第21話

『俺がその気なら今、お前は死んでいたぞ? アエル』

「っ!」


 戒厳の言葉にハッとしてアエルは一歩後退りした。

 そして、その鋭い刃が纏う、恐ろしい程の死の気配に冷や汗をかく。


『だが、友人としての情けだ。一度だけチャンスをやろう』

「な、何が、情けよ。ふざけないで!」


 その侮りの言葉に怒りを抱き、仇への憎しみを力に鼻先に突きつけられた死への恐怖を振り払って一歩前に出る。

 そんなアエルの気勢を削ぐかのように、戒厳はもう一振りの剣を抜き放ち、それをアエルの目の前に放り投げた。

 重力に引かれ、地面に突き刺さったそれを前に足を止められてしまう。


『武器を貸してやる。精々抗って死ね、アエル』

「なっ――」


 その言い草に怒りを覚えて奥歯を噛み締める。

 しかし、同じだけ悲しさもアエルの胸の内には渦巻いていた。

 友達と思っていた人に殺意を向けられる状況が、ただただ辛い。

 その全ての感情を憎しみに転化し、アエルは僅かな湾曲を持つ片刃の剣を引き抜いて戒厳に向かった。一粒だけ涙を零しながら。


「死ぬのは……貴方よ!」


 叫びつつ、両手で構えた剣を戒厳に叩きつける。彼は難なくアエルの一撃を受け止めたが、その動きでアエルは戒厳の剣の実力を理解した。

 半端に型をかじったような粗い剣。無駄を多分に含んだ所作。

 明らかに素人に毛が生えた程度の技巧しかない。


「レクトゥスの人間は剣が使えないとでも思った!?」


 実際のところは剣術を嗜む理術師は皆無で、そう思ったとて無理はない。

 そもそも理術で勝負をつけられず、そのような状態に追い込まれることを恥とするのがレクトゥスという国だ。

 アエルの姉、イリスのように強さに貪欲かつ奇特な者や、アエルのように才能に乏しいと思い込み、工夫を常とする者でもなければ手を出したりはしない。

 しかし、だからこそ――。


「貴方を侮って死んでいった理術師のように、貴方も私を侮って死ぬのよ!」


 そう強く言って連撃を繰り出す。が、その悉くを受け止められてしまう。

 それは決して戒厳の技術が優れていたからではない。


『確かに技は大したものなのだろう。だが――』


 上段から何の技巧もない力任せの斬撃が繰り出され、アエルはそれに斜めに刃を当てて何とか受け流した。

 もし真っ向からぶつかり合っていたら、確実に押し潰されていただろう。

 上手く逸らしたはずが、腕に痛い程の痺れが残っている。


『まず力が違う』


 いなされたはずの戒厳が無理矢理に体勢を立て直し、返しの刃を放つ。

 それは歪な構えからの一撃だったにもかかわらず、鋭くアエルの首へと迫った。


『スピードが違う』

「くっ、この!」


 アエルは後退しつつ下から戒厳の一撃を上に弾いた。

 それと共に大きく間合いを取って仕切り直す。

 技を以って何とか拮抗状態に持ち込んでいるが、戒厳の言う通り、確かに力もスピードも圧倒的に劣っていた。


(それに、リーチも違う、か)


 とは言え、剣の違いによる差は余り大きくない。

 少なくともアエルには短くとも軽いこの剣の方が適していたし、スピードもある彼の一撃は長く重い剣では確実に防げなかっただろうから。

 そう分析しつつ、今度はアエルが技巧を以って攻めに入る。


『むっ!?』


 彼の非効率な剣技。その隙を狙うと共にフェイントを混ぜ込んで、相手の攻防の選択肢を奪っていく。

 反撃の間も与えないように動きを封じ込めるように攻め続ける。

 そうして徐々に戒厳を追い詰めていく。

 父親を殺した仇への強固な憎悪を原動力として。しかし――。


(どうして)


 一撃一撃繰り出す度に、攻撃を放ったその手に反動を受けて、心の内の憎しみの鎧が砕けていく。それによって覆い隠していた悲しみが再び湧き出てくる。


「どうして、父さんを殺したの!? 戒厳!」


 その叫びと共に繰り出した一撃は彼の仮面をかすり、それを弾き飛ばした。

 そして、顕になった彼の表情を前に、アエルは不思議な感覚に襲われた。

 その余りにも真っ直ぐに向けられた目は、これから殺す相手の存在全てを己の中に刻み込もうとしているかのように感じる。


「どうして!!」

『奴は……いや――』


 一瞬だけ視線を下げた戒厳は、絞り出すように言葉を続けた。


『単純に面白かったからだ。圧倒的な力で俺達を見下していた奴等を蹂躙することが。アエル、お前の父親は惨めな最期だったぞ。レクトゥスの英雄ともあろう者が亜人に手も足も出ずに一方的に殺されたんだからな』


 父親への侮蔑に瞬間的に怒りと殺意が湧き、アエルは剣の柄を固く握り締めた。

 しかし、最初に口ごもったことに加え、どこか演技がかっているように感じる声色に違和感も同時に抱く。それが彼の本心であるとはとても思えない。

 何より、彼の表情からしてそうだ。

 それは単に激情に駆られ、殺人を犯そうとしている者の顔ではない。


(まるで私と殺し合うことが救いだと……自分を憎む存在に救われてるみたいに)


 先の言葉もアエルを怒らせ、憎しみを抱かせようとしているかのようだった。


(そして、この戦いこそ自分のあり方を肯定するものと思ってるみたいに)


 しかし、だからこそ彼の殺意は本物だ。

 アエルを殺してこそ、その救いと肯定は訪れるのだろうから。


(何故?)


 速く強いだけで技巧のない剣撃をいなしつつ、疑問が思考を埋め尽くす。

 そのせいで僅かに憎悪が薄れ、剣を振るう力が弱まってしまう。

 しかし、それに合わせるように戒厳もまた攻撃を加減していた。そんな状態のアエルを殺しても意味がないとでも言いたいかのように。


『どうした? 鈍った剣では父親の後を追うだけだぞ?』


 そして、再びアエルの怒りを引き出そうとするかのように嘲りを口にする戒厳。


(迷いなく殺し合え。そう言いたいの?)


 殺し合う。殺意を以って相手に剣を向ける。


(でも、それってつまり)


 その果てに人を殺す。人殺しとなる。


(……そっか。そういうこと、か)


 戒厳の意図を全て理解し、だから、アエルは戒厳の一撃を思い切り弾き、大きく間合いを取った。

 そして、彼に与えられた剣をその場に捨てる。


『何の、つもりだ。諦めて大人しく殺されようとでも言うのか?』


 彼自身の意思一つでアエルを殺せる状況になったにもかかわらず、そのような問いを口にする戒厳。その姿に確信する。

 彼に勝つには、仇を取るには、彼を真に苦しめるには、こうするしかないことを。


「私は……貴方を――」


 その論理は正しいと理性は告げる。しかし、それを言葉に出すには心の奥に燻り続ける短絡的な憎悪を呑み込む必要があった。


「貴方を、許すわ」

『な、にっ!?』


 初めて顔を歪ませた彼を見て、アエルは勝利を確信した。

 この選択こそが唯一無二の彼に対する復讐の道なのだ、と。


『ば、馬鹿な。父親を殺されていながら、許す、だと? 俺が憎くはないのか!?』

「憎いに決まってるじゃない! でも憎んで、殺したら、貴方と同じ人殺しに、悪になるだけよ。それは貴方を肯定することに他ならない」


 仇を憎むのは人間として正常だ。

 しかし、憎んで殺すなら正義にはなり得ない。

 それは彼と同じ大儀を掲げた悪だ。


「私は、そうはならない。貴方を裁くのは私がすべきことじゃない」


 戒厳は、それが人間の常の姿だと確認するために敢えてアエルと対峙したのだ。

 であるが故に、あのまま戦っていれば、彼はアエルを鏡に映る己自身として、殺すべき悪の一つとして欠片も躊躇いなく殺していただろう。


「貴方は諦めた。最も簡単な道を選んだ」

『簡単な、道だと?』


 剣の切っ先と共に、初めて純粋な殺意が向けられる。


「殺すなら殺せばいい。でも、もし貴方を許した私を殺せば、貴方は大義すらも持たない悪になる。それでもいいなら……私を殺しなさい、戒厳!」

『くっ……』


 戒厳は顔を歪ませて奥歯を噛み締め、それから表情を消すと共に剣を納めた。


『確かに、仇を許すような奴を殺す意味なんてないな。だが……最も簡単な道というのは聞き捨てならない。訂正して貰おうか』

「相手を許すことに比べれば、復讐なんて簡単なことよ」

『その絵空ごとと比べられれば、あらゆるものが容易いだろうさ』


 戒厳は皮肉っぽく言いながら、アエルが捨てた短い剣を鞘に納め、弾き飛ばされた仮面を拾い上げた。そして、それを懐にしまい込む。


「何故……何故優しい貴方が復讐を? 貴方の家族はそんな道を行く貴方を――」

『望んでいない、とでも? よく聞くお題目だな』


 見下したような視線を前に冷たい感覚が心臓を撫でる。

 もしアエルが先んじて最後まで言っていたら、彼はアエルの命を奪わないまでも四肢を破壊するぐらいのことはしていたかもしれない。


『死んだ人間の感情なんて誰にも分からない。お前が知ったような口を聞くな。お前の父親の感情すらも、お前には分かり得ないんだ』


 父親のことを口に出されて反射的に怒りが満ちるが、その内容を前に言葉を失う。

 それは当たり前のことで反論の余地はない。

 想像はできても、相手の心の全てを理解することは誰にもできないのだから。


『何より、家族がどう思っているかは関係ない。復讐に心を燃やさなければ、俺はあの日死んでいた。そして、その時も今も俺は俺自身の意思で道を選択した。それだけのことに過ぎないし、俺はそれを家族のせいにしたりはしない』


 戒厳はアエルを見据え、声を大きくして続けた。


『責めるなら俺自身を責めろ! 俺の家族を持ち出すな!』


 それ程の強い信念を前にして憤怒は心の奥に隠れ、自然と問いが口を出る。


「あの日、何が、あったの?」


 思えば、彼のことは何も知らないに等しい。

 選択を前に無知でいることは罪だ。

 本来なら短絡的に彼に刃を向ける前に、この問いをしなければならなかった。


『言葉にすれば……数百万の命が一晩で散った。それだけだ。何故それが起きたかはアエルの方が詳しいだろう』


 資源を求めての侵略。しかし、むしろ開拓と言った方が適切かもしれない。

 レクトゥスの人間はこの世界の人間を「人間」と認めていないのだから。

 ただ、そこにある森を切り開くように命を摘み取っていったのだ。

 それをなした一人が父親である事実に、戒厳への憎悪よりも父親への畏怖が勝る。


「家族、は?」

『前に言っただろう。皆死んだ、と。……ああ――』


 戒厳は一瞬考えるように僅かに首を傾げ、それから理解の色を表情に浮かべた。


『状況か? 少し悪趣味だぞ、アエル』

「ち、違――」

『両親はフォルテの理術で跡形もなく消滅し、弟も左手以外が消し飛んだ。姉は崩れた建物に下半身を押し潰されて苦しみながら息絶えた。俺は俺で右目と右腕と両足を失った』


 アエルの反論を無視して口を開いた彼の瞳の奥に、一瞬深い絶望と憎悪が過ぎる。

 それにもかかわらず言葉は淡々と続き、その衝撃的な内容と口調との強烈なギャップを前にアエルは思わず体を震わせてしまった。

 彼はきっと人として大切な何かが壊れてしまっているのだ、と。

 そして、それを導いたのが自身の父親だと言う事実に。


「右手と、右腕と、両足?」


 恐る恐る尋ねると戒厳は静かに右手の手袋を外し、袖をまくった。

 その下から現れたのは金属でできた右手、義手だった。

 生身の手と全く同じ動きをしていたから、全く気づけなかった。

 レクトゥスの義手では考えられない驚くべき技術力だった。

 もっともレクトゥスの義肢は機械ではなく、理術で一から作り出された拒否反応の強い粗悪な代替的な肉体だが。

 理術は修復こそ容易いが、身体のパーツを一から作るのは容易ではないのだ。


「か、戒厳は、どうして――」

『生き延びられたのか、か? 他者に救われたという点を見れば、運がよかったからとしか言いようがない。だが、あの時俺は死という選択肢も与えられていた。だから、最後は俺の意思と言って差し支えないだろう』


 戒厳は少し間を置いてから言葉を続けた。


『だから、お前が最も簡単な道を選んだと言ったのは間違いだ。俺にとってそれはあの時死を選ぶことだった』

「そ……それでも――」


 彼の事情に、その意思を前に圧倒されそうになっていた自分を何とか奮い立たせて、アエルは戒厳を否定するための言葉を口にした。


「だからって復讐をイコール殺人とするのは、きっと間違いよ。それは結局次の復讐を生んで連鎖するだけ。貴方もそれが正しい世界だとは思ってないでしょ?」

『人が人である限り、悪がなくなることはない』

「それが諦めよ。貴方の論理なら世界が憎しみで覆われてるはずだもの。そうじゃないのは、きっとどこかでその連鎖を止めた人がいたからよ。単純に復讐が叶わなかった人がいただけでなく、ね」


 そうでなければ、復讐の始端がそこらに転がっているこの世界は、とっくに憎しみに支配された世界になっているはずだ。


『綺麗ごとだ』

「そう思うなら、それは正しいってことよ。だって綺麗なんでしょ?」

『今度は屁理屈か』

「屁理屈も理屈よ」


 アエルの答えに戒厳は呆れたように一つ深く溜息をついた。それから何かに気づいたように表情を引き締め、体の向きを変えてその方向を睨みつける。


『……その世迷言がいつまで続くか見せて貰おうか』


 戒厳はそう底冷えするような声で告げると、剣を再び抜き放った。


『写真で見た限り、あれはお前の母親だろう?』

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