3A 罪

第13話

 心臓を貫き、容易く壁にまで突き刺さった刀をゆっくりと引き抜く。

 すると、それを支えにしていた今夜の標的は重力に負け、力なく壁に寄り掛かるようにして崩れ落ちた。

 恐らく恐怖など感じる余裕などなく、ただ純粋に驚愕のみで見開かれているだろうその両目を、戒厳はその傍らに座って丁寧に閉じてやった。


(今日も俺は、確かに「人間」を殺した)


 そして、少しの間だけ命を失った、その骸を見詰める。


(たとえケダモノであろうとも、人間を殺したことに変わりはない)


 何故なら、ケダモノに成り果てるのは人間しかいないからだ。


(それを俺は忘れない。俺はこいつ等のように、殺した相手を人外だとして罪から逃げたりは、しない)


 戒厳はそう自身に言い聞かせながら立ち上がり、漆黒の刀身を染め上げている赤い血を振り払うように刀を一度振った。

 ただそれだけで刀は再び黒く闇の中に溶け、地面に赤い線を描く。

 それから静かに刃を鞘に納めたが、その鍔鳴りの音は意外な程大きく響き渡った。

 工場は基本、街から完全に離れた場所に建てられている。

 そのため、主がいなくなれば周囲から音は消え去ってしまう。


(……静かだな)


 既にこのレグナ生成工場の職員は逃げ出していた。が、対象でない者まで態々追いかけてまで殺すつもりは戒厳にはなかった。

 それは役目に含まれていないし、何よりそこまでする大義もない。

 時刻は夜八時過ぎ。

 工場の電灯は用をなさず、辺りを照らすのは月明かりのみだった。

 とは言え、当然こうした状況は十分想定されていたので、機械の右目に暗視機能は標準搭載だが。


「貴様が亜人、か」


 その闇の中、嘲るような声が工場内に響き渡り、戒厳はその方向を振り返った。


「既にこの場は包囲されている。諦めて、死ぬことだ」


 目の前にいるのは若い理術師のようだった。右手には杖が握られており、その先端に備えられたレグナは窓越しの月を映し、微かな光を放っている。

 この生成工場はここ北海道に建てられた最後の工場だった。

 となれば、そこに人員を配置するのは至極当然のことだ。

 だが、たとえ囮のためだったとしても、工場の監督者を残していたのは、明らかに亜人という存在を未だ侮っている証拠だろう。


「しかし、亜人如きが大それた真似をしてくれたものだな。まあ、目の上の瘤を排除してくれたことには感謝しておこうか。奴等は旧時代の遺物も同然だ。俺が成り上がるにはとにかく邪魔だった」


 妙に大袈裟な手振りを交えながら演技がかった口調で聞いてもいないことを話し出すその男に、戒厳は冷たい視線を向けた。

 どうやら、この男は自分に酔い易い性格のようだ。

 素でこのような雰囲気を出せる人間を見るのは初めてだったが、正直こういうタイプとは余り関わり合いたくない。


「ふん。獣に俺の言葉など理解できないか」


 男は戒厳の薄い反応が気に食わなかったのか、不機嫌そうに舌打ちをした。

 それから彼は杖の先、レグナを戒厳に向けると口の端を吊り上げて口を開く。


「獣は獣らしく炎に焼かれて死ね!」


 慢心。油断。侮り。それが眼前の男を含め、これまで戒厳に殺されてきた理術師達共通の敗因の一つだった。

 その男の姿は正に己の力を過信した愚者そのもので、勝利を確信して叫んだ男の声が空しく工場に響く様は余りにも滑稽だった。

 残念だが、彼の言葉は何一つ実現しない。


「な、何故?」


 気が動転したように自問し、レグナを確認し始めた男は全く隙だらけだった。


(間抜けめ)


 戒厳は即座に地面を蹴り、男との距離を一気に詰めた。

 新たに得た足の瞬発力は生身のそれとは比べものにならない。人間の動きを想定した目では、まるで視界から消え去ったように感じることだろう。

 戒厳は機械の右手を固く握り締めて拳を作り、その勢いと共に金属の塊と化したそれを男の鳩尾に叩き込んだ。


「が、は」


 男は空気を吐き出しながら、そのまま意識を失って床に顔面から倒れ込んだ。


「ふん。まるで道化、だな」


 鋼に勝る強度を誇る拳をその身に受けた以上、只では済まないだろう。

 あるいは、内臓が破裂してしまっているかもしれない。

 しかし、レクトゥスの医学、理術を用いた医療であれば助かる可能性は高い。

 だから、戒厳は倒れ伏す男の傍に寄り、その首を右手で無造作に掴んだ。

 そして、そのまま――。


「………………やめた」


 握り潰してやろうと力を込めかけたが、寸前で思い留まる。

 やはり、未だに妙な違和感が胸に渦巻いている。復讐を決意したことで、加えて死刑囚の処刑を繰り返したおかげで覚悟が固まったはずの人殺しに対して。


「お前の生死は運に任せることにしよう。今は任務以外での人殺しはどうにも気分が乗らない。お前のようなケダモノは真っ先に殺してやりたいところだけどな」


 忌々しさに眉をひそめつつも手を離し、うつ伏せに倒れたままの男に背を向ける。


「まあ、このまま無駄に苦しんだ挙句に死んでしまったら、その時は精々俺を恨め」

(…………しかし、この違和感は一体何なんだか)


 殺人という行為への良心の呵責はある。法が裁かなくとも罪の自覚はある。

 だが、同時にそれを背負う覚悟もあるつもりだ。

 だから、この原因不明の違和感がそれらに由来するものではないことは確かだ。


(何か、見落としているのか?)


 戒厳は意識のない男を一度だけ振り返って、それから軽く首を振って違和感を一先ず振り払った。

 そして、工場の出入口付近まで移動する。


(包囲されている、とか言っていたな。なら――)


 下手に待つよりもさっさと突破してしまった方がいいだろう。

 戒厳は、あの日失った生身の体と引き換えに手に入れた機能、その一つを作動させるように念じた。それの起動の仕方は理術発動の仕組みとほぼ同じだ。

 戒厳の体に埋め込まれたアシハラの技術の結晶。その特筆すべき機能は二つだ。

 一つはレグヌムを不活性化させる技術を進歩させたもの。己の周囲、特定の範囲内において理術の使用を不可能にする結界、不活性化イナクティブ結界フィールドを生じさせる装置だ。

 無様に倒れ伏した男が炎を生み出せなかったのは、正にそれによる力だった。

 もう一つは人工的な思念波を発生させる装置、即ち擬似パラ・思念波メンタルウェイブ発生装置ジェネレーターだ。

 この装置にはアナレスによって数種類のパターンの疑似思念波が登録されており、戒厳の極微弱な思念波を読み取って適切な理術を発動してくれるのだ。

 ただし、これは全く疑似的なものに過ぎないが、思念波の一種であるため不活性化結界の影響を直で受けてしまう。

 しかし、無線がジャミングされるのであれば有線を使えばいいだけの話だ。

 戒厳の体内には、ナノレベルの細さで生成された糸状のレグナが神経のように隅々まで張り巡らされている。これにより、身体が接触している部分に関してのみではあるが、理術による物理干渉が可能となるのだ。

 結界を張っている以上、外界に強く影響する理術の使用は不可能だが、作戦で必要な機能としてはアナレスが設定したものだけで十分だ。

 この「ネルウス・糸状のレグノルムレグナ」は本来、思念波を発生させる脳の特定部位に繋げるものだ。微弱な思念波を極限まで増幅し、地球の人間であってもテラの人間と同等以上に理術を扱えるようにするために。

 しかし、今はまだ実地試験が絶対的に不足しているため、代用としてアナレスが登録した疑似思念波の起動と変換言語意思伝達のみに制限されていた。


(一気に、突き抜ける)


 戒厳の思念波に従い、疑似思念波発生装置はいくつかのプログラムから、高速移動を行うためのプログラムを起動させた。

 瞬間、全ての動力源、右胸の中にある第二の心臓とも言える「コル・レグノルムレグナの核」が強く活性化し、装置が低い駆動音を放ちつつ作動する。

 それに伴い、両足の義足がより速く走るのに適した形へと急激に変化していく。

 靴や衣服の一部、さらには周りにある物質を取り込みながら。

 そして、第一に前方の空気を吸い込むことで空気抵抗をキャンセルしつつ、それを圧縮して後方に放出する推進器。第二にその推進力を利用した効率的な移動を行うためのローラー。この二つがまず生み出される。

 しかし、脚部にだけ推進器があっても意味がない。

 それではその場で一回転するように転ぶだけだ。

 そこで右腕部の義手にも推進器としての機能を持たせ、姿勢制御に用いる。

 勿論、戒厳が三点のバランスを手動で調整する訳ではない。推力を常に監視し、自動で最適化してくれるようになっている。

 そうして準備が整ったところで、戒厳は右手を後方へ向けつつ重心を落とした。


(行くぞ)


 心の中で合図をして、全ての推進器を全開で作動させる。

 直後、数瞬続いた強い加速に生身の部分が軋む感覚に囚われながらも、戒厳はそれを全く無視して一気に工場を飛び出した。

 そして、包囲網の一部、二、三人の理術師のど真ん中を風と共に突っ切る。

 さすがに理術なしでは、その一瞬を見極めて戒厳を捕まえることなど彼等には不可能だった。


「亜人が逃げたぞ!」

「あっちだ!」

「中のカリダは何をやっているんだ!?」


 工場を包囲していた理術師達の慌てた声を後ろに置き去りにして、戒厳はそのまま速度を更に上げた。

 理術の作用で空気抵抗がほぼ無効化されているため、慣性にさえ耐えられれば理屈の上では古典物理学的な計算で導くことができる理論値を出せる。

 とは言え、道の整備が甘かったため、安全を見て最高速度に至ることはできなかったが……それでも、人の間を突き抜けるには十二分だ。


「理術が使えない、だと!?」

「そんな馬鹿なっ!」

「あの話は本当だったのか!?」


 遠くなっていく声を背に、ただ真っ直ぐに進んでいく。

 振り返ることはしない。

 いくら近接戦では優位とは言え、これだけの数を相手にするのは面倒だ。

 回避できるなら、戦闘は極力回避するべきだ。

 そう思う間にも、工場の付近が不活性化結界の範囲から外れようとしていた。

 更に離れれば、理術師達が再び理術を使用できるようになる。そうなれば彼等はすぐにでも追いかけてくるだろうし、挟み撃つ形で増援が来ることもあり得る。

 そうしてもし包囲でもされれば、工場と街を繋ぐ街道の街灯が結界以外の部分のみ不自然に点灯してしまっていることに気づかれるだろう。

 そうなると結界の大まかな範囲が知られてしまう。

 だから、戒厳は限界範囲直前で結界を自分の周囲のみに絞った。


 完全に結界を消さないのは、推進力を得るために理術を用いているため、思念波が外部に漏れて観測されてしまう可能性があるからだ。

 ただ疑似思念波は比較的強度が弱い上、レクトゥスにはアシハラ程の厳密な観測能力はないため、念には念を入れて、という程度の小細工だが。

 ちなみに優秀な理術師ならば、発せられた思念波から相手の位置だけでなく、どのような理術が使用されるかまで分かるそうだ。

 レクトゥスでは、これを優劣の一つの指標としているらしい。

 が、アシハラから見ればそれは実に間抜けな話だ。何故なら、アシハラの観測装置なら誰だろうと、思念波からの使用される理術の逆算が可能だからだ。


(さて、敵の様子は――)


 一先ず戒厳は追っ手の思念波の有無だけを観測しつつ、走り続けた。


(……問題ないか)


 そして、ある程度まで工場から離れたところで、街を避けるように道を大きく迂回して一部分が破壊されただけで放置されていた道央自動車道へと出る。

 ここまで来れば、もはや安全と考えていい。

 が、比較的道が安定しているため、念のためさらに速度を上げておく。


(これで、前座の仕事は終わり、だな)


 多くの理術師に目撃されてしまったが、特徴を捉えられるような間はなかったはずだし、それこそ仮面で顔全体を覆い隠していたのだから問題はないはずだ。

 何より残す標的はフォルテ唯一人なのだから、今更そんなことはどうでもいい。

 既に暗殺時の映像はリアルタイムで送信されているはずなので、それが確認されればサクラに最後の対象、フォルテの思念波形のデータが送られてくるだろう。

 これがあれば初日に街の中に配置しておいた子機が常に対象を追跡するため、万一身を隠されても見つけ出すことが容易になる。

 何故ならレクトゥスの人間はほぼ常に無意識的に理術を使用しているからだ。

 室内においては特にそうで、就寝している状態でもなければ電灯を点けたり、温度の調整をしたりと思念波を発し続けている。室外でも優れた理術師ならば周囲の気温の調節を行うなどして、理術を使用する機会は自ずと増える。

 そうして位置を特定できれば、後は頃合いを見計らって殺すだけ。

 これまで警戒して身を隠した理術師も一人か二人はいたものの、こうやって暗殺を完遂させてきた訳だ。


『サクラ、聞こえるか? ……サクラ?』


 そのデータを受信したか確認するために通信を試みるが、サクラからの返答は即座にはなかった。

 少なくとも息遣いは感じるので、声が届いていないはずはないのだが。


『サクラ、まだ機嫌が悪いのか?』

『……だって、お兄様が――』


 ようやく聞こえてきた彼女の声は、明らかに不機嫌と分かるものだった。


『お兄様が! 敵の女の子と仲よく話してるんですもん! サクラはお兄様と顔を合わせてお話しできないのに!』


 どうやらサクラは、昼間に街外れの公園で少しだけ話をしたレクトゥスの女の子に嫉妬しているようだった。

 声色から唇を尖らせている彼女の姿が脳裏に浮かぶ。

 今日出会った彼女は、レクトゥスの国民にしては随分と柔軟で真っ当な考え方をする子だった。話をしていて、敵国の人間であることを忘れそうになった程だ。

 あるいは視野の広い彼女なら何度も会って話をすれば、戒厳がレクトゥスの人間ではないことにも気づくかもしれない。


『情報収集だって大事だろ?』

『ですけど、ですけどぉ、うー、うー』


 相手に対する僅かばかりの好感を聞き取ったのか、幼い子供のように不満気な声を出すサクラ。そんな彼女の様子に戒厳は任務のために強張っていた心が和らぐのを感じ、改めて理解した。

 短い間で築いた絆とは言え、彼女は確かに家族であり、心安らぐ存在なのだと。


『全く、サクラは可愛いな』

『そ、そんなことを言われても騙されません! 嬉しいですけど!』


 言葉通りに声色に嬉しさを滲ませるサクラが実にいじらしく、無意識に左手が動く。戒厳はそんな自分に気づいて内心で苦笑した。


『傍にいたら頭を撫でてやれるのにな』

『お兄様…………サクラも、お兄様に頭を撫でて欲しいです』


 寂しげに呟いたサクラは、しかし、すぐに切り替えて真剣な口調で続けた。


『作戦終了まで後一日です。正確には一日と三時間三五分後。そして、暗殺対象は残すところ後一人。フォルテ・サエクルムのみです』

『データが届いたのか?』

『いえ……アナレス様によれば、フォルテの思念波のデータが送られてくるのは、北海道奪還作戦の直前になるそうです』


 申し訳なさそうに告げるサクラに戒厳は「そうか」と呟いた。


『アシハラとしての作戦の本筋は国威発揚のための北海道奪還にある訳で、これは俺達がフォルテへの復讐を優先させることを危惧しての判断なんだろうな』

『…………少し、納得です』


 自分自身の復讐心の強さを思い返したのか、不本意ながら、という感じでサクラは上の判断に理解を示した。


『何にせよ、ようやく、です。ようやく、先に進めます』


 見方によっては、これもまた。サクラが口にしていた過去が現在の道を狭める例の一つとすることができるかもしれない。

 あの日に抱いた憎悪が、彼女を復讐という道に雁字搦めにしているのだ。

 そして、それ故に復讐を果たすことでしか、新たな道を見出すことはできない。


(いや、それは責任転嫁の考え方だ)

『そうだな。ようやく……納得できる』


 戒厳はサクラの言葉を訂正するように告げた。

 何かに塞がれて身動きできなかったのではなく、結局は自分自身の選択でその道に留まっていたのだ、と。

 今は認められずとも、彼女もいつかそう考えられるようになるよう願いながら。

 同時に自分自身が己の責から目を逸らさないように。


『納得して、全てを背負って一歩を踏み出せる』


 あの日の悲しみも憎悪も、そして、犯した罪も何もかもを。

 そうして戒厳は決意を改めつつ、通信機越しにサクラとの取り留めのない会話を続けながら寝床への道を駆けていった。

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