第4話
「と、おる?」
彼女は徹達に気づくとそう呆然としたように呟き、風に吹かれるままに長い黒髪を揺らしながら少しずつ近づいてきた。
まるでようやく想い人に会うことができたかのようにその瞳を潤ませつつ、しかし、それだけではない様々な感情が複雑に入り混じったような表情。
そんな彼女の雰囲気から徹は、この世界では既に死んでいるという自分は彼女と非常に親しくしていたのだろう、と簡単に予測できた。
できたからこそ、何となく後ろめたくて彼女から視線を外す。
「佳撫。成功したのね?」
「は、はい。その、一応は。レオンを扱うこともできたので……」
曖昧に言葉を濁す佳撫に、姫子の視線が徹の右手の腕輪に向けられる。
『扱うことができた、と言うよりは、俺に扱われることができた、とでも言った方が正確だろうがな。外見もどこか頼りない上に、中身は全くの腑抜け。遺伝子的に同一人物というだけのことだ。所詮は代用品に過ぎない』
「……そう。県令の娘としては、最低限レオンの力をある程度でも引き出せる存在を確保できただけ喜ぶべき、なのかしらね」
言葉とは裏腹に、酷く落ち込んだように俯く姫子。その様子は徹の知るいつも自信に満ち溢れている元の世界の彼女とは程遠い。
恐らく彼女は佳撫よりも遥かに強く、この世界の徹そのものとの再会を望んでいたのだろう。単なる代用品を求めていた訳ではないのだ。
身勝手な気もするが、彼女の立場ではそれも当然のことかもしれない。
事実として、彼女達が自分を通して見ているだろうこの世界の徹とやらは、明らかに自分とはかけ離れた傑物らしいのだから。
徹は心の中でそう自虐気味に考えた。
世界が違えば、同一人物でも性質は大きく異なるのだろう。
そして、それに影響されてその関係も変わってくるのだ。
しかし、そのように考えると一つ疑問が生じてくるが、今は考えても仕方がない。
「ともかく、無事で何よりね。さすがの私も扉が消えた時はちょっと焦ったわ。一応予測していたこととは言え、ね」
落胆を押し殺すようにして、姫子は佳撫に力ない苦笑を見せた。
そんな彼女の弱々しい姿に、徹は自分が悪い訳ではないはずなのだが、罪悪感を募らせていた。
しかし、そんな徹とは対照的に、隣の佳撫は無表情に見えて、僅かに怒りのような感情をその瞳に潜ませていた。
「それでこれからのことだけど、彼は私の家で――」
「あ、あの!」
姫子の言葉を佳撫の大きな声が遮る。珍しいことなのか、姫子は軽く驚いていた。
「その、まだ兄様のご家族に説明をしていないので、今日のところは一旦戻らせて頂けませんか? 兄様にも落ち着いて詳しい説明をしておきたいですし」
「……なるべくなら、早目に鍛錬に入りたいところなんだけど」
困ったように腕を組みながら、姫子は眉間にしわを寄せた。
「お願いします!」
深々と頭を下げる佳撫に姫子は一つ息を吐いて口を開いた。
「まあ……仕方がない、か。こんなことでモチベーションが落ちても仕方がないし、ただ時間があればいいって訳でもないし」
「ありがとうございます、姫子さん」
佳撫はホッとしたように一旦顔を上げてから、そう言いながら姫子にもう一度礼をした。
「でも、遅くても明日のこの時間までには必ず戻ること。学校は誤魔化せても、おじさんは何日も誤魔化せないんだから。それと血戦は四日後だってことは忘れないでよ?」
その言葉に、はい、と不満の色を僅かに見せながら頷く佳撫に姫子は小さく嘆息し、それから徹を一瞥した。
そして、何かを確認するように右腕の腕輪を少しの間睨むように厳しく見詰めてから、彼女は屋敷の中へと入っていった。
「……佳撫。雪村さんがおじさんって言ってたのは、もしかして――」
「はい。父様です」
「そう、か。この世界では父さんは生きてるんだな」
しかし、その事実を知っても、言葉だけではどうにも実感は湧かなかった。
七年前に亡くなってしまった父親。
当然会ってみたい気持ちも大きいが、何となく会い辛くもある。
七年もの月日が経っているせいか、徹は父親に対する気持ちを自分でも把握し切れずにいた。
もしかしたら、佳撫も似た気持ちを抱いていたのかもしれない。
共に過ごした記憶のない母親に対する感情とは単純には比較できないだろうが。
「会って話をしたいこともあると思いますけど、今回の件は、その、父様には内緒で行われたなんです。ですから――」
「俺は別の機会で構わないよ」
今はまだ、別世界の父親に会ったところで一体何を話せばいいのかも分からない。
正直なところを言えば、徹は佳撫の言葉に安堵していた。
「すみません、兄様。……では、一旦戻りましょう」
本当に申し訳なさそうに言ってから、雪村家の敷地に自然な動作で入る佳撫。
「ああ。……って、ちょっと待て」
そんな彼女をいつの間にか再度繋がれていた左手で引き止める。佳撫は、どうして止められたのか分からない、という感じで不思議そうに小首を傾げた。
「いや、勝手に入っていいのか?」
「あ、はい。姫子さんに許可を貰っていますから。ここで扉を繋げ直すので」
佳撫と姫子の会話から察するに、このことは半ば私的に、秘密裏に行われていることなのだろう。
となれば、そこらでおいそれと世界を繋ぐ訳にもいかないし、そも往来の真中でそんなことはできないか。
そう考えて納得し、分かった、と佳撫に頷くと、彼女は徹の手を再び僅かな力で引いて敷地内へと歩き出した。今度はそれに従う。
雪村家の庭は非常に見栄えがよく、日本庭園的な様相を呈していた。
大きな池には橋がかけられ、その上からは金色の馬鹿でかい錦鯉が泳いでいる姿がよく見える。
他にも随分と形がいいと素人目にも分かる松が植えられているなど、いかにもな感じだ。屋敷の立派さと雰囲気に見合った庭だと言える。
その中央で立ち止まった佳撫は、徹を見上げると再び口を開いた。
「では、兄様。戻りましょう」
その言葉を合図に再び佳撫の瞳が不思議な緑色に染まる。
それとほぼ同時に、二人の頭上に光り輝く扉が出現し、己という存在が世界から急激に隔絶させられた。
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