4B 真実の欠片

第18話

(折角、友達になれたと思ったのに……)


 アエルは自室のベッドの上で深い溜息をついた。


(……友達、か)


 当然、アエルにも昔は友達ぐらいいた。しかし、父親の名前が大き過ぎて、いつからか対等につき合える存在がいなくなってしまった。

 アエル自身もまた、誰もが常に自分の向こう側に父親の姿を見ているような気がして、相手にそんなつき合いを期待しなくなった。

 そうした一歩引いた態度の結果、親の権威など関係なしに積極的に相手にぶつかっていく姉とは対照的に自然と孤立し、今に至る、という感じだ。

 しかし、戒厳にはほんの少しだが期待してしまった。自分のこと、家族のことを知らない彼となら純粋に友達になれるのではないか、と。

 そして、望み通りになった。

 戒厳が気安く話していいと言ってくれた時、アエルは躊躇いつつも本当は嬉しかった。だから、彼が明日いなくなると聞いて悲しかった。

 たった二日の間、少し話しただけの彼にそんな感情を抱くとは思わなかった。

 久し振りにできた友達だから、あるいは過剰に執着してしまったのかもしれない。


(いざとなったら、父さんの力を使ってでも――)


 父親の名を知られるのは恐かったが、やはり本当の友達というものは、それを知って尚つき合ってくれるような人だろうから。


(……なんて、酷い誤魔化しね)


 それらは全て、思考停止の現実逃避でしかなかった。

 確かに本心として戒厳を友達だと思っている。

 だからこそ、こうして逃避している訳だし、こんなにも苦しいのだ。


(友達を疑いたくない。状況証拠しかないんだから)


 窓から見える空は、戒厳と別れてから然程時間は経っていないというのに、既にほとんどが暗闇に覆われている。

 冬は夜になるのが本当に早いものだ。

 アエルは窓の外遥か遠くに僅かばかり残る茜色の名残に目を向けながら、心の内に生じた疑念から再び目を背けるように戒厳との会話を思い起こしていた。


(甘い、のかな。私、やっぱり理術師には……)


 事件への恐怖心、不安。そんなことで押し潰されそうになっている弱い自分に理術師になる資格はあるのか。

 そして、果たしてそれは自ら望んだことだったのか。

 彼の問いはまるでアエルがそう自問していたことを見透かしたかのようだった。

 今までアエルは自分が理術師になることを当然のことだと思っていた。

 他の道などないと思い込んでいた。

 だが、それはやはり思い込みに過ぎず、他の道もあるのかもしれない。


(他の道、か……)


 最終的に理術師を目指すにしても、別の可能性を考えることは損ではないはずだ。

 アエルは記憶を遡り、別の未来を想っていた自分を思い出そうとした。


(そう言えば……学校に入る前、お花屋さんになりたい、なんて考えてた時があったっけ)


 花は嗜好品として非常にポピュラーで、しかし、奥が深いものだ。

 理術を用いて健康に育てるだけなら容易いのだが、その花に応じた美しさを完全に引き出すにはかなり繊細な技術が必要となる……らしい。

 しかし、それは女の子としてのステレオタイプ的な夢だったのだと今では思う。

 当時の同年代の子達の多くが、そういうお花屋さんやケーキ屋さんなどの可愛らしい感じの夢を持っていたから釣られただけだろう。


(何にせよ、やっぱり理術師には向いてないのかも)


 アエルは窓から視線を外し、深く嘆息した。

 無理に考えを逸らそうとしても無駄だった。

 どんどん胸が締めつけられていく。


(もしかしたら、戒厳が……戒厳こそが、この事件の犯人かもしれない)


 その可能性にアエルは気づいてしまっていた。

 勿論、単純に可能性だけを考えるなら、街ですれ違っただけの他人だってその可能性はある。しかし、そんな程度のことでは決して友達を疑ったりはしない。

 昨日、彼との会話で抱いた違和感が、今日、確かな疑念に変わってしまったのだ。

 戒厳が捜査を担当する理術師だと思った時期的な符合は、そのまま犯人にも当てはめることができる。

 彼が持っていた長い何かが入った布袋には、理術師が持つ杖ではなく犯行に使われた長い刃物が入っていたのかもしれない。

 何よりも――。


(言葉と口の動きが違ってた……)


 昨日より戒厳の顔を見詰めている時間が長かったからか、それに気づいてしまった。そして、それは彼が少なくともこの国の人間ではないことを示している。

 亡命者、ということも可能性としてはある。だが、何故かレクトゥスから出ていく人はいても、レクトゥスへと亡命してくる人は皆無なのだ。


(けど、それはそうだよね)


 昔は信じられなかったが、今は理解できる気がする。

 この国の考えは狭い。才能だけで人の価値を決め、しかも、それが絶対的に正しいと頑なに信じている。

 与えられた才能そのものを神格化しているのではないかと思う程に。

 事実、才能に対してクレイオの加護などという名をつけている辺り、少なくとも神聖視しているのは確かだろう。


(他の世界、できることなら見てみたい。けど……アエル。今、考えなきゃいけないのはそんなことじゃないでしょ? また目を背けてどうするの?)


 意志薄弱な自分を叱咤し、思考を元に戻す。


(多分、戒厳は、テラの人間じゃない)


 根拠は月の神話。

 あの場では大分端折ったが、この話はテラでは親が子の寝物語にする程に馴染みのあるものなのだ。

 たとえ、そうしたところで触れていなくても初等教育の国語の教科書にも載っているぐらいだから、全く知らないような反応は明らかにおかしい。


(そうなると……犯人でない可能性の方が低い、よね)


 事件に何ら関わりがないにもかかわらず、こちらの世界の人間がレクトゥスの街を素知らぬ顔をして歩いている理由など他には考えられない。

 考えられないのだが、そうやって友達を疑う己を自覚すると酷く悲しかった。


(あんな優しい人が……)


 たった二日ばかりの会話からの印象に過ぎないが、それでもアエルは彼の本質はそうだと信じていた。

 これでも人を見る目はあるつもりだ。

 フォルテに媚を売るために機嫌を取ろうとする輩を、数多く見てきたのだから。

 彼の、アエルの未来を気遣ってくれた言葉。

 亡くなってしまった家族のことを話してくれた時の酷く辛そうな表情。

 新しくできた家族、妹をとても大切に思っている心。

 そのどれもが偽りには思えなかった。

 そんな彼が事件の犯人だとは信じられない。信じたくない。

 しかし、そんな彼だからこそ犯人だとしても納得できるような、そんな矛盾した気持ちをアエルは抱いていた。

 そもそも復讐など情のない人間には無関係の話なのだから。


(もう分からない。私には分からないよ)


 このことはフォルテに、父親に伝えるべきことだったかもしれない。


(いざと……なったら……けど――)


 全ては状況証拠に過ぎないこと。

 もし誤解なら戒厳を傷つけてしまうかもしれないこと。

 何よりフォルテには自分が信じる父親としての姿、尊敬すべき理術師としての像とは全く別の姿が隠れているかもしれないこと。

 その全てがアエルを躊躇わせていた。


(明日。そうだ。明日になれば、きっと何もかも終わってくれる)


 そう、明日。戒厳が言葉通りに故郷に帰るというのなら、彼の言う故郷がどのような意味であろうとも、きっとこんな思考は無意味になるはずだ。

 だからアエルは窓から見える中途半端な形の月に、公園で戒厳と並んで見上げた月に手を合わせて祈った。

 願わくは、明日一日誰もが平穏無事に生きることができますように。

 そして、戒厳が小さく呟いた夢、普通に生きたいという願いが叶いますように。


 たとえ、そのどちらも決して叶わないものだったとしても、アエルには今、祈ることしかできなかった。

 アエルの推測が正しかった場合に訪れる、ずっと尊敬してきた父親と優しい友人の未来から目を背けるために。

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