第16話

 そして今日もまた街を目指す。

 喧騒の中に身を置けば、少なくとも孤独感は紛れてくれるから。

 それがたとえ戒厳達を亜人と忌み嫌う人間達の営みであっても。

 故に、後者の事実に対して抱く引っかかりは一先ず無視し、丁度街と廃墟の境界付近にある公園に廃墟の側から入り込む。すると――。


(ん? 何だか雰囲気が違うな)


 昨日までよりも、人の数が明らかに少なかった。

 いつものベンチに腰かけて周囲を見回しても、公園を出た先のメインストリートに目をやっても、歩く人の姿はまばらだ。

 その人達も何となく不安そうにしているように見える。

 もしかしたら、秘匿されていたはずの理術師達の死がどこからか漏れ始めているのかもしれない。

 昨日の一件で特に、捜査をしている理術師達も精神的に追い詰められてきているだろうし、となれば誰かに情報を明かしてしまう可能性もある。


(警戒して街から離れるべきか)


 そこまで考えて、戒厳は一瞬そう思った。

 しかし、時計に目を向けて、結局しばらく残ることにした。

 時計はもうすぐ昨日あの少女と出会った時刻を示そうとしている。

 もしかしたら、彼女とまた話ができる機会を得られるかもしれない。


 サクラに嫉妬心をぶつけられ、逆に戒厳は少しばかり意識してしまっていた。

 だから、ほとんど時を置かずに公園に入ってきた彼女の姿を見て少しだけ嬉しさを感じ、しかし、憂鬱そうに視線を下げている彼女を前に「この感情は分不相応だったな」と自嘲気味に己を戒めて表情を引き締めた。

 反対にその少女は戒厳の姿を認めたのか顔を少し上げて、その綺麗な碧眼を真っ直ぐに向けてきた。そして、小さく柔らかな笑顔を見せて小さく頭を下げる。

 合わせて、緩くウェーブのかかった長いブロンドの髪が揺れた。

 白いコートに紺色のマフラー、赤い毛糸の手袋、そして、コートの裾にほとんど隠れた紺色のプリーツスカートに黒いタイツ。

 昨日とほぼ同じに見える出で立ちだ。

 外套を羽織る冬場は、上辺からでは服装の変化は余り感じられないことも多い。


「こんにちは。また会いましたね」


 そして、今日もまた。そんな少女の方から話しかけられる。


「ああ。君も暇だな」


 対して、今日は普通の態度で言葉を返す。

 昨日は本当に突然のことで驚くと共に「こちらの人間と会話していいものか」と一瞬以上悩んで無駄に焦ってしまった。

 結局、そこで逃げてはむしろ怪しまれると結論し、話をすることにしたのだが。


「貴方こそ、今日もサボりですか?」

「いや、今日も仕事の能率を上げるための気分転換だ」


 わざとらしく「今日も」の部分を強調して言う。


「ものは言いよう、ですね」


 少女はくすくすと楽しげに微笑んだ。

 どうやら彼女はまだ戒厳をレクトゥスの理術師だと思い込んでいるようで、その笑みには警戒心が全く見えなかった。


(金髪碧眼、か。いかにも外国の女の子って感じだな)


 広大なレクトゥスの領土にあって恐らく地球で言う西欧系の血を引いているらしい彼女は「まるで西洋の人形のようだ、というよく聞く形容はこういう時に使うのか」と戒厳が納得した程に可愛らしかった。


(しかし、綺麗な色の瞳だな)


 同じ可愛らしさでも、アジア系がほとんどのアシハラの中でも完全に日本人な感じのサクラとはベクトルが全く違う。

 サクラは妹的というか身近な可愛さだが、この少女はどこか手の届かない宝石のような可憐さがあった。

 あるいはそれは、戒厳が日本人だからこその感覚なのかもしれないが。


「隣、いいですか?」


 そんな少女の一歩近寄っての問いかけに、戒厳は無言で刀を左手に持ち替えながらベンチの左側に寄った。


「ありがとうございます」


 そう純粋そうな笑顔で礼を言うと、少女は躊躇いもなく隣に座った。

 それから少しの間、会話もなく二人並んでベンチからの景色を眺める。


「……昨日も、事件が起きましたね」


 やがて少女が申し訳なさそうに沈んだ声で言う。


(さっきまでの笑顔は空元気か。……まあ、当然、だろうな)


 その横顔を盗み見ると、公園に入ってきてすぐの時の表情に戻っていた。

 申し訳なさそうな声色は、戒厳が気分転換に来たと言ったからか。

 それが分かっていて尚、その話題を出したのは、それだけ彼女の中に渦巻く不安が大きくなっているからなのだろう。

 いや、その顔を見た限り、不安と一言で済ましていい単純な感情ではなさそうだ。


「そうだな。すぐに終わると言ったのに済まなかった」


 大義を掲げてのこととは言え、一般の女の子にそんな気持ちを抱かせてしまっているのは議論の余地なく正しくないことだ。

 だから、戒厳は少女にそう告げて頭を下げた。


「い、いえ、それは仕方のないことだと思います。それより、貴方もその現場にいたんですか? 何だか結構な数の理術師達が駆り出されたって聞きましたけど」

「ああ、確かにいた」


 しかし、それは犯人としてだが。

 彼女もまさか、目の前にいる人物こそが己の不安の根本原因である恐ろしい亜人そのものだとは、想像だにできていないだろう。

 もし、彼女がそれを知ったら、どうなるだろうか。彼女はどう思うだろうか。

 そんなことを一瞬だけ考えて戒厳はすぐに打ち消した。

 どうせ明日になれば、ここを離れるのだ。

 ここでの別れが永遠の別れとなるはずだ。


「犯人は理術の使用を妨げることができるとか」


 そんな彼女の言葉に戒厳は無言を以って肯定の意を暗に伝えようとし、果たしてそれは通じたようだった。


「これで、アシハラの関与がほぼ決定的になりましたね」

「そう、だな」


 さすがに不活性化結界が使用されたことを知りながら、それをアシハラと結びつけない間抜けもいまい。

 と言うか、今になって明らかになっている辺りが、正直なところ既に愚鈍としか言いようがない。レクトゥスの理術への依存具合が見えるというものだ。


「こうなると残留思念波が観測されないから犯人がこの世界の人、という論も怪しくなりますよね……」


 正答からは遠ざかっているが、しかし、論の展開としては正しいと言える。

 不活性化結果内では誰が発した思念波であろうとも残留したりはしない。

 何故なら、残留思念波はレグヌムが留めるものだが、不活性化結界内にあって非励起状態となっているレグヌムはその性質を失うからだ。

 共鳴による思念波の増幅も不可能で、精々玉突き的に波を伝える程度のことしかできない。しかも、その波は指数関数的に減衰していく。

 そのため、たとえ結界の中で理術を使用しようとしても、その外で思念波を察知することはできない。人間には観測できない程に減衰してしまうからだ。

 外界に作用させる理術が結界内で発動しない理由もそれだ。


 レグナの糸さえ用いれば結界内で理術を使用できるようになるのは、アシハラ製のレグナが超高純度で思念波の増幅能が極めて高い上、干渉対象と有線で接続しているために思念波の減衰がないためだ。

 しかし、それにしても極めて簡単な理術の使用に限定されている。

 逆に不活性化結界の外で発せられた思念波を観測することは、アシハラの研究でセンサーが超高性能になったことで可能になっている。

 共鳴によって物理干渉を起こす程に強まった思念波は、結界内で生じた波に比べ段違いに強度があるためだ。大幅に減衰して尚、機械でなら観測できる。


 ちなみに。

 変換言語意思伝達も、この強度の関係で不活性化結界内では使用不可能だ。

 にもかかわらず、あの工場で相手の理術師の言葉が分かったのは、理術は関係なく機械翻訳のおかげ。やろうと思えば、こちらの声も翻訳可能だ。

 その場合は自分の声に翻訳された機械音声が重なり、レクトゥス人でないことが諸バレなのでやらないが。


(っと、思考が逸れに逸れたな)


 そんな具合に思考が飛んでしまう程に、戒厳は少女の言葉に内心驚いていた。

 何故なら、彼女が地球の人間のことを亜人と呼ばなかったからだ。


「どちらにせよ、人殺しには変わりありません。そして、どちらにせよ「人間」の所業であることは確か、ですよね」

「それは……どうだろうな。あるいは亜人が犯人で、しかも君のイメージ通りの存在である可能性だってあるぞ?」


 わざと意地悪く言ってやると、彼女は静かに首を横に振った。


「私は、そうじゃないと思います」

「……それは君の憶測じゃないか?」

「そうかもしれません。でも、私はもうこの世界の人を私達が考えてきたような野蛮な化物とは考えられません。それに、ただの化物なら、こうも何日も捕まらずにいられるはずがない、じゃないですか」

「それは……そうだな」

(そう考えられるなら、それは憶測じゃなく推測だ)


 この少女はやはり他のレクトゥスの人間とは大きく違う。

 少なくとも、件の亜人と直接対峙しても何とも思わなかった理術師達とは。

 彼女は偏見があっても、それに反する情報を頭から拒絶したりせず、受け止められるだけの柔軟さを持っている。

 少しばかり早とちりし易い部分が見受けられるのは御愛嬌という感じだが、敵国にあって好感が持てる人物だ。


(だから、もう少し話がしたいと思ったのかもしれないな)


 そう戒厳が心の中で少女を評している間にも、彼女は言葉を続ける。


「やっぱり理由、真っ当で普遍的な倫理観を乗り越えてでもなさなければならない理由が、その人にもあるんでしょうか」

「どう、かな。世の中には理由なんてお構いなしに人を殺せるような人間もいるかもしれない。そこに快楽を求めたり……いや、それも理由の一つと見なせるのか?」


 日常の何気ない動作のように何の理由もなく殺人を犯す人間など、さすがにフィクションの中でしか想定できなかった。

 結果には原因があるはずで、そんな存在には現実味が余りにもなさ過ぎる。


「快楽なんて、絶対に許されないと思います」


 ハッキリとした口調で少女が言う。

 その表情は真剣で、声色には義憤が滲み出ていた。


「そうだな。その通りだ。それを容認する者など、まずいないだろう」


 本来、種の繁栄を望む生物にあって故意に、繁栄に繋がらない形で同種を殺すことは自然に反している。

 本能に従うなら、人間を他の生物と全く同一と見るなら、この社会で起こるような殺人はいかなる場合であれ許されるべきではない。

 対して理性に従うなら、法などによって基本的に殺人は否定される。理性を持つ存在として人間を他の生物と分けて考えるなら、それに従わなければならない。


 しかし、人間は様々な理由で同族を殺してきた。

 理性は殺人を抑制する理由であるにもかかわらず、同時にその理性というものこそがまた、殺人を容認する理由を作ることもあるのだ。

 そして、あの日以前の戒厳には余り実感が湧かないことだったが、現実に戦争を始めとした大義名分を伴って正当化された殺人は無数に存在している。


(快楽殺人、か)


 ならば、それは一体どちらに当たるのか。

 少なくとも、理性的に論理立てて相手を殺す言い訳をするのとは明らかに違う。どちらかと言えば、本能的なものだろう。

 だが、本能は種として無意味な殺人を絶対的に否定する。ならば、それにも何かしらの意味がある、ということか。

 その意味とは、あるいは個体数の調整なのかもしれない。そう戒厳は考えた。

 ある範囲内に同種の生物が密集し過ぎた場合に、環境という要因による自壊を防ぐために、そうした存在は人間性を破壊されて完全な欠陥品として設計されて生み出される、のかもしれない。

 ある種に自然法則のようなものによって。


(……これは、さすがに馬鹿な妄想、だろう)


 そんな存在はケダモノよりも遥かにおぞましい。


「まあ、今回の犯人の動機は正直分かり易過ぎると思うけどな」


 彼女が今現在想定しているようにアシハラの人間が犯人であれ、亜人が犯人であれ、どちらを結論に持ってきて論を組み立てても原因は明らかだ。


「敵討ち……ですか」


 かつてそれが合法的な行為だったことを考えても、それは殺人の理由として最も己の倫理観を抑え込むことができ、かつ周囲の肯定を得易いものだろう。

 だが、昨日殺した対象は犯人と、つまり戒厳とは直接的な関係は欠片もない。

 アシハラとしての報復には違いないが、自分で彼女の結論を促しておきながら犯人の動機に敵討ちや復讐を据えるのは不適当な感じもする。

 人殺しの責任は負うつもりだが、彼らに関しては戒厳が積極的に狙った訳ではない。後から同調したにせよ、切っかけは指示されたからだ。


「……例えば、歴史が――」

「え?」

「歴史が人を殺す。そう考えたことはあるか?」


 ふとサクラの言葉を思い出し、それを少女にぶつけてみる。


「今ある自分、その考え、目の前の選択肢。その全てが歴史という過去によって既に定められてしまっている、とな」


 歴史などという大それたものに責任を押しつけるつもりは毛頭ないし、この一連の行為が自身の選択なのは確かだが、過去に起点があるように見えるのも事実だ。


「歴史が、ですか?」


 そういった考えをしたことがなかったのか、少女は少しの間その問いの内容を吟味するように沈黙した。


「……そう、ですね。そう考えられなくもないかもしれません。でも、もう少し別の選択肢を思い描けるだけの想像力を持つことができれば、きっと目の前の選択肢を超えた、本当の意味での最善の選択もできるんじゃないでしょうか」

「想像力?」


 その単語はすんなりと戒厳の胸に入ってきた。

 たとえ実際に過去が選択を狭めていても、それが最善とは限らない可能性を認識できていれば別の可能性を探ろうとする意思も生まれるだろう。

 そして、過去の強制力を上回る選択肢を想像した上で強い意思と共に一つを選択するなら、それは確固たる己の選択であり、己が責を追うべきものと見なしていいかもしれない。


「成程、想像力か」

「はい。きっと私に想像力がもっとあったなら、この世界の人々のことを……」


 徐々に小さくなっていった少女の声に彼女の横顔を盗み見ると、その表情には確かな後悔が見て取れた。

 無意識に染み込んだ差別意識を嫌悪しているのだろう。


「……こんな話、止めようか」

「済みません。折角気分転換に来たのに」

「いや、俺のことはいいさ。君が謝る必要なんて全くないんだから」


 申し訳なさそうに頭を下げる少女に戒厳は首を横に振った。

 むしろ謝るべきは戒厳の方だ。彼女の不安の根本原因は戒厳にあるのだから。


「ありがとう、ございます」


 だから、その感謝の言葉が胸を刺す。

 その偽善染みた罪悪感は、しかし、戒厳にとっては殺すべきケダモノと自身とを区別するために必要なものでもあった。

 とは言え、この場では彼女に返す言葉には困り、誤魔化すように周囲の様子に意識を移すしかなかったが。

 やはり公園を訪れている人の数は昨日までと比べ、明らかに少なくなっている。

 特に子供を連れた人の姿は全く見られない。

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