第14話
三日間この世界で過ごしたことで、徹は二つの世界間に目立った技術レベルの差は存在しないことを実感していた。
勿論、日常レベルではっきりと分かる差異がないだけなのかもしれないし、学問の細かい部分ではどうか分からないが。
総人口は元の世界の三分の一にも満たず、人間の活動領域は未だに狭い。
そのため若干科学の発展速度は鈍いが、根本的に歴史が違うため、いわゆる科学の暗黒時代がない。
加えて、符号呪法という遺伝に左右される力があるためか、科学技術は同等、遺伝学はそれ以上という感じだった。
その他、思想的には見た目通りに保守的な雰囲気が強いように感じる。
とは言え、三日では政治的な部分の奥まで見えるはずもないので、あくまでも雰囲気に過ぎないが。
その辺の世界観はともかく、鍛錬の方はと言うと、レオンによれば肉体的には既にある程度完成しているらしかった。
徹自身、ぱっと見で筋肉がついたと分かる程だ。
バランスよく鍛えられたためか、シルエット的には大きく変わっていないが、単純な肉体的な性能としては森羅の徹に近い程度になったらしい。
「兄様。逞しくなられましたね」
佳撫が二の腕を軽く揉むように触れながら、頬を赤らめて笑いかけてくる。
現在、時刻は一時半を少し過ぎたところ。
昨日は学校が終わる夕方頃に姫子の家を訪れていた佳撫だったが、今日は土曜日でどうやら森羅でも半日授業らしく、既にこの道場で鍛錬の様子を見守っていた。
『確かに、多少は徹に近づいたな。我ながら、上手く仕上げたものだ』
相変わらず代用品扱いをするレオンに、佳撫は彼が変化した腕輪を折角の笑顔を消して睨みつけた。それから小さく嘆息した。
「レオン。兄様を道具扱いするのはやめて下さい」
『代用品としてある内は、道具扱いが妥当だ。が、明日になれば解放されるのだから、少しぐらいは我慢しろ』
それ以上言うことはない、という感じで黙り込むレオン。
どうも佳撫と会話するのを避けているようだ。
昨日聞いた限りでは、佳撫は相手を過大評価している、と彼は考えているようなので、口論になれば水かけ論になると思っているのかもしれない。
「明日になれば、ですか。……兄様、すみません。結局、わたしは別の策を一つも考えつけませんでした」
思い詰めたように項垂れてしまう佳撫に、徹はその頭に手を置いた。
「佳撫は悪くない。俺も何も思いつかなかったし」
と言うよりは、ほとんど策を考える暇もなく、流されるまま鍛錬に集中していた。
それでは佳撫を責めることなどできない。
レオンの話を聞き、更には自分自身姫子の太刀筋がある程度見えるようになってきたために、このまま何とかなるのではないか、と楽観視している部分がある。
いや、もしかしたら、まだどこか他人事として捉えているのかもしれない。被害や相手の情報が全て伝聞に過ぎないために。
そうなると、佳撫のある種実感の伴ったその感覚も一理あるのかもしれない。
そんな考えが脳裏に浮かび、不安な気持ちが少し心の内に戻ってくる。
徹は、情報に流され易いな、と不確かで弱い己の意思を自嘲した。
「兄様、やっぱり逃げましょう。兄様の世界に行って――」
「佳撫。それをするとどうなるかぐらい、お前も分かっているだろ?」
必死な佳撫の嘆願を遮って、徹は静かに自分にも言い聞かせるように告げた。
いくら逃げ出したいと思っても、さすがにこの場で逃避することを選択できる程の突き抜けた臆病さ、何を犠牲にしても自分が助かりたいと思うような逆の意味での意思の強さは持っていない。
ここで逃げれば、他の誰かが優司に挑むことになり、さらには血戦の犠牲者の数だけ元の世界の何も知らない人々が殺されることになるかもしれないのだから。
「でも、わたしは、わたしは二度も兄様を失うなんて、耐えられません」
今にも泣き出しそうな表情で俯く佳撫に自然と体が動き、徹は彼女を優しく抱き締めていた。そこまで自分を想ってくれる妹にそんな顔をして欲しくなくて。
「兄様……」
「何とかなるさ。前の時は急襲されたって話だけど、今度は真正面から戦える訳だし、レオンの治癒力も効くって話だから。きっと大丈夫」
根拠は全て己の中にはなく、言葉に軽薄な響きがあることを徹は自覚していた。
それでも、佳撫はおずおずと腰に手を回してきて腕の中で、はい、と呟いた。
「お取り込み中のところ悪いんだけど――」
何となく気まずそうにかけられた言葉は姫子のもの。
佳撫はその声に徹の胸元で、ひゃう、と奇妙な悲鳴を上げて脱兎の如く離れていってしまった。
「そろそろ休憩、終わりでいい?」
そんな佳撫の反応に恥ずかしくなって、こくこくと頷く。
姫子は、逃げるように壁際まで下がって身を縮めている佳撫の、湯気でも出そうな程に真っ赤になった顔に視線を向けながら軽く溜息をついていた。
「……別人じゃ、なかったの?」
小さく、心に思ったことが口の中で思わず言葉になってしまった、という感じの呟きを口にする姫子に首を傾げる。
「何が?」
「え? う、ううん、何でもないわ」
追及するな、という心の声がありありと分かる口調で姫子は言い、既に何本目かになる刀を構えた。
レオンが、戦い続けるために破壊され得ない剣、とうそぶいた通り、強度には相当優れているらしく、容易く刀を圧し折れる程度には威力も高いようだ。
「血戦は明日。ぎりぎりまで扱いてあげるから、覚悟してよ?」
何故か妙に威圧感のある笑顔でそんなことを言う姫子に軽く恐怖を感じながら、徹はこれまで通り自身の感覚と彼女の挙動に意識を集中させた。
そして、姫子が畳を――。
『ああ、ちょっと待て』
蹴ったところでレオンが抑制し、当然彼女は急に止まれず物凄い勢いですっ転んでしまい、しかし、上手いこと前方受身を取りながら徹の脇を通り抜けていった。
「い、一体何よ?」
即座に立ち上がって体勢を立て直す辺りは、さすが、と言うべきか。
『代用品の完成度が見たい。一回、こいつ自身と戦ってみてくれ』
「……は?」
一瞬、彼の言葉の意味が分からず、徹はぽかんと口を開けてしまった。
「ちょっと待て。俺が戦うのか?」
『何を間の抜けた声を出している。この体は一応お前のものだろうが』
一応、などと言われたことが気になるが、ああ、と呆然と頷く。
「いや、でも、そんなことをして何の意味が――」
『完成度を見るためと言っただろう。俺が操った時との差がどの程度か確認する』
「成程ね。……なら、徹。いくわよ」
徹が覚悟を決める前に、姫子がどこか楽しそうに告げて刀を構える。そして、今度こそ畳を蹴って間合いを詰めて、本気の一撃を脳天目がけて放ってきた。
咄嗟に剣を振り上げて、それを防ごうとする。
イメージよりも多少遅く、どこかぎこちなかったが、それでも姫子の刀が振り抜かれることはなく、徹は何とか剣で受け止めることができていた。
「多少は、使えるようになったみたいね」
にやりと口角を吊り上げた姫子は、次にこれまでの鍛錬の焼き直しのように連撃を繰り出してきた。
「くっ」
相手の反撃を決して許さない、という意思が明確に伝わってくるひたすらな攻めの一手に、彼女の目論見通り防戦一方になる。
だが、それでも何とか剣で受けて防ぐ。
西洋的な形状であること以上に、強度が半端ではないことから、この剣はある種の盾としても使うことができるため、避けずに受ける、という選択もできるのだ。
これが通常の刀なら、基本的に回避を主体に戦わなければならない。
「どうしたの? 防ぎ方が、雑になって、きたわよ!」
「そうは言っても、な」
最初の内こそある程度は相手の攻撃に合わせることができていたが、次第に微妙なずれが生じ始める。多少の遅さよりもぎこちなさが挙動を邪魔し、レオンのイメージから遠ざけている感じだ。
相手の攻撃は慣れのおかげである程度見えてはいるのに、流れるような連続攻撃に対応が追いつかなくなってきている。
「そこ!」
そして、ついに後一歩届かなくなり、姫子の強烈な一撃が肩口に当たる寸前で止められた。
しかし、その攻撃の圧力に思わず膝を屈し、片膝立ちの状態になってしまう。
「さすがに血戦前日に怪我をさせるのは、まずいわよね」
何となく溜飲を下げたように、しかし、どことなく悲しそうに微笑んで、背を向ける姫子。
当然ながら、戦闘時間はレオンとの時より短く、大体半分の半分程度のもので、彼女はほとんど息を乱していなかった。
『スピードや反応自体は悪くない。が、どうにも動きが非効率的だな。この短期間では当然のことだが、実戦に使える程、型を己のものにできていない。正確な型のみを繰り返させれば、通常よりも遥かに上達の度合いは高いとは言え、絶対的に時間が足りないな。最低でも後一週間は必要だ』
冷静に今回の敗北を分析するように呟くレオン。
『やはり、明日は俺が四肢を操るべきだろう』
そして、彼はそう結論づけていた。
「兄様!」
そんな切羽詰まった声に、軽く放心していた徹はようやく顔を上げた。
そこへ佳撫が駆け寄ってきて隣に膝をつき、大丈夫ですか、と恐る恐るという感じで肩に触れた。
どうやら彼女の位置からは姫子の一撃が完全に命中したように見えたようだ。
「当てていないから、そんなに心配しなくてもいいわよ」
そんな佳撫に対して呆れを多分に含めた言葉を放つ姫子。
どうにも最初の頃よりも彼女の佳撫に対する態度が冷たくなっている気がする。
「そんな様子じゃ、立会人を貴方に任せる訳にはいかないわね」
「そ、そんな――」
「貴方だと必要以上に徹を心配して戦いの邪魔をしそうだもの。貴方だって、自分のせいで徹が死ぬのは嫌でしょ?」
佳撫は何も反論できないことが悔しいのか、唇を固く結んで俯いてしまった。
咄嗟にそんな彼女の肩に手を置くが、何を言えばいいのか分からない。
そも、何の話なのかも分からなかった。
「あの、さ。立会人って、何だ?」
字面通りの意味は分かるが、この場で持つ意味は分からない。
「一騎打ち、血戦の時には一人だけ立ち会えることになっているのよ。お優しいことに死体処理係として、ね」
忌々しそうに吐き捨てるようにして姫子は徹の問いに答えた。
この三日間で時折見られた、優司に対する強烈な憎悪がそこから感じ取れる。
「ともかく、今は鍛錬を続けましょ。まだ万全じゃないんだから。……佳撫は危ないから端に寄っていて」
「……はい」
力なく呟いて、項垂れたままで壁際にとぼとぼと戻っていく佳撫。
そんな彼女の背を見詰めていると姫子にきつく睨みつけられ、徹は慌てて道場の中央に戻った。僅かばかり姫子に対する反感を抱きながら。
それから何となく空気が悪いまま鍛錬は続き、最後までその雰囲気は改善されずに血戦の前日は終わってしまった。
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