根拠があるものだ。

 反射神経それ自体というよりも、むしろ攻撃を感知する方法が最適化された、とでも言う感じか。

 何となく、最初の時とは対象の見方が異なっている気がする。

 刀の切っ先を注視するのではなく、相手そのものを全体的にぼおっと見ている感じだ。恐らく正しい目の使い方もレオンが操って例を示してくれているのだろう。

 何か動くもの、特に高速で動くものを見る時、それ自体を視界の中心に置くよりも周辺に置いた方が認識し易い、という話を徹は聞いたことがあった。

 いわゆる色や形を処理する中心視と位置や動きを処理する周辺視が関わる話で、その周辺視を活用することで動体視力が向上するらしいのだ。

 スポーツなどでそれを利用しているという話も聞くが、それはきっとこうした戦いにも応用できるものなのだろう。


「兄様、タオルをどうぞ」


 一先ずの休憩時間。徹がこれまでの鍛錬内容の再確認を脳裏でしていると、佳撫にそう声をかけられた。

 時刻は既に夕暮れになり、道場の窓からは茜色の光が差し込んで彼女の黒髪を赤く照らしている。


「ああ、ありがとう。佳撫」


 しかし、佳撫はタオルを差し出してこない。

 不思議に思いながらも待っていると、彼女は、しゃがんで下さい、と少し不満そうに言ってきた。

 言われた通りにその場に座る。と、佳撫は嬉しそうにさらに近寄ってきて、タオルで頭や体を丁寧に拭き始めた。

 そんな彼女の行動を少々くすぐったく感じながら、しばらくされるがままになっていると姫子の咳払いが聞こえてきた。


「佳撫、そろそろ家に帰らないとおじさんが心配するんじゃないの? 確か今日もおじさん、早目に帰る日だったでしょ?」

「あ……」


 佳撫が、今思い出した、という感じの表情で手を止めて俯いてしまった。


「昨日私の家に泊まった貴方は、今日はここから学校に通った、ってことになっているんだから。このことは、おじさんには知らせないでおくんでしょ?」

「……そう、ですね」


 渋々ながら同意する佳撫は心配そうに、申し訳なさそうに徹を見上げた。


「仕方ないさ。父さんを心配させてもしょうがない」


 そんな彼女の頭を髪の流れに従って優しく撫でる。


「俺は大丈夫だから」


 そして、徹はさらさらと心地よい感触を手に感じながら、なるべく彼女に気遣いをさせないように優しく言った。


「兄様……はい」


 佳撫は少しの間目を瞑ってから、小さく頷いた。

 それから姫子に顔を向け、強い瞳で彼女を真正面から見詰める。


「姫子さん。兄様をお願いします」

「……心配性ね」


 嘆息しながら呆れたように言う姫子に軽く礼をすると、佳撫はどこか寂しそうに背中を向けて、彼女の符号呪法、空間接続を使用して道場から去っていった。

 その後には一枚の折り紙が舞い落ちる。それを扉にしたのだろう。

 基本的に帰宅のためにのみ許される符号呪法。

 そのように制限されている理由は、街中に突然現れるのは危険過ぎるためだ。

 佳撫にとっても、通行人にとっても。

 そもそも、扉に使用できる物質が必要である以上、端から全く自由に移動できる訳でもないが。

 しかし、妹の手前、強がって大丈夫などと言ってしまったが、何となく唯一の絶対的な味方がいなくなってしまったような、そんな心細さを強く感じてしまう。

 それも自分の弱さの証だろうか、と徹は自嘲しながら、首を振ってそんな弱さを振り払おうとした。


「そう言えば、俺は武器生成、特に剣生成らしくて、佳撫は空間接続みたいだけど雪村さんの符号呪法の系統は何なんだ?」


 ふと疑問に思って姫子に尋ねると、彼女はぴくりと片眉を上げ、切なそうに表情を翳らせてしまった。

 そして、ほとんど聞こえないぐらいの声量で呟く。


「……雪村さん、か」

「え?」


 よくよく思い返してみると、姫子の前で彼女の名前を呼んだのは初めてだった。

 そのため、その呼び方では何か不都合があったのだろうか、と不安を感じる。

 そんな感情が表情に出ていたのか、彼女は慌てたように首を横に振った。


「ううん。何でもない。それで私の系統だっけ? それは……雪村家がここ米沢県の県令たる由縁の力、万象の安定化よ」

「安定化?」

「そう。えっと、徹」


 呼ばれて、思わずどきりとしてしまう。

 彼女に面と向かって、この世界の徹のことを指してではなく、自分のことを名前で呼ばれたのもまた初めてだったはずだから。

 妹がいる以上はそう呼ばれても全く不思議ではないが、下の名前で呼ばれたことも心臓の高鳴りに拍車をかけていた。


「アニマのことは知っているわよね?」

「え? あ、ああ、うん、佳撫に聞いたから」


 徹のその返答に姫子は軽く首を傾げ、すぐに納得の表情を作った。

 徹の世界にアニマが存在しないことを把握したのだろう。


「貴方が聞いた通り、アニマとは人間の負の感情を鍵として自然物が復号された結果生じる存在。でも、自然物ってどこまでが自然物かしらね」

「あ……」


 徹はハッとして周囲を見回した。

 道場は木造建築で、木の温かさが壁面から感じられる。

 今の今まで考えなかったが、これは自然物の範疇ではないか。

 それどころか、基本的にありとあらゆる物質は自然物の延長と言えなくはない。

 多少手を加えようと何をしようと、現にそこにあったものであることには変わりないのだから。


「この世に存在する物質は突然異常に復号されてアニマと化す危険がある。通常自然には存在しないような、化学的な手法で人工的に作り出された物体はそうなる可能性が少しばかり低いらしいけど、周りの物質が一秒後にいきなりアニマに変じて襲いかかってくるかもしれないの」


 そうなると、昼夜問わず人々は敵の襲撃に備えなければならないではないか。

 常に戦場にあるような世界で人がよく生きてこれたものだ。

 そんな思考が顔に出ていたのか、姫子は少し満足そうに笑った。


「そこで安定化よ。自然物を先に無害な形で、つまり正当な復号以外を受けつけない状態に復号しておくことで、アニマの発生を防ぐって訳。私達の一族は総じてこの力が発現することが多いの。お父さんもそうだし」


 県令って人は大概その力を持ってるらしいわ、とつけ加えて姫子は更に続ける。


「ただ、これも時間が経つとその効力が弱まってしまうから、定期的に安定化を施す必要があるんだけどね」


 街の、治安以前の根本的な安全を維持するためにも彼女の一族の力が絶対的に必要、という訳か。

 成程、雪村家が権力を握っているのも頷ける。


「でも、それだと街を拡大するには一族の、特に安定化を使用できる人が増える必要があるんじゃないか?」

「そう。だから、その力を持つ男は例外的に一夫多妻制が認められているの。子供ができればできた分だけ街も大きくできるし、国からの補助も出るから。それだけ必要とされているって訳ね。私達の力は」


 そのような例外があることも含め、そこには、一口に男女差別と断じることはできない切実な必要性があるのだろう。

 国家間まで枠を広げて考えると、明らかにその力を持つ人の数がそのまま国際的な勢力図を左右する大きな要因だと予測できる。

 昨日のあの自然に溢れた未開の地を見た限りでは、人間の活動範囲は正に広まっている最中のようだから。


「雪村さんは――」

「私は第一夫人の娘よ? これでも次の県令候補なんだから。……一応は、ね」


 どことなく苛立ったように最後に言葉を加える姫子。

 恐らく社会的、世界的な、全く根本的な事情のために、その力を持つ男性が県令に望まれる可能性の方が高い、のかもしれない。


「別に女が県令になってはいけない、なんて法律はないけどね。お父さんだって私に継いで欲しいみたいだし。でも、他の人達の思惑もあるし、世論みたいなものもある訳よ。伝統的な部分でね」


 声色に見せた苛立ちとは裏腹に、ほとんど他人事のように言う姫子。

 世間の意識に腹が立っているだけで、そこまで県令になることに固執してはいない、という感じだ。

 その理由を尋ねてみると、彼女は小さく笑った。


「本当にどうでもよかったから。でも――」

「でも?」


 姫子は徹の問いにハッとしたように言葉を切り、自戒するように唇を噛んだ。


「……休憩は終わりよ。鍛錬を続けましょう」


 そして、彼女は徹に背を向けると、全く……同じ顔だから、とどこか悔いるように小さく呟いていた。

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