4A 別世界の少女
第15話
一連の北海道奪還作戦の最終日、その昼過ぎ。
昨日襲撃したレグナの生成工場と街を挟んで反対側、少し遠方にある廃屋の寝室で戒厳は目を覚ました。
あの日以来放置されていたらしいベッドから起き上がると、その拍子に布団代わりにかけていたコートが床にずり落ちてしまった。
それを拾い上げ、申し訳程度に叩いた後に着込み、同時にアナレスが組んでくれた理術のプログラムを起動させる。
この理術は身体の汚れも含めて身の回りのものを清潔に保つためのもので、そのおかげで風呂や洗濯の必要はない。
それから常時発動していたプログラムを少し躊躇いつつ停止させる。
瞬間、冬の寒さが体を包み込み、戒厳は体を震わせた。
こちらは睡眠時に周囲の温度を保つためのものだ。
一応、カイロや簡易的な暖房器具は持たされてはいたものの、さすがに冬の北海道、しかも夜、それもほぼ屋外と言っていい廃屋では効果は期待できない。
このプログラムがなければ、確実に凍死してしまうだろう。
(できれば街中でも使っていたいところだけど――)
現時点では不活性化結界と高速移動用の理術で、並列処理は限界らしい。
と言うか、不活性化結界で九割近く占められているとのこと。そのため、街中では不測の事態に備えて他の理術プログラムは使用しないように注意されていた。
(……あんまり便利なのも考えものだな)
すっかり当てにする思考ができ上がってしまっている。
戒厳は一つ溜息をついてから、体を覚醒させるために一度大きく伸びをした。
それから部屋の窓に近づき、カーテンを一気に開け放つ。
(しかし、何度見ても酷い光景だな)
外には、空襲を受けたかのような半壊した家屋が立ち並ぶ光景が広がっている。
元々は高級住宅街という位置づけだったが、それらしい雰囲気は感じられない。
戒厳はその中で最もまともな、とは言っても全壊と半壊の間での相対的な評価だが、何とか一部屋分だけでも外界から区切られた部屋を拠点として使っていた。
勿論、電気も水道もガスもない以上、夜は暗いし、昼でも寒い。
……それでも野宿よりは遥かにマシだが。
(この生活も今日で終わりだ)
目の前に広がるあの日の現実を胸に刻み直し、ベッドに戻って座り込む。
そして、理術で周囲の水分を浄化して水筒に集められた水を飲み、同様に周囲の物質などから作られたブロック状のバランス栄養食的な固形物を手早く食べた。
(……帰ったら、真っ先にサクラに食事を作って貰おう)
無味乾燥なそれを機械的に飲み込み、そんなことを考えつつ右手を見詰める。
作戦では今日の深夜にフォルテを暗殺し、そのまま明朝、日が昇る前にこの地を離脱する予定だ。
昨日、あの公園で出会った少女に言った通り、それで全て終わりにする。
しなければならない。
(それは俺自身のためでもあり、サクラのためでもあり、彼女のためでもある)
彼女は馬鹿な身内が情報を漏らしたせいで怯えていたが、それも今日までだ。
明日には皆揃ってテラへと戻り、後は家族との日常を穏やかに過ごしてくれることだろう。そう願う。
(これは……偽善的な考えだな)
そう自嘲気味に思いながら携帯用の水筒を懐に入れていると、通信が入る予兆の小さな雑音が耳に届いた。十中八九サクラからの通信だろう。
『お兄様』
案の定、聞こえてきたのは彼女の声。
『ああ、サクラか。どうした?』
『えっと、その、目を覚まされたようなので』
理由になっているようで微妙になっていない返答をするサクラ。
何かしらの伝達事項があるからこその通信ではあるのだろうが、どちらかと言えば「寂しい気持ちが先に立っていて早く声を聞きたかったが、それをそのまま伝えるのは恥ずかしい」という感じが強いか。
『そう言えば、そっちでは俺の体調をモニターしているんだったな。どうだ。何か変調はあるか?』
『何も問題ありません。戦闘の影響も全く』
『そうか。なら……後は俺次第、だな』
『違和感、まだありますか?』
『そう、だな。まだあるよ。罪悪感とも違う、何かが』
それは公園で彼女と話をして尚のこと大きくなった気がする。何となくあの会話の中で答えに少し触れたような気がしていて、そのせいかもしれない。
『お兄様……』
『そんなに心配そうな声を出すな。やることに変わりはないし、支障も出さない』
『はい』
強い口調で告げるとサクラは安心したように答え、それから少し間を置いてから真剣な口調で言葉を続けた。
『では、これからの予定の確認をしますね。お兄様にはフォルテ・サエクルムを深夜〇時に襲撃、これを殺害して頂きます。その後は三時までにあの港に戻って下さい。ただし、サクラが港に入るのは一〇分前ですので、それは注意して下さいね』
『ああ、分かった』
『お兄様の働きで、安全かつ確実に人員と強制送還用の理術装置を配置できるでしょうから、きっと作戦も成功しますよ』
『そうか……俺でも役に立てたんだな』
『当然です! アシハラの理術師は、純粋な理術ではレクトゥスの理術師には決して敵いませんから。作戦の確実性を高めるために、レクトゥスの優れた理術師達の排除は不可欠でした』
サクラは自分のことのように誇らしそうに言った。
『折角、北海道を包囲して世界を繋ぐ巨大なゲートを生み出そうとしても、その思念波を観測されて遠距離から攻撃でもされたら一巻の終わりです。ゲートを作る以上、先に不活性化結界で島全体を封じる訳にもいきませんし』
ゲートもまた理術で生み出されるものである以上、結界内では発動できない。
故に結界で閉じる前に、ゲートでレクトゥスの人間を送還する必要があるのだ。
『ゲートによって北海道全土にいる人間をテラに送り返し、直ちに不活性化結界をそこに張ります。これで北海道も絶対的な防御力を持つ要塞になります』
この不活性化結界があれば、あちらの北海道に当たる地域がレクトゥスに支配されていようとゲートを通じて再び侵略することは不可能になる。
これを以って作戦は完了する。
北海道の奪還が成功すれば、その事実はこの地球に生き残る人々を勇気づけるものになることは間違いないだろう。
この変じた世界を生きる一つの糧にもなってくれるはずだ。
これが大義の一つ。戒厳にとって罪を犯してでもなすに足る理由の一つだった。
『そのための最後の問題はあの男です』
電話口から聞こえてくる彼女の声が急激に冷たく厳しいものに変わる。
戒厳とサクラの共通の仇、フォルテが最後の対象となったのは、戒厳がそれで満足してしまうことを危惧したからだけではない。
テラでも屈指の理術師として名高い彼を生かしておけば、この短期間での連続殺人がレクトゥス全体の問題となる可能性は少なくなる。
彼が自身の名誉やプライドを守るために上に情報を伝えない可能性も十二分に考えられるし、たとえ伝わったとしても彼に任せておけば何とかなると信じられるだけの実績が彼にはあるのだ。
『相手の援軍は、ないんだよな?』
『はい。少なくとも作戦終了まではアナレス様も保証しています』
彼の情報によれば、どこかの国が窮鼠猫を噛むが如く使用した、核兵器を始めとするNBC兵器によってレクトゥスには想定外の被害が出ていたらしい。
これによる環境汚染の処理で多くの理術師が忙殺されているという話だ。
軍隊の戦力差は問題外だが、最新鋭の大量破壊兵器によってレクトゥスに少なくない打撃を与えるだけの反撃は行われていたのだ。
それも今となっては過去の話だが。
ともかく、レクトゥスはこうした現状のために、ユーラシアやアフリカ辺りの整備に動員された人員を北海道に割くことができないのだ。
単純に考えても、極東の島一つなどより遥かに広大な土地を優先させるのは当然のことだろう。レグナの生産力は土地の面積に比例するのだから。
彼等にとってこの土地は、アシハラに近いという危険度の高さに反して、得られるものは非常に少ないのだ。
かと言って、国境に位置しているがために蔑ろにしてもいいような場所でもないため、フォルテのような大物が配置されているのだが。
このタイミングで作戦が決行される運びになったのも、そんなレクトゥス側の事情と戒厳の体の仕上がり具合の兼ね合いを考えてのことだった。
『今、この地に残る厄介な戦力はほぼ奴一人のみ。しかし、奴がいれば、沿岸に配置される人員の一角を崩すことは容易い、か』
『はい。フォルテを排除できなければ、作戦に大きな支障が出てしまうでしょう』
アシハラでは擬似思念波と地球の科学技術を応用しての効率化によって、より高密度に圧縮されたレグナが量産されつつある。
しかし、それを使用して尚、アシハラの理術師にフォルテクラスの相手はできないだろう。己の肉体を実験に差し出す覚悟でもない限り。
現段階でフォルテを排除できる可能性を持つのは、正にその実験体となった戒厳ぐらいしかいないのだ。
『この作戦の成否は全て、お兄様にかかっています』
『分かっているさ。作戦は必ず成功させる』
『はい。そして……サクラ達の家族の仇を、討って下さい』
『ああ。必ず』
そう告げつつも、戒厳は緊迫した雰囲気を振り払うように立ち上がった。
作戦実行までにはまだまだ時間がある。
今の今から気を張っていても仕方がない。
『お兄様?』
『街に行く。何か異変がないか様子を見るためにな』
『お兄様、もしかして――』
途端に不機嫌そうな声を出すサクラ。
『昨日のあの人に会いに行くつもりじゃないですよね!?』
『い、いや、そんなつもりは全くなかったぞ』
『本当、ですか?』
『ああ。まあ、偶然会う可能性は否定できないけどな』
会うつもりがなかったのは本当だが、言葉の通り可能性は僅かでもある訳で、つい流れ的に勘違いされても文句は言えない余計な言葉をつけ足してしまう。
『うぅ~、お兄様の馬鹿!』
案の定発言を曲解したサクラは怒って通信を一方的に切ってしまった。
かと思えば、一度だけ通信が復活して一言。
『でも、大好きです!』
そう高らかに愛を告白して、今度こそ通信が途切れた。
そんな愛らしい妹との会話が終われば、部屋の中は冷たい静けさに包まれる。
折角の彼女からの温もりも抜け落ちていく気がする。
(…………まるで世界から取り残されたみたい、だな)
テレビの音も、車道を走る車の音もない。
自分が動かなければ全く無音の静寂を一度意識してしまうと、大音量の騒音にも勝る不快さが込み上げてくる。
つい直前までサクラと会話していたため尚更だ。
だから、戒厳はその感覚から逃れるために、近くに立てかけておいた刀の入った布袋を右手で掴むと部屋を出たのだった。
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