5A 人殺し

第19話

 戒厳は全く人気のない路地裏から、整然と立ち並ぶビルの内、一際大きなビルの最上階を見上げていた。いや、憎悪を込めて睨みつけていたと言った方が正しい。

 いつものダッフルコートの上からベルトを固く締め、そこに二振りの刀を下げた姿はレクトゥスでなくても異様だろう。

 その上、この表情では十人が十人辻斬りか何かだと思うに違いない。

 しかし、今の時刻は十一時五五分。

 街中に人影はなく、暗闇と静寂が世界を支配している。

 レクトゥスの人間が出歩けば思念波の影響で丁度周辺の街灯が点くため、人の気配は察知し易く隠密行動は実に容易い。


(フォルテ。代償を払って貰うぞ)


 闇の中にあって光を放つ最上階の窓。

 そこ以外からも数ヶ所の窓から光が漏れ出ているが、サクラから送られてきた彼の思念波形との照合でセンサーは迷いなく一ヶ所を指し示している。

 彼の現在位置は明らかだ。

 そう。この視線の先に、家族の仇がいるのだ。

 戒厳は一瞬湧き上がってきた強い感情を抑え込むように鬼の面を被り、冷静にもう一度そこを見上げた。


(とは言え、さすがに正面突破は難しい)


 この高層ビルは地球で言うなれば役所と警察を足したような施設であり、職員のほとんどが理術師だ。

 戦闘の面では不活性化結界を使用すればいいが、今の段階から発動させてしまうと建物内の電気が全て消え、敵の侵入を知らせる結果となる。


(なら、結界を使わず一気に奴の許へ向かうだけだ)


 理術のプログラムを起動させると同時に、機械化したことで向上した身体能力を駆使して跳躍する。しかし、いくら身体能力が強化されていても、推進器を利用しても精々数倍の跳躍力しかない。

 当然の結果として、即座に重力に負けて鉛直方向の速度が零となるが、戒厳はその瞬間に空間を蹴った。と、理術のプログラムによって足場が瞬間的に生成され、それが重力に囚われる前に生み出した反作用が体を空へと押し上げる。

 それを繰り返し、繰り返し、繰り返して、見えない階段を駆け上がるように仇がいる高さへと昇っていく。

 ものの数十秒で思念波が示す部屋の窓に辿り着き、そして、戒厳は見た。

 その部屋で難しい顔をして書類に目を落としているフォルテの姿を。


「フォルテ・サエクルム……ッ!」


 瞬間、あの日の凄惨な光景がフラッシュバックする。

 焼けつくような空気。

 炎と鮮血で赤く染まった世界。

 一瞬前まで笑顔だった家族の変わり果てた姿。

 生々しく、地獄を感じさせる臭い。

 一度抑え込んだはずの負の感情、憎悪、憤怒、悲哀、あらゆる思いがない交ぜになって噴き上がって理性を焼き切り、そして戒厳は角度を変えた足場を必要以上に力を込めて蹴った。

 その勢いのままに機械の右手を窓に叩き込み、ガラスを粉々に打ち砕いてその部屋に侵入する。


「なっ――」


 突然の出来事に理解が追いついていない様子のフォルテを意に介さず、すぐさま不活性化結界を発動する。

 同時に部屋の明かりが消え去るが、戒厳の機械の右目は彼の驚愕に満ちた表情をハッキリと映していた。

 それでもフォルテは、そのまま硬直したりせずに即座に机の脇に置かれていた杖を手に取った。

 その辺りは、英雄の如く持て囃されているだけのことはあるのだろう。


「貴様が亜人か!」


 叫び、杖の先端のレグナを向けてくるフォルテを黙殺し、戒厳は腰に下げた刀を鞘から引き抜いた。そして、彼との距離を詰めるために床を蹴る。


「くっ、やはり理術が――」


 フォルテは忌々しげに舌打ちしながら、杖を逆向きに持ち替えた。

 理術が使用できないことを冷静に把握し、レクトゥスでは恥であろう生身での戦いに切り替える。その判断力は称賛すべきかもしれない。

 だが、既に間合いの内から振り下ろされた刀の一撃を防ぐには不十分だった。

 そして、当然の結果として刃はフォルテに傷を負わせ、しかし、戒厳の加減によって彼の右腕を切断するに留まる。

 それは慈悲ではなく徹底的な悪意による加減だった。


「ぐ――」


 フォルテは苦痛に表情を歪ませ、叫び声を上げようとしていたのかもしれない。

 しかし、戒厳はそれを許さなかった。彼に声を上げる自由など一切許さず、機械の足でその顎を思い切り蹴り砕いていた。


「……まだ、死んではいないよな?」


 無惨に仰向けに倒れ、顎を砕かれたがために叫ぶこともできず、ただ呻くことしかできないフォルテに対し、切り落とした腕を態々拾い上げて投げつける。


「その右手はお前が奪った俺の腕の代償だ」


 そう告げながら仰向けに倒れるフォルテに近づき、欠片も躊躇いなく彼の胴を薙ぐ。瞬間、歪んだ絶叫と共にフォルテの目が見開かれた。

 声を発したせいで酷くなったはずの顎の痛みと相まってか、限界近くまで開かれた目からは涙が、口からは血が溢れていた。


「俺の姉は下半身を建物に押し潰され、千切られ、苦しみながら死んでいった」


 仇を苦しめて殺すために心を憤怒に染めながら、冷淡に言葉を発し続ける。

 その間にも体は感情に従って彼の左手を切断していた。


「弟は左手しか残らなかった」


 ここまで来ては、もはや痛覚などあってないようなものなのだろう。左手を失ったフォルテの反応は小さかった。


「父さんと母さんは……形すら残らなかった」


 戒厳は刀をフォルテの腹に突き立てると、右手の手袋を取り去って返り血を浴びたダッフルコートのポケットに入れた。

 そして、露出させた機械の手を固く握り締める。


「醜く死ね」


 死を宣告しながら一つのプログラムを起動させる。

 それは刀を使用できない状況下を想定して組まれたプログラム。

 己の体一つで戦わなければならない場合のための武器であり、そうでない場合でも必殺の力となる機能だ。

 そして、機械の右手が、形作られた拳が緩やかに回転し始める。やがて、それは唸るような音を上げつつ、全てを砕くための力と化していく。

 やがて拳は十分な破壊力を出すに足る回転数に到達し、動作が安定した。


「終わりだ。フォルテ」


 既にフォルテの意識は半ば失われていた。放っておいても死に至るだろう。

 しかし、それでは戒厳の中の憎悪は満足しない。だから――。


「はあああああああああああああっ!」


 戒厳は全身全霊の力を引き出すように絶叫しつつ、必殺どころではない過剰な威力のそれをフォルテの顔面に振り下ろした。

 そして、何か硬いものが砕かれる音と共に部屋全体が大きく振動する。

 同時に机の上から何かが転げ落ちた。

 十二分に時間を取ってから右手を引き、同時に回転に制動をかける。


「サクラ…………家族の仇は取ったぞ」


 少しして完全に拳が静止してから、戒厳はそう呟きつつ、手に残る敵を叩き潰した感覚を確認するように右手を開いたり閉じたりした。

 刀とはまた違う生々しい破壊の感触。機械の腕でも、それは正確に知覚できた。

 その特別強い殺人の感覚によって、ようやく戒厳は憎悪から解放された。

 そして、自らが作り出したその惨状を見る。


「……これは、酷いな」


 赤く染まった部屋。

 抉られた床。

 異様な程の血溜まり。

 そこに浮かんで血に染め上げられた、細切れになっている何か。

 飛び散った肢体、憎き仇の無惨な死体。


「全く、感情に身を任せるものじゃないな。これ以上なく無駄な殺し方だ」


 死刑囚を何十と斬首することを強要された結果、死体にも大分慣れてしまっていたが、正直ここまで破損が酷いと気持ち悪い。

 その様相は紛うことなき地獄だ。しかし、それでも――。


(あの日のあの場所では、そこら中にあった光景だ)


 そして、それを生み出したことを当のフォルテは自覚していなかっただろう。

 たとえ目の当たりにしたとしても、彼の認識では相手は野蛮な亜人。

 汚物を見て眉をひそめる程度の真似しかしなかったに違いない。


(俺は、お前とは違う。俺がこの手で「同じ人間」をここまで惨たらしく殺した事実から、決して目を背けたりはしない)


 そう己に言い聞かせながら、突き刺さった刀を乱雑に引き抜いて鞘に納めた。

 刃や右手、服についた返り血は理術で既に取り払われている。

 特に、右手は回転機構の部分で血が固まると機能不全を起こしかねないため、必須の機能だ。


(何にせよ、これで一段落だな)


 全ての暗殺と敵討ちを終え、残すは合流場所へと向かうばかり、のはずだ。


(けど――)


 原形を留めていないフォルテの遺体から離れようとしたところで、戒厳は例の違和感に襲われて立ち止まった。


(何なんだ、この感じは……)


 そう思いつつ、丁度足下に先程の衝撃で机の上から落ちた木の板のようなものがあることに気づき、導かれるようにそれを手に取る。


「これは――」


 そして、それを引っ繰り返し、愕然とすると共に納得する。

 これまで抱いてきた焦燥感に似た感覚の正体を知って。


「そういう、ことか」


 それは何の変哲もない写真立てだった。地球のものと何ら変わりのない。

 そして、そこに写されていたものもまた何の変哲もない光景、その記録だった。

 フォルテと並んで立つ女性と、その前で笑顔を見せる二人の愛らしい女の子。

 有り触れた家族団欒の一幕。


「……アエル」


 それはアエルと、恐らく彼女の姉だった。

 事件に怯え、常に翳りと共にあった彼女からは考えられないような眩しい表情。

 それは何よりも鋭い刃となって戒厳の心を抉った。

 そして、そこから罪悪感が滲み出てくる。


「人を殺すということは、その人の命を奪うということだけじゃない」


 しかし、罪悪感こそ抱くが、後悔をするつもりはなかった。

 もし後悔することがあるとすれば、自分という実例がありながら、その事実を忘れていたことだけだ。


「それは誰かからその人を奪うということ。繋がりを絶つということでもある」


 殺人への抵抗を減ずるために強制された死刑囚の処断。

 その幾度となく繰り返させられた行為の結果、いつの間にか殺す対象にしか目を向けなくなっていた。

 そこにある罪と責任にしか目を向けていなかった。


(俺は……アエルにとって親の仇になった訳か)


 フォルテがアエルの父親だと知っていても結果は変わらない。

 だが、あの身を切られるような悲しみを誰かに味わわせた事実、その罪もまた受け止める覚悟はすべきだった。


(自分の行動には、責任を取らなければならない。全ての責任を)


 それが家訓であり、それ以上にそうしなければ自分自身に申し訳が立たない。

 その重さから目を背け、逃げることなどあってはならない。

 勿論、他者が求める責任と自身に課す責任が異なることはあるかもしれないが。

 そうして戒厳は凄惨極まる部屋の床にフォルテの血で「あの場所で待つ」とレクトゥスの言葉で書き記した。機械の右目が示す翻訳のままに。

 昼間の邂逅で戒厳の正体に気づきかけていたアエルなら、このメッセージが伝われば全てを理解するはずだ。

 これまで自身を不安の渦に陥れていた事件の犯人、そして父親を殺した仇が戒厳だということを。

 今日伝わるかどうかは賭けだが。


(廊下を駆ける音……ようやくフォルテの異変に気づいたか)


 戒厳がこの建物に侵入した際に窓を破壊したことで、大まかに上階で異変が起きたことには気づいてはいたはずだ。

 しかし、フォルテへの止めの一撃が引き起こした振動を感知するまで正確な位置を掴めなかったのだろう。

 加えて、不活性化結界のために階段での移動を余儀なくされたこともあって、フォルテの危機に間に合わなかった訳だ。

 それでも実際に経過した時間を考えれば、素早い対応と言えなくもないが。


(と思っている間に、来たか)


 数秒もせずに勢いよく部屋の扉が開かれ、数名の理術師が飛び込んでくる。

 十分な警戒と共に突入してきた様子の彼等だったが、戒厳の姿とフォルテの状況を認識したのか、一瞬にして凍りついたような表情に変わった。皆、一様に。

 目の前の光景に理解が追いつかないのだろう。

 英雄視されているフォルテが見るも無残、いや、フォルテだとも分からないような姿に成り果てているのだから当然だ。

 何より、その傍らに立つ仮面の異様な男の姿を目の当たりにすれば、冷静な思考を失って立ち竦んでしまうのも無理もないことだ。


(曲がりなりにも軍人だろうに……)


 戒厳は呆れの嘆息を一度吐くと、硬直する彼等を無視して手近な窓に近づき、再び右手を回転させてそれを叩き割った。

 ガラスの砕ける大きな音が場に響き、理術師達の一部が正気を取り戻し始める。

 が、理術が使用できないこの空間では彼等には何もできなかった。

 フォルテのように生身で挑もうとする勇気、正確には蛮勇を持つ者など誰一人としている訳がなかった。

 そんな彼等を一瞥してから、戒厳はその窓から躊躇なく飛び降りた。

 とほぼ同時に理術のプログラムを起動し、空中に足場を作って落下の速度を適度に減じつつ大地へと降り立つ。


(アエル……)


 その場で鬼を連想させる意匠の仮面を取り外し、懐にしまい込んでから歩き出す。

 彼女へのメッセージに示したあの場所へと向かって。


「俺を憎み、殺しに来るがいい」


 それは彼女の権利だ。

 そして、戒厳は仇としてその憎悪を真正面から受け止めなければならない。


「だが、簡単に仇を討てるとは思わないことだ」


 敵討ちが残された者の権利なら、返り討ちは仇の権利。

 その双方があってこそ、かつて人殺したるその行為が許されていたのだから。


「俺のようになるのなら……俺がお前を殺してやる。それが俺の責任の取り方だ」


 そんな小さな呟きは夜の静けさの中に溶けて消えていった。

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