一 並行世界の妹

第3話

「兄様にそんな酷い言い方をしないで下さい!」


 真偽はともかくその衝撃的な内容に徹が一瞬自失して立ち尽くしていると、佳撫が本気で怒っている風に叫んだ。

 しかし、レオンは、言っていることに間違いはない、と簡潔に返すとそれきり口を噤んでしまった。

 そんな二人のやり取りを黙ったまま他人事のように眺めながら、徹は二人が発した言葉を反芻していた。特に佳撫の言葉を。

 それは確かに過去の事実と符合している部分があった。

 十三年と少し前に徹の母親は死産しており、もし無事に生まれていれば、その子は妹となるはずだった。

 その時の状況はほとんど記憶に残っていないが、それでも悲しみの感情だけは何となく覚えている。


「妹、か……」


 その一致は新たな疑問を呼び、その答えを求める気持ちは思考を僅かに冷静な状態に戻してくれる。

 それでも尚混乱は深いが、徹はとにかく現状を把握するために、佳撫から話を聞き出すことにした。


「えっと、君――」

「君、なんて他人行儀な呼び方をしないで、わたしのことは佳撫と呼んで下さい。わたしは兄様の妹なんですから」

「あ、ああ、ごめん。えっと、佳撫」


 佳撫に切なそうな瞳で見詰められ、少し躊躇いながらも言い直す。と、彼女は嬉しそうに、しかし、だからこそ申し訳ないとでも言うように儚く微笑んだ。

 その表情からは佳撫の心の奥にある辛さが見て取れ、徹は胸をかき毟られるような感覚に襲われた。

 彼女が何を気に病んでいるのか分からないが、そんな顔をさせたくない。

 とは言え、そのためにも今優先すべきは状況の把握だ。


「佳撫はさっき、俺の世界では生まれることができなかった妹だ、って言ってたけど、そんなことをどこで知ったんだ?」

「それは、そうでなくては二つの世界を繋ぐことができないからです」

「そうでなければ、できない?」

「ええと、その……あっ」


 どう説明すべきか思案し、その内容を整理しようとしてか考え込むような素振りを見せた佳撫だったが、何かを思い出したように一旦言葉を止めた。


「その、説明は後程しますから、その前にまず街に入りましょう。ここはまだアニマが発生する可能性がありますから」


 佳撫はそう言うと、徹の手を引いて城壁へと一歩だけ近づいてから振り返り、了解を取るように見詰めてきた。

 聞きたいことは山程あるが、この場にまだ危険が残っているのであれば、そうも言っていられない。あんなものにまた襲われるのは正直勘弁して貰いたい。

 そう考え、徹は彼女に従うことにした。

 その前に、別段大したことではないが確認しておきたいことがあったため、佳撫の隣に並びながら口を開く。


「一つだけ、先に聞きたいことがあるんだけど……」

「何ですか?」

「佳撫は、今年で何歳になる?」

「十三歳です、けど……あの、兄様? それがどうかしましたか?」


 佳撫はその場に立ち止まって質問の意図が分からない、という感じで不安そうに見上げてきたが、その瞳には嘘偽りは一片たりとも見て取れなかった。

 少なくとも、彼女の中では一連の話は紛うことなき真実なのは間違いない。


「いや、ちょっと聞いてみただけだよ」


 だから、徹は自然と佳撫に笑顔を向けていた。

 彼女の言動からは自分への思慕が曇りなく感じられる。

 正直、そんな風に想われて悪い気がするはずもない。

 そのおかげなのか既に感情的な部分では、当然戸惑いも大きかったが、彼女を妹として認め始めている部分もあった。

 初対面にもかかわらず、自分でも驚く程彼女を信用してしまっているのを自覚できる。あるいは、身体的にも血の繋がりをどこかで感じ取っているのかもしれない。

 佳撫は一瞬だけきょとんとしたように小首を傾げていた。

 が、やがてそんな徹の内面での変化を感じ取ったのか嬉しげな、しかし、やはりどこかで引け目を感じているような翳りのある微笑を返した。


「では、行きましょう、兄様」


 そして、徹の手を引いて歩き出す佳撫。

 そんな彼女と並んで城壁の門を潜っていく。

 その際、和洋折衷な雰囲気の不思議な制服を着た門番らしき男に止められ、何か面倒な手続きが必要なのではないか、と軽く焦ったが、佳撫が手形らしき木の板を提示しただけで問題なく通ることができた。

 ただ、終始その奇抜な格好の門番が、まるで幽霊でも見るような、驚愕とも恐れともつかない視線を向けてきていたことだけは気になった。


「ここがわたし達の街、米沢県ですよ」

「米沢、県? ……米沢、ね」


 時間帯は夕方ながら、七月初めのこの季節ではまだまだ日は落ちない。

 その空を漂う雲や太陽の輝きは見慣れたものと何ら変わらなかった。

 が、アニマへの備えらしい城壁とどこかノスタルジックな雰囲気を醸し出す街並みを見ていると、ここが別の世界だと容赦なく突きつけられているようにも思える。

 とは言っても、徹は既に意識を取り戻して早々の体験を根拠に、ここが異世界であることをほぼ認めていたが。


 人々の服装も建物も全体的に和の雰囲気が強い。

 しかし、普通に車も走っているし、電線も縦横無尽に張り巡らされている。

 見た限り、大正時代の街並み、生活様式のまま科学が発展した感じか。

 そんな中では、徹のワイシャツに紺色のスラックスという高校の夏服スタイルは非常に目立っていた。

 そのためか、妙に人目を引いてしまっているようで居心地が悪い。

 一部、服装に関しての物珍しそうな目ではなく、門番と同様の視線を向けてくる者がいるのは、やはりこの世界の徹が既に死んでいるからなのだろう。

 その視線に、徹は自分の存在が余りにも場違いであるような気持ちを抱いてしまい、どうにも居心地が悪かった。


「なあ、佳撫」

「何ですか?」

「どうして俺がここに連れてこられたのかも、佳撫がどうしたいのかも全然分からないけど……俺は元の世界に戻れるんだよな?」


 徹が立ち止まってそう尋ねると、佳撫は途端に表情を曇らせて俯いてしまった。


「それは……」

「無理、なのか?」

「い、いえ、行き来自体には全く問題ありません。今すぐ兄様の世界に戻ることも可能ではあります。ただ、世界と世界を繋げるということは簡単な話ではありませんから、ある人の許可が必要なんです」


 それは当然の話だろう。

 好き勝手に異なる世界を繋いでしまえば、両方の世界に混乱が生じるのは容易に予想できる。その文明の差、文化の違いなどによって。

 それでも尚なさねばならぬ事情があるのなら、限りなく小規模で行うべきだ。


 何にせよ、そこまで難しい条件ではなさそうなので一先ず安心する。

 いわゆる異世界ものと呼ばれる物語では、大概元の世界に戻る方法が困難だったり、そのためには何か代償が必要だったり、そもそも二度と戻れなかったりするものが多いので心配していたが。

 いや、もしかしたら、逆に条件が簡単な方が日常の全てを非日常に侵食される可能性があると言えるのかもしれない。


「母さんが帰ってくるまでに帰れるといいんだけどな」


 ポツリと呟いただけの言葉だったが、佳撫はハッとしたように顔を上げた。


「そう、でした。兄様の世界では、母様がご健在のはずでしたね」

「俺の世界、では?」

「はい。森羅では、母様はわたしを生んだせいで……」


 佳撫はそう言うと手を握る力を強め、辛そうに目を伏せてしまった。

 その様子から、彼女がそのことで自分を責めていることがよく分かる。

 別の世界では生死が逆転している事実を知っているのであれば尚更だろう。

 そんな彼女の姿に、自分の知る母親もまた同種の悲しみを抱いていたことを思い出しながらも、しかし、徹には彼女に対してかけるべき言葉を見つられなかった。

 だから、せめてその手を強く握り返す。


「兄様……ありがとう、ございます」


 それだけでも佳撫にとっては幾らかの慰めになったようで、彼女はスンと鼻を軽くすすると左手で少し涙が溜まった目を擦った。

 そして、何かを決意したように顔を上げる。


「佳撫?」

「報告のために、これからその許可を出して下さる方に会いに行くんですが、絶対に、できるだけ早く許可を頂けるようにしますから」


 佳撫はそう言いながら、その意思を伝えようとするように真っ直ぐに見詰めてきた。そんな彼女に頷いてから再び一緒に歩き出す。


「それで、その人はどんな人なんだ?」

「この県の統治者の娘さんです。先程の手形もその方から頂いたものなんです」


 佳撫は懐からその手形を取り出すと、何故か申し訳なさそうに俯いた。


「実はその方の家の庭で扉を繋げたんですけど、行きと帰りで人数が違ったせいで位置がずれてしまったんです。一応そうなる可能性も予測できていたので、手形を頂いておいたんですけど、さすがにあれだけの数のアニマに襲われたのは想定外でした。危険な目に遭わせてしまって本当にすみません」

「いや、それは佳撫のせいじゃないんだろ? なら、まあ、仕方ないさ。……ん?」


 眼前に差し出された手形には、通行許可の旨と米沢県令雪村龍之介という文字が記されていた。

 その名前に覚えがあって、徹は驚きと共に見間違えではないかと目を凝らした。

 雪村龍之介と言えば、徹が通う高校、私立星律学院高等学校の母体である学校法人星律学院の理事長の名前だ。そして、彼にも娘がいた。

 彼女が覚えているかは分からないが、徹は昔彼女と何度か話したこともあった。

 星律学院大学で考古学の準教授をしていた父親に連れられて理事長の家を訪れた時、つまり七年以上前に、だが。


「まさか、その人って――」

「ここ、です」


 佳撫に連れられて辿り着いた場所。そこには広大な敷地に建てられた純和風の立派な屋敷があった。

 一般的な家、と言うよりは城とでも言った方が相応しい程の外観だ。

 見た目はシンプルながら頑強そうな門にかかった表札には、重々しい文字で雪村と書かれている。手形にあった雪村龍之介の家なのだろう。

 そして、その入口に彼女の姿があった。

 容姿端麗、文武両道。即ち才色兼備。星律学院高校の生徒会副会長にして、次期生徒会長を確実視されている理事長の娘。

 外見、能力、バックグラウンドと三拍子揃った完璧超人を地で行き、高根の花とはこういう人を言うのだろうと思うようなその人の名は――。


「姫子、さん」


 正に思い描こうとしたその名を佳撫が口にし、やはりそうか、と納得する。

 佳撫と同様に大正時代の女学生風の袴で身を包んだ彼女。腰の辺りまでと長く美しい黒髪は、星律学院高校の制服よりも袴姿の方がよく映えている気がする。

 間違いなく、七年以上前に対面して以来、遠くから眺めるぐらいしかなかった雪村姫子その人だった。

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