3B 罰

第14話

 そう。これは罰なのかもしれない。

 アエルは自室のベッドに寝転がりながら、そんなことを考えていた。

 今朝もまた、陰鬱な気分にさせるニュースが寝起きのアエルを待っていた。

 久し振りに姿を見せた父親に一瞬事件解決という希望を抱いたが、しかし、彼から与えられたのは新たな不安の種だった。

 何でも犯人の出現地点を完璧に予測していたにもかかわらず、襲撃を受けて工場の監督者を亡くした上、肝心の犯人にも逃げられてしまったらしい。

 無様に負傷したカリダへと怒りの矛先を向けつつ、一通り愚痴を吐き出したフォルテはその後すぐに職場へと戻っていってしまった。

「これから、またしばらくの間帰ってこられなくなるだろう」という言葉を残して。


 アエルは父親に色々と尋ねたいことがあった。

 しかし、玄関を出る彼の背中が余りにも小さく、酷く疲れているように見え、それはできなかった。

 父親の姿に事件の大きさ、困難さを改めて突きつけられたような気がする。

 それに加えて昨日出会った少年との会話の中で生まれた父親への疑念が複雑に絡み合って、一気に気分が暗くなってしまった。

 だから、食事を終えた後すぐに、窓から見える限り雲一つない青空を忌々しく睨みつけてから、アエルは自室に戻って閉じこもっていたのだった。


(事件の動機は、亜人の、憎しみなのかもしれない)


 公園での少年との会話を反芻する。

 アエルはその可能性を全く考えていなかった。

 それに気づけるだけの社会的な前提がなかったから。

 いや、本当は単に考えることを避けていただけなのかもしれない。

 もしもこれが復讐で、家族を奪われたことを犯人が動機として掲げているのならば、感情の一部はその行為を肯定してしまいそうになるからだ。

 たとえ、その復讐の形が殺人だったとしても。


(駄目。そんなこと考えちゃ、駄目よ)


 アエルは必死に心の中に生じたその考えを否定しようとした。


(でも……もしも、そうなら、根本の原因は……)


 その事実を認めてしまうことが、そして、犯人を肯定してしまいそうになる自分が酷く恐ろしかった。

 この考えは裏切りのような気がして、無理矢理思考を停止しようとする。

 その仮定から導き出される推測。

 最も強く憎悪を向けられるのは一体誰なのか、という疑問に対する答え。

 それを理解してしまうということは、その対象は殺されても仕方がないと僅かにでも思ってしまうことに繋がりかねない。


(父さんが――)


 しかし、思考は止められなかった。止めようとすればする程に考えは巡る。

 そして、それを止めてはいけないのだ、とアエルは思った。


(父さんが、この地の亜人を殺したから?)


 彼らにとってみれば、父は冷酷な虐殺者に過ぎないのかもしれない。

 その事実をアエルは認めたくなかった。優しい父親としての姿を、優秀な理術師として皆から尊敬されていた父親の姿だけを信じていたかった。

 実際、これまではその背中しか知らなかったから。


(人は自分の信じたいものを信じようとする。けど――)


 それにもある程度の根拠は必要で、だから、フォルテに尋ねたかった。

 この地の人々を何故殺したのか。その時一体何を思っていたのか。それと、彼等を今どう思っているのかを。

 しかし……。

 今のアエルでは、何を聞いても歪な答えにしか聞こえなかったかもしれない。


(信じたいのに、どうしても信じられないものもある。……いや、違うか。気づいてしまった時点で、信じたいもの自体がもう歪んでしか見えないんだ)


 そもそもフォルテ自身の考えを脇に置いておいても、彼が虐殺をしたという事実は確かな前提としてあるのだから。

 そして、それを容認してしまえるかどうかは、彼自身が抱く考え方よりも虐殺された側の存在の程度に依る気がする。

 非常に傲慢な考え方かもしれないが、害獣を殺しても許容されるように、人間の勝手な分類は確実に存在し、感情はそれに左右されるものなのだ。

 根本的な問題は「亜人とは何か」だ。

 アエルがこれまで辿り着けなかった、いや、無意識に考えることすらも避けていたその問いに対する答えが、罪も罰も何もかもを決定するのだ。

 今まで通り、レクトゥスの環境に育まれた偏見に逃げ込むことができれば、何も考えずにいられればどれだけ楽だっただろう。

 しかし、そう思って苦しんでしまうことは、既に答えの目の前に立っていることを示しているのかもしれない。


(きっとこっちの世界に来て、こんなにも不安に思わなければ、疑問なんて生まれなかったんだろうし、その疑問を真剣に考えたりしなかったんだろうな)


 そして、皆と同じように亜人をただ侮り続けていたに違いない。

 今となっては、そうした考え方こそ疑問だが。

 そんな生まれ育った環境によって強固に定められた思考の枠組みを打破し、アエルを答えに近づけさせた切っかけは、あの少年との会話だ。


(一万年前に進化の方向性で分岐した存在が亜人。それは確かな歴史的な事実。恣意的な情報を排除して、事実だけを基準に考えればすぐに分かることだった。少し想像力を働かせれば、簡単に気づけることだった)


 少年に亜人の姿を見たのか尋ねた時、彼は言っていた。

 猿や豚の化物である方がましな最も酷い化物だった、と。

 それは、亜人の姿が自分達のそれと何ら変わりのないものだったからこその言葉だったのだろう。


(亜人とは何なのか。その答えは――)


 理術が使えないだけの、普通の人間。

 そして、そうであるのなら、今回のレクトゥスの行動は一方的な侵略と虐殺であり、父は大量殺戮の実行者だ。

 戦争の中で相手の理術師を殺してしまうことは、納得は難しいが、百歩譲って理解できることかもしれない。

 軍人である以上は相手もまた相応の覚悟、即ち殺す覚悟と殺される覚悟を持って戦っているはずだから。

 しかし、この地に住んでいた者達は殺戮者に抗う術などなかったのだろうし、そうした覚悟もまた欠片もなかったはずだ。

 それを無慈悲に殺すなど、人間として許されることではない。


(本当に、私は何も知らなかったし、考えることもしなかった)


 勿論、これらは全てアエルの推測に過ぎないし、それが完全に正しいとは限らない。しかし、その程度のことすらも考えてこなかったことをアエルは悔いていた。

 今、自分が感じている恐怖や不安は全て、亜人と呼ばれた人々を正に亜人と呼んで蔑んできたことに対する罰なのではないか。

 父親が恨まれ、殺されようとしていることすらも。

 そんなことまで考えてしまう程に。


(でも……でも、それだと父さんは)


 親愛の感情と倫理観とが胸の奥で衝突して、アエルは表情を歪めて唇を噛んだ。

 それから大きく息を吐き出して、一旦思考を無理矢理横にずらす。


 それはそれとして、この事件については別の部分にも疑問がある。

 そもそも、犯人は本当に亜人なのだろうか。

 今回の工場襲撃で、理術を使用できなくなったのが犯人のせいであることがはっきりした。となれば、アシハラの関与が確定的だ。

 そうなると、そもそも犯人がアシハラの人間である可能性もある。

 残留思念波が現場に残っていないのも、かの結界のせいと考えれば辻褄が合う。


(でも、たった十年で、ここまで……)


 理術師一人一人がその結界を扱えるのなら、それはレクトゥスにとって大きな脅威となる。全てのよりどころたる理術を奪われてしまえば、あるいはレクトゥスの人間は亜人と呼ばれた人々よりも弱く脆い存在かもしれない。


(クレイオの加護だなんて……才能に胡坐をかいた馬鹿な考えだ。与えられただけの力を誇るなんて、本当に愚かにも程がある)


 街の外れに行けば、この地に住んでいた者達の生活の名残が見える。レクトゥスのものに引けを取らない建築物の数々がそこにある。

 理術を使わずにそれを作り出したのであれば、彼らはアシハラに似た発展の仕方をしていたのかもしれない。

 それに気づかないのは、偏見が目を曇らせているからとしか言いようがない。

 科学。才能に依らない力。あるいは、理術を持たない彼等の方がアシハラよりも純然たる科学の力は優れている可能性もある。

 たとえ理術の力には適わなくとも、それはれっきとした人間の力と言えるだろう。

 だから、たとえ犯人がアシハラの人間だったとしても、この世界の人々を今更単に理術が扱えないからという理由で即座に野蛮だと断じ、亜人と呼ぶ図式に立ち戻る気にはなれなかった。

 それは同時に父親の犯した罪からも目を背けられないということだ。


(目を背けちゃいけないんだ)


 それだけが自らの無知という名の罪を償う唯一の方法に違いない。

 アエルはそんな考えと共に、しかし、窓から見える爽やか過ぎる晴天とは逆の心持ちを抱きつつ、今日もまた外に出ることにした。

 きっと今日もあの少年はいるだろう。

 彼は今まで話をした人の中では最も広い視点を持っているような気がする。

 この世界の人々もまた憎しみを抱くことを示唆してくれたのだから。

 今となっては当たり前だとアエル自身も思うが、この社会でそうした考えを抱くことができるのは特別なことだ。

 彼と話せば、もしかしたらまた嫌な真実に気づいてしまうかもしれない。

 しかし、アエルはそれでも知らなければならないと思った。

 それがどんなに苦しいことだとしても、無知のまま選択をして、誰かを傷つけてしまうよりはきっといいはずだから。

 だから、アエルは時間を確認してから、勢いよくベッドから立ち上がると自失のドアを開け、彼がいるだろう公園へと歩き出した。

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