第9話

 まだ微妙に緊張していたらしい佳撫も、夜が深くなる頃にはこの世界に大分慣れたようで、最初からほとんどなかった距離がさらに縮まっているように徹には感じられた。精神的な意味でも、物理的な意味でも。

 テーブルとソファーの間の床、絨毯の上に座る徹の隣、肩が触れ合う位置で正座している佳撫は袴ではなく里佳のパジャマを着ていた。

 まだ妹という認識が浸透し切っていないためか、彼女のそんな無防備な姿はどうにも意識させられる。


「できました」

「へえ、上手いもんね」


 テーブルを挟んで反対側に座る里佳が佳撫の手元に視線を向け、目を丸くする。

 佳撫の掌には彼女の趣味だという折り紙の作品が乗せられ、テーブルの上にもいくつか作品が置かれていた。

 里佳が入浴している間に、なるべく余裕ある姿を見せようと話し合い、佳撫がその一環として趣味を披露してくれているのだ。

 折り紙は持ち運びしやすいため彼女の符号呪法の扉として使っているそうで、常に持ち歩いているらしい。そして、暇な時に折ったりしている内にその魅力にはまり込み、いつの間にか趣味になっていたのだとか。


「これは八咫烏ですね。これが龍で、こっちは伝説上の生物の方の麒麟です。そして今折ったのは一応鳳凰です。とは言っても、かなり簡易の折り方をしたので、どれも立体感がないと思いますけど」

「いや、十分凄いと思うぞ。俺なんか折れるとしても兜とか手裏剣とか、後は精々鶴ぐらいだし。これだけのものを何も見ずに折れるのは本当に凄い」


 それらは佳撫の言う通り、確かに平面的だったが、実に綺麗に折られていた。

 素人が頑張って、という感じではなく、慣れているのが窺える。


「趣味、ですから。本当なら、家にある自信作を見て欲しかったです」


 佳撫は褒められることがくすぐったいのか小さくはにかんだ。


「でも、よく一枚の紙でここまでできるもんだと思うわ。切ったり貼りつけたりもしてないのに」


 麒麟を手に取って引っ繰り返したりしながら、しみじみと里佳が呟く。


「複数枚使ったり、切り込みを入れたりするのもいいんですけど、そうせずに一枚で表現する方が私は好きなんです。正方形の同じ紙が折り方によって千差万別の姿を示す。それがとても面白くて。同じ折り方をしているはずなのに、その日の気分によってできあがった作品の表情も微妙に変わったりしますし」


 折り紙に触れたことがある人なら、佳撫の言葉には同意できるだろう。

 しかし、やはりこれぐらい多彩なものを作れるようになるには、器用さ、繊細さだけでなく相当の根気が必要になるに違いない。


「それに、何となく折り紙は人間のあり方に通じるものがある気がするんです。同じ人間でも折り方、つまり生き方次第で異なる人生を描く。そんなところが」

「……成程。深いな」

「私は浅い人間ですけど、折り紙そのものは深いと思いますよ?」


 微妙に恥ずかしそうに佳撫は言った。しかし、自分の好きなものを褒められて嬉しいのか表情には喜びがはっきりと見て取れた。


「それに、丁寧に折れば、誰でもある程度のものはできますからね」

「じゃあ、教えてくれるか?」

「勿論です!」


 それから佳撫に簡単な作品の折り方を教わりながら、三人和気藹々と家族としての時間を過ごすことができた。

 誤魔化しのような形で始めたことだが、やってよかった、と徹は妹と母親の柔らかな表情を見て思った。

 しかし、楽しい時間は足早に過ぎ、やがて就寝の時間となる。


「さて、明日のこともあるし、そろそろ寝ようか」

「あ、はい。そうですね。……えっと、これ、どうしましょうか」


 目の前にずらりと並ぶ折り紙の作品に視線を向けながら、微妙に首を傾げる佳撫。


「後で飾っておくから、このままにしておいて」


 それらに優しい目を向ける里佳の言葉に、分かりました、と佳撫が頷く。

 里佳は、本当ならあり得ない娘との思い出の品として持っておきたいのだろう。


「で、佳撫の寝るところだけど――」


 客間の方向に顔を向けながら言う里佳。そこに布団を引けばいいか、とでも考えているのだろう。

 丁度和室なので、森羅育ちの佳撫には丁度いいかもしれない。


「あ、あの、できれば、兄様と一緒に」

「……はい?」


 しかし、佳撫が恥ずかしげに頬を赤らめながら、そんなことを呟いたせいで一瞬場が凍りついてしまった。


「その、一人は少し怖いので」


 確かに初めて訪れた異世界で、一人で寝るのは嫌だろう。嫌だろうけれども、さすがに彼女と一緒に寝るというのは徹の選択肢にはなかった。

 兄妹ならば一応問題ないのかもしれないが、何となくまずい気がする。

 やはりまだ会って一日。頭では妹だと理解していても、佳撫が素朴で可愛らしい女の子であるという認識が微妙に残っているせいだろう。


「え……っと、佳撫。もしかして、あっちの徹は貴方と一緒に寝ていたの?」

「それは、その、たまに、ですけど」

「そ、そう」


 どこか複雑そうな表情を浮かべる里佳。

 そのまま視線を向けられ、徹は何だか自分でも判断のつかない妙な感覚を抱いてしまった。変に恥ずかしいような、気まずいような。

 別に自分が何をしたという訳でもないはずなのだが。


「まあ……今回は、やめておきなさい」

「でも――」

「今日はあたしと一緒に寝ること。いい?」


 恐らく佳撫は彼女自身が言った理由に加え、明日からの話をするために一緒に寝たいなどと言ったのだろう。

 が、徹としては変に意識して眠れなくなりそうなので、正直里佳の提案には心の中で安堵していた。


「それとも、あたしと一緒は嫌?」

「そ、そんなこと、ありません。とっても嬉しいです」


 ほんの少しだけ残念そうな、しかし、それ以上に言葉通りの喜びが感じられる口調で佳撫は言う。そんな彼女の様子に里佳は微かに苦笑しながら頷いていた。

 そうして佳撫は里佳と一緒に寝ることが決まり、家族三人で過ごした初めての夜は過ぎていった。

 四日後に待つ血戦の結果如何では、もしかしたら最初で最後になってしまうかもしれない平穏な時間が。

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