第23話

『どうする? 仇が目の前で嗤っているぞ?』


 胸の奥に湧き起こっていた黒い炎は、しかし、彼の冷たい言葉によって完全に機先を制せられ、行き場を見失ってしまった。


「か、戒厳……」

『仇討ちを望むなら、俺と同じ悪だ。悪は何に討たれようとも文句を言う資格はない』


 剣の柄に手をかけ、戒厳が純然たる殺意を向けてくる。

 アエルの選択によっては、彼は本気で今この場で斬りかかってくることだろう。

 そんな彼を前に無意識に恐怖が生じ、憤怒一色で染まりかけた思考が冷や水を浴びせられたように完全に沈静する。

 そして、思い出す。彼に叩いた大口を。


「私は……」


 ギリッと歯を噛み締める。

 理性でそれが正しいと分かっていても尚、心が邪魔をする。


「私は――」


 それでもアエルは絞り出すように告げてやった。


「私はアイツを殺さない。捕らえて、然るべき法の裁きを受けて貰う」

『成程。法治国家としては、正しいな。だが――』


 戒厳は少し満足そうに告げて、それから試すように尋ねてきた。


『これからレクトゥスを出ると言ったお前が、奴を裁きの場に立たせることができるのか? よしんばできたとして、お前と奴、どちらの言い分を信じる?』

「それは――」

『フォルテの妻を味方の理術師が殺した。一連の犯人である亜人がフォルテ夫婦を惨殺した。レクトゥスの人間なら後者を真実とするだろうな。そして、レクトゥスの人間が望む流れに反した証言をすれば、お前は両親を殺されて頭がおかしくなった娘として扱われるだろう。奴は正当に裁かれない可能性の方が高い』

「な、なら、アシハラに連れて行って裁きを受けさせればいいわ!」

『まあ、それが妥当なところかもしれないが……』


 一瞬間を作ってから戒厳は重い声色で続けた。


『悪いが、俺はアシハラも完全には信用していない。判決が死刑になるのは間違いないだろうが、秘密裏に人体実験に使用される可能性があると聞く。その挙句、生き残って目の前に立ち塞がる、なんてこともあり得そうだ。奴の腐った性格はそれぐらいでは治らないだろうしな』

「けど――」


 アエルが反論するより早く戒厳は一層冷たく低く告げた。


『だから、俺は奴を殺す。奴は俺が殺すべき相手を奪った。その報いは受けて貰わなければならない。何より、あれは唾棄すべき敵だ。故郷にとっても、俺自身にとってもな』

「そ、そんなことは、させない!」

『なら、俺より先に奴を無効化させて見せろ。そうすれば、殺さずにおいてやる』

「……約束よ?」

『無効化できれば、な』


 戒厳はそうとだけ告げると何かを放り投げてきて、それからアエルに背を向けた。

 その何かはアエルが持ってきていた杖だった。

 いつの間にか回収していたらしい。


『不活性化結界は解除する。精々死なないように挑め、アエル』


 次の瞬間、世界が存在感を取り戻す。

 しかし、歩き出した戒厳だけは宙に浮かんでいるかの如く、曖昧にしか捉えられないままだった。

 恐らくそれは、戒厳だけはまだ結界の影響下にある証なのだろう。


(私達は五感だけじゃなく、思念波も使って世界を認識してるってことね。それは当然か。相手の思念波を観測して位置を特定したりするし。……って、ん?)


 そこまで考えて気づく。

 三ヶ所から同時に発せられている、カリダの敵意と悪意に満ち満ちた思念波に。


(……それって、つまり――)

『やはりお嬢さんは生きておられましたか』

(わ、私だけ居場所を把握されてるじゃない! 恨むわよ、戒厳)


 そう思いつつ戒厳を睨もうとするが、既に彼はその場から姿を消していた。


(か、完全に私を囮に使う気ね。……ふん、いいわ。その前に倒してやるんだから)


 少し釈然としない気持ちを抱きながら、空から落ちてくる声に警戒を向ける。


『さあ、亜人共々焼き尽くして、ご両親の元へと送って差し上げましょう。そして私はフォルテなどとは比べものにならない権力の高みへと向かうのです』


 相変わらずの演技がかった声に対して、苛立ちと共にアエルは口を開いた。

 結界が解除された今、アエルの声もカリダに届く。


『貴方は一々面倒臭いのよ! 喋り方も、何もかもが! この負け犬ナルシスト!』


 色々と鬱憤が溜まりに溜まっていたせいで少々口汚くなる。

 両親が聞いたら卒倒しそうだが、二人がいない今その程度には強くならなければならないのだ、と内心で言い訳しておく。


『な、に?』

『貴方なんか姉さんに振られて当然ね。性格がまず大嫌いだろうし、そもそも姉さん、自分よりも弱い人なんか相手にしないし』

『こ、この出来損ないの娘が!』


 結界内では感じられなかった敵性の思念波が敵の攻撃の形を直感させ、だからアエルはそれに対抗するために理術を発動させた。

 次の瞬間、視界を光が覆う。

 音もない、ただただ暴力的なだけの光。母親を消炭にした、光が。しかし――。


(悪いけど、慣れてるのよ。その理術には)


 先のように予兆に気づけなかった、という訳でもない限り。

 対処は不可能ではない。


『ば、馬鹿な』


 カリダの呆然とした声が伝わってくる。その気持ちは分からなくもない。

 真っ直ぐ照射されたはずの光が、アエルの数メートル手前で突然何かに弾かれたように曲線を描いていたのだから。


『光が、曲がる? じゅ、重力を操作したとでも!?』

「残念、外れよ」


 カリダに伝わらないように理術を用いずに呟く。


(正解は屈折。……そもそも、重力制御なんて精々空を飛ぶぐらいでしか使えないし。しかも、無駄に疲れるのよね、あれ。と言うか、その程度の干渉しかできないのに、光をこんな急激に曲げられる訳ないじゃないの)


 恐らく人間の手ではレグナを用いても不可能。

 故に、光を捻じ曲げるために人間ができるのは精々、局所的に空気の密度や性質を変化させて屈折させる程度のことだ。

 しかし、それでも場に対して区切らずに干渉するのはレグナがあっても酷だ。

 相手の攻撃の角度と自分の位置関係は刻々と変化する訳で、その辺りの計算をしなければならないのも難易度が高い。

 そもそも、レクトゥスは理術で高出力のレーザーを放ってくるなど想定していない訳で、アエルのように父親や姉に対するコンプレックスで対策を立てるような真似でもしない限りはこんな理術を選択肢に入れたりはしない。


(それでも蜃気楼とか陽炎とかで身近な現象なんだし、気づいてもいいと思うけど)

『こんな小娘が、それ程の理術を――』

(勝手に相手を過大に見て恐れるなんて、亜人の正体を知らなかった私みたいで少し憐れね。ま、ここは利用させて貰うけど)

『貴方程度が権力の高みに? それこそ父さんや他の優秀な理術師達に失礼よ。貴方なんか、少しばかり権謀術数に長けてても、理術の才能は私如き出来損ないにすら及ばないんだから。そして、才能が決定的な差となるのがレクトゥスのあり方』


 そう見下すように告げてやり、アエルは杖を構えた。


『悪いけど、こんな程度は私でも朝飯前よ』


 そして、カリダと同じように、しかし、彼のものとは桁違いの威力を込めた光を空気の壁より先から放った。


『糞餓鬼があっ!』

『呆れる程に小物ね。よっぽど上手く父さんに取り入ったってことかしら。感心するわ』


 空に向けて幾筋もの光の線を描く。カリダの思念波を感じる辺りへと向けて。

 ただし照準は三ヶ所の気配から多少外している。


(威勢よく言ったはいいけど、敵の位置が特定できないと意味がないわ。こんなにも大雑把じゃ下手をすると間違って殺しちゃう)


 牽制のためにテンポを変えつつ光を放ち続ける。

 対するカリダもまた変則的に三方向から光を放ってくる。


「あ、くっ」


 さすがに三方向から同時に狙われると屈折の計算による負担が増し、精神的にきつい。このままではジリ貧だ。

 散々挑発したが、戦闘を続けていくと不利なのはアエルの方だろう。


(有線。確かに面倒ね……有線?)


 アエルはハッとして三点を順に見た。


(ある程度の位置は分かる。なら――っ!)


 杖を高く掲げ、真上に向けて光を放つ。その巨大さはカリダの比ではない。


『く、くく、未熟な。そこに私はいないぞ!』


 虚勢を張るように嗤う彼を無視し、そのまま杖を振り下ろす。


『間を、断ち切るっ!』


 瞬間、光は線を描いたままアエルの動きに追従し、三点ある内の二点の間を光の柱が通り抜けた。そのまま返す刃で他の二点の間を光の線で切り裂く。


『なっ!?』


 それとほぼ同時に二つの思念波の気配が消え去り、一つが残った。


『こ、こんな――』

『こんな無駄な理術の使い方、かしら?』


 光を照射し続けることは本来、非合理的な理術の運用とされる。

 単純にレグナの消費が大きくなる上、直線的な光を辿って位置が敵に把握されかねないからだ。そのため、最小限の照射時間に留めるのが通常なのだ。


『残念だけど王道は才能ある者の道よ。私達みたいに才能の乏しい弱者は工夫して工夫して、相手の虚をつかないとね』


 光を放つ理術は言わば大砲。それがステレオタイプなイメージ。

 しかし、アエルにとってのそれは無限に近い間合いを持つ剣だった。


『さあ、観念しなさい。もう、居場所は丸分かりよ!』


 そう高らかに宣言し、剣の切っ先を突きつけるように杖の先端を未だ空にいるカリダへと向ける。


『くっ、まだだ。まだ私は終わっていない!』


 一本に収束させた光がアエルを襲い、しかし、空気の壁によって歪曲されたそれは空の彼方へと消えていく。


『この、いい加減に――』


 無意味な悪足掻きに僅かな苛立ちを覚え、カリダの気配がある方向を睨みつける。

 彼には気づけるはずがなくとも、足掻けば足掻く程、彼は死に近づくのだ。

 そのことでアエルが焦るのは不条理に他ならない。

 それでも、もう一度戒厳に勝利するために、空を駆け上がって彼を制圧するために理術を行使しようとする。しかし――。


『残念だが、タイムオーバーだ』


 無情な言葉がその場に降り注いだ。

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